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2012年11月の投稿

2012年11月30日 (金)

車両番号による交通規制がMRTよりまし

28日ジャカルタ州政府は市ホールでジョコウィ知事をヘッドにMRTの会議を開催したが、結局知事はゴーサインを出すことも出来ず又次回の会議の予定も決められないまま閉会したそうだ。知事は投資リターンを問題にしており果たして日本からの114億ドルのローン返済が出来るのかと危惧しているのであるが、計画担当からの明確な説明が得られず、頭痛の種だともう投げやりである。
どうしてこのMRTが他の何よりも置いて緊急なのかとか、高架となるファトマワティ周辺からの反対の声や、多くの人々がむしろ周辺に住む大ジャカルタ規模からしても決断が鈍る要素は多いのかもしれない。
Globe誌は既に地獄の辺土(Limbo)に捨てられたと迄表現したこの計画の復活はどうなるのであろうか。
一方29日には世界一の渋滞であったバンコックでも実施された交通規制がジャカルタでも計画されているとバンコックポストが報じたが、ジャカルタ警察交通局では自動車の車両プレート番号の下一桁で運転できる日を割り当てる交通規制を検討中だ。まず来年1月に奇数・偶数により実験を開始する。車両のカラーによることも検討したがこの案に落ち着いて、このシステムは条例化される。これにより交通渋滞の30%から40%は緩和できるとされた。
年間交通渋滞によるロスは何十億ドルとか言われる。MRTが決め手になれば114億ドルも惜しくはないだろうが、むしろ道路網がなさすぎるし、手を打たない前にどんどんデヴェロッパーが土地を奪っていく。 
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写真は路肩通行が普通となった小生のくるまからみたチカンペック高速道路。
MMに行くまでに何度も多くのトラックの大軍団が侵入してくる道があり、これでは渋滞は当たり前。此方の産業面の方がロスが多いだろう。

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2012年11月29日 (木)

バリ画家 マデ・ジルナ 作品展

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今ナショナル・ギャラリーで I Made Djirnaの作品が展示されている。このナショナルギャラリーの本館全部を使用したゆったりした展示品である。 
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展示会のタイトルはUBUD 1963 ReReading the Growth of Made Djirnaとあったが、大きな万華鏡或いはマンダラか思う様な絵画が数点ある中に又古代人の宗教儀式跡を思わせるような不気味な造形作品もある。行った時は他に一人しか閲覧者がいない寂しさであったが、その髪ぼうぼうの黒い衣服の人が椅子に座って瞑想していた部屋は何故か気味悪く失礼した。
マデ・ジルナは1957年生まれ、63年のグヌン・アグン山の大爆発の暗い世界を経験しており、彼の作品の根底にこのバリ時代のイメージが表現されているのであろう。
日本でも展示されたこともあり、シンガポール、オーストラリア、バーゼル等の美術館でもコレクトされている新進芸術家である。
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この最後の写真は写りが悪いが、文脈上必要で追加。

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2012年11月28日 (水)

ジャカルタの26日ー27日

日日を間違えると1日おかしな感じになる。最初は1日儲かったと思うがそしてその日が過ぎての翌日は過去のある日を覗いているような或いはなぞっていくのかなという様な気になる。仕方なく夢まぼろしの如くすごしてしまう。風邪のせいかもしれない。フリーダム図書館の喫茶店でおなかを壊したなぞと書いたがあれは風邪の引き始めだったのでそれ以来のまぼろしの生活が続いていたので、それで日日を間違えたのかもしれない。
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ジャカルタの26日は殆ど雨であった。我ながらよく降られた。運ちゃんが休みで引き継ぎが悪く何度も雨の中を歩いたような気もする。S君と飲んだ日もそうだった それが24日だからそれが風邪の原因だ。
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所が日本に帰る日は、一転真夏日である。 朝から、飛行機が飛び立つその23時半まで晴れた、完脹れは今月初めてであった。
しかしインドネシアから持って帰った風邪で日本初日から半寝込みである。

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2012年11月27日 (火)

バクリーもしくは?

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Indosatの時アップロード下写真は観光省との間が空間であるが、実際はより高いビルが建っている。これは、観光省の隣り女性強化担当国務大臣府は国防治安調整大臣府の敷地と共有し非常に狭いがこのビルがその左裏奥に当たる為、キットこれらの大臣府の建物になるものかと思ったが、未だ以て所有者は不明である。立ち寄った時は未だ建設途時であり、守衛に聞いたところうっかり口を滑らした風にバクリーだと言ったがその後、調べても両者を結び付けるものはない。
バクリ―と言えば最近の債務の膨張でとかく噂があったが、その為に共同投資のロンドンBumi社のロスチャイルドと手を切られたようなニュースがあった。又BakrieはEpicentrumを既に持っている。
解かった範囲は34Fのレンタルオフイスビルになるようで、Coldwell扱い。このビルへはアルジュナの馬車像の辺りでインドサットのビルと観光省のビルとの間の狭い通路の奥を入る。ビジネスとは縁遠い感じの場所から判断すればIndosat/Bupar/BUMNと切り離せない。

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2012年11月26日 (月)

Perpustakaan Freedomの雰囲気

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土曜の午後のJazzを聞きに行ったPerpustakaanであるが、大勢で賑わいだろうと前のブログで駐車場の心配までしたが、行った時は閑散として数人のJazzmanがテラスで楽器の音合わせなどをしていた。静かな庭園は木々の下にブランコ風椅子等がしつらえられ若者が本を読んだりのんびり過ごしている。何の案内も無いが、奥の方から音楽が聞こえ、そのホールが会場であった。丁度行った時は暗くしたホールでピアノが流れ、その後ジャズのワークショップとなった。小生はJazzの素養もないので、庭のコーヒーショップでカプチーノをガブ飲みしたが後で、腹痛を起こした。 (これは後で風邪のひき始めだとわかったのでコーヒーのせいではない)。コーヒーショップはFreddomだけにスカルノ時代のムルデカの写真がはられており、吹き抜ける風が頬に優しい。図書館の方も見学したが若者がパソコンを広げたりソファーにくつろいだ姿があった。ここは独特の雰囲気がある。本当のインドネシアというかインドネシアが独立に向かう時に金持ちの民族主義者が集まって醸し出すエリート意識かもしれない。小生を不審がる人間はここには居ず、まして駐車場で大声を張り上げる金せびりもいない。Founderの意志がなせるものだろうが、この様に徹底できるのである。Founderはどうもバクリーさんらしい。

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2012年11月24日 (土)

労働問題に揺れるインドネシア

10月のジャカルタは労務問題で不安な月であったが、11月になっても続いている。確かに底辺の若者は生活設計すら出来ていない者が多く、華やぐ消費世界に付いていこうとすると強奪しかなくなる。労働ニュースを集めると
10/3 各地で大規模労働者デモ、首都圏は280万人との報道も
10/3 清掃、警備、運輸、配膳、鉱業、石油・ガスの5分野にアウトソーシングを限定
10/4 今年1-9月に10万人もの炭鉱労働者が解雇:東カリマンタン支部予測
10/5 本業に人材派遣しているアウトソーシング業者の許可剥奪へ:政府が方針。
10/10 賃金上昇、ルピア安、高物流コスト、借り入れ難など競争力向上を阻害、世銀。
10/15 雇用主が登録しないなら労働者自身でジャムソステック加入可能:憲法裁が判断。
10/24 ジャカルタで11労組による来年最低賃金引き上げ要求デモ、2,799,000ルピア
10/26 金属労連などブカシの4労組が来年の県最低賃金2,859,000ルピア要求、今年の約2倍。
10/30 労働者スト頻発化で海外移転検討する外資も:環境悪化イメージ懸念し経営者協会会長。
11/2 政府と警察が労働者を野放しにするのなら、経営側がスト:23の業界協会が警告。 
一方他のトピックスは
10/16 二輪車販売、来年安定し、2015年には1千万台に到達:協会見通し。
10/19 MM2100工業団地、150ha拡張計画、現800haは完売。
10/19 KIIC工業団地、カラワン(西ジャワ)で200ha拡張計画。現1,200ha。
10/20 来年の自動車販売120万台突破も:今年は100万台達成と強気のガイキンド。
等に安堵する。

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2012年11月23日 (金)

Freedom Jazzの祭典

Perpustakan Freedom (フリーダム図書館)を調べていたらうまい具合にこの様な案内が飛び込んできた。
あす昼から夕刻までのプログラムで無料Jazzコンサートがおこなわれるのだ。 丁度ゴルフを日曜に回したのでこんないいタイミングの案内であるので覗いて見たいと思っている。
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Freedom Jazz: Pertemuan KJK ke-103
Freedom Jazz: Pertemuan KJK ke-103, Sabtu 24 November 2012 jam 13.00-21.00, di Freedom Institute Wisma Proklamasi, Jl.Proklamasi No.41 Jak-Pus (free dan terbuka untuk umum)

13.00-13.30 Workshop "Jazz Piano" by Julian Marantika (Joey)
15.30-15.50 Squartet
16.00-16.20 RGP
16.30-16.50 High and Low
17.00-17.20 Nona Ria Trio
17.30-17.50 Nga-Blues
18.00-18.20 Nork
18.30-18.50 The Epistle
19.00-19.20 Eight-Ten PM
19.30-19.50 NJ Project
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此処Perpustakan Freedomは丁度独立宣言広場(Proklamasi)の真向かいにあたるが一方通行の道路であるのでマンガライの方から行こうと思う。駐車は出来ないので広場回りに駐車して歩くことになろう。

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2012年11月22日 (木)

Jasa Raharja

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北のカリブサール東側に立っているオランダ時代の建物にJasa Raharjaが入居している。
東側の建物で二つの塔Domeを持つCipta Niagaに次いで目につく。此方は一つの塔をもつ。いずれもオランダから撤収したものである。 オランダ企業の国有化法で損害保険の分野でPerusahaan N.V. Zee-en Brandassurantie Maatschappij van 1851 c.s. di Jakarta.、Perusahaan N.V. Nederlandsche Lloyd di Jakarta. など14企業が国有化された。 その中でEka Karyaの名前からJasa Raharjaの名前で生まれたのが1965年である。現在も国有企業の一つで交通保険など損害保険を担当している総資産6兆、自己資本4兆の企業である。オランダ時代この建物の所有者は誰なのか不明であるがデータのかけらにZee en Brand Verzekerings Maatschapij Sluyters & Co / Lloyd Insurance 等の字が見える。この建物は使われているようには見えない。本社はRasuna Seidにある。

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2012年11月21日 (水)

インドネシアの帰国看護師不合格者に就職斡旋

日イEPA協定に基づくインドネシア人看護師・介護福祉候補者は既に791人が日本に出かけたが、これまでに200人強の人達が夢破れて帰国しているそうで、日本大使館ではこの人たちの為再就職の後押しの為日系企業を中心にジョブフェアーを開催する予定だ。
実際には11月27日実施の予定で、大使館からジャパンクラブ法人会員に参加を呼び掛け手筈は済んでいる。ジョブフェアーの会場は派遣候補者人選を行った写真の保健人材強化センターである。
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最初の派遣する時のインドネシア側の組織はまず海外派遣労働者を管轄するBNP2TKIがあり、その計画の元で保健省の下の保健人材強化センターPPSDMKが受け持っているようだ。詳しくは知らないが介護福祉の場合は全国の各地方にあるBP3TKIに申し込むようだ。そして15の必要提出書類、14の条件をクリアーしテスト、面接を経てフイーも掛けてやっとインドネシア側のバリヤーをクリアしてきた人たちなのである。日本側の手続きも一筋縄では無かっただろうと思うが。
悪名高い試験に不合格となっても日本での苦しい毎日が今、楽しいものに変わっていくことを祈っている。
Hang Tua-Hang Jebatシリーズをブログでやっていた時に取っていた写真がやっと使えるようになった。
写真はJl.Hang Jebatにある保健人材強化センターPPSDMKである。

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2012年11月20日 (火)

コンビニ競争

日本でも東京の交差点の4隅にコンビニが軒を出し競争しているのは珍しくないが最近ローソンとファミマの果敢な挑戦を目にした。
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ちょっと刺激が強いが共にその横のローカルのコンビニ放逐を狙うのかの如くである。内情は違うのかも知れないし取り扱い商品も違うかも知れないが 7-11が進出した以降インドネシアのローカルコンビニも軽食・談笑できるレストランスペースを保持しており、その面では食べ物の勝負になる。 ファミマもありがたいが隣のコスモは先人の日本人がB-M時代、Grand Wijaya時代とお世話になったCosmoさんだから共存共栄で更に栄えてほしいものだ。日本のコンビニは数で圧倒していく力があるので無理して競争を挑まなくともいい筈だ。 アイデアの一つは今ジャカルタ市では公園の整備を手掛けており、その数は350もあると言うのだからこの公園横を狙う手もある。 公園にはゆっくりできる所がないのでこのコンビニがあれば又公園も市民のものになる。結果的のそうなっているのがメンテン公園である。

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2012年11月19日 (月)

日本コンビニ文化

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タマン・メンテンの前には7-11の店があって賑わっている。ここは7-11のパートナーモデルン・グループがFuji Film Image Centerをやっていた所で、7-11の本店格の店になろうか。2階はイメージセンターが移っているが窓際全面にカウンターを置き広いスペースで食事談笑が出来るようになっているが、お客はやはり下の屋外パラソルスペースの方が好きのようだ。 なぜなら今時のインドネシア若者はより多くの人に見られるのが好きな露出症気味の人が多いからだ。小生は確認しなかったが、運ちゃんンが言うにはここでウイスキーを飲んでいる若者が居たそうだ。 深夜ここを通ることがあったが、深夜でも多くの若者が集まってがやがややっている。昔コカコーラが風俗、世情を一変させたように、今度は日本文化がインドネシアの文化を変えるのであろうか。若い世代ゆえこの影響は大きいが、余り良い文化ではない。
これは日本文化でもないし、日本文化がインドネシア風に履き違われたものだ。

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2012年11月18日 (日)

ジャカルタの公園

ジャカルタの公園でOkezonoが推薦した上位3位は以下でこれはメンテン地区に並んで位置する。このブログでも取り上げ済みである。
1. Taman Suropati, Jakpus
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2. Taman Situlembang, Jakpus
3. Taman Menteng, Jakpus
公園はTamanであるから一番大きなTaman Miniや Taman Impian Ancorが上がってもいい筈だがこのBest 10には入ってない。大きいと言えばTaman MonasやLapangan Bantengが4~5位で、6位にクバヨランのTaman Ayodyaが入っている。
郊外型の公園も多くあるはずだが、JKT市の公園課では350あるうち訪問価値あるのは15程度しかなく、2013年までに30も増やすそうだ。昨日Jokowi市長はタマン・スマンギでこれからジャカルタの公園を視察に行くと記者団に語ったそうだが記者達は市長が夜にランクルで行くことに関心を示していた。
上のSuropatiはインドネシアの叙勲英雄の名前であるが他に考えて見るとタマン・ファタヒラーやブン・カルノがあるがこれもリストにはない。
Ayodaが良いのは近くに良いレストランが沢山あるからだと思う。メンテンも食事には便利であるが他はだれも不合格である。メンテン公園のむかし立っていたオバマ少年もオバマ再選を喜んでいるだろうが、かれは此処から放逐され幼少時学んだ小学校に閉じ込められている。イスラムの人とは思えない心の狭い人たちだ。

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2012年11月16日 (金)

タマン・スロパティに日本の折り紙

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先日のスロパティ公園には真ん中東側に小さな噴水といくつかのASEAN芸術家の手によるアバンギャルドな彫刻作品が飾られてている。これはASEAN東南アジア諸国同盟が結成されてその6ケ国の芸術家の作品で平和と調和、兄弟愛を歌い上げたものとされている。
これを全部挙げてみると
Peace (Sunaryo, Indonesia) 先日のブログで取り上げたので写真はそちらをどうぞ。 北東にある。

Peace-Harmony And One (Lee Kian Seng, Malaysia) 後ろの部分は日本からで全体で折り紙を表現している。 南東にある。 一番上の写真である。

The Spirit of ASEAN (Wee Beng Chong, Singapore) その下の写真、 立柱造形、真ん中東

Fraternity (Nonthivathn Chandhanaphalin, Thailand) 性別不詳の二つの像の友人愛
真ん中西

Rebirth (Luis E. Yee Jr, Filipina) Kelahiran Kembali木製柱16個の組み合わせ、南西にある。

Harmoni (Brunei Darussalam)ASEANの紋章に似させている。 北西 端

丁度6ケ国時代だったので、公園を6つに区分して配置してあるが、10ケ国になったから新メンバーに参加して貰い増やすという話は出ていないようだ。

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2012年11月15日 (木)

MM21のIZUMMI コーヒーショップ

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MMに行く時、いつも通り過ぎるブカシ市を見学に回って見たが先週買ったSonyのXperiaで多くの収穫を得た。写真はあっても書く内容がないので一時保存である。我が運ちゃんは弊社のお客の税務署に回ったりするので驚くほど道を知っている。難題はサービス精神が多すぎて勝手に判断することだ。小生のインドネシア語が通じないのであろうが、Lippo Cikarangで以前行ったフードコートみたいなところが良いねと言ったばかりにいつの間にかMMを通り過ぎカリマラングのひどい道を延々と走るので、気が付いた時は遅く、彼は本当にそこに向かっていたのである。 ジャバベカの渋滞にも巻き込まれ十分時間があったのが逆に遅れてしまった。
日本軽食の方が早いだろうとMMの中の軽食Café Izummi Coffee Shop(21-8998-1924)で中華丼を食したがドンブリでは熱いので皿盛り特注した。 ついでにChiciちゃんとAnnaちゃんなどをブログ用に頂いた。

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2012年11月14日 (水)

観光旅行もバリからジャカルタ

ジャカルタがアジア地区ではトップの旅行目的地として選ばれた。これは世界最大のトラベル・ウエブサイトのTripAdvisorの発表によるもので、2012年のアジア地区のWinnerとなる。
2位はKathmandu[ネパール]、3位Kolkata (インド) 他にManila、Bangalore (インド)、 Luang Prabang (ラオス)、 Phnom Penh (カンボジヤ)、Chiang Mai (タイ) と神戸都と大阪も入っている。
これは過去1年でTripAdvisorへの旅行者だけでなくホテル、レストラン等からのFeedbackに基づいている。
世界全体ではMar del Plata(アルゼンチン)がトップでサンパウロやキエフ、モンテヴィデオ(ウルグアイ)、Perth 、Mexicoが上位である。
バリの名前がないので普通の感覚とは少しずれがあるような気がするも、一つの事実を表している。

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2012年11月13日 (火)

Bekasi市とBekasi県

そして日本では市の上に県があるがインドネシアでは先にも書いた通り同格である。Jabo(de)tabekと称される大ジャカルタ都市圏のBogor、Tangerang、Bekasiはどれも県と市がある。Bogor市は県の中の中心地となっているが他のTangerang、Bekasi及びDepokはジャカルタを囲むように外円都市を形成する。
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Bekasi の場合JakartaからCikampekに向かう高速をCawangを抜けるともうBekasiでCikunirの料金所、Bekasi 市の中心からBekasi Timur迄がBekasi 市でそこからKarawangまでがBekasi 県になる。Bekasi市の人口は2.3百万でインドネシアで第4位のBig Cityとランクされているが実は県の人口の方が圧倒的に多いのである。Bogor県がスラバヤ市を抜いて第2位となり、多分Bekasi 県が後を追うのではないか 昔Bekasi県からBekasi市が独立した報道を記憶しているがそれは1996年と大分昔でさらに実際は1982年からKota Adminiだったのである。Bekasi県の県庁はSinar Masが開発している広大なDeltamasの中にある。行った日は日曜日だったか、この県庁や裁判所、軍等の施設は閑散としており、構内の敷地でヤギの一団が草を食んでいた。

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2012年11月11日 (日)

スロパティのSunaryo氏のスカルノハッタ像

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スロパティ公園は芝生がないと書いたが実際は木陰に強い芝生がかなりの範囲で植えてあった。葉が小さく地面に這い蹲う様な芝生で日本なら入ってはいけないように養生させられるがここでは惜しげもなく踏まれている。高校生の一団のダンスの練習はさすが芝生の上でなくコンクリート通路でやっていたのは感心だ。ここの目玉はアセアンの6つの芸術作品が飾ってあるのであるがその一つ御当地インドネシアはやはりインドネシアを代表する彫刻家のSunaryo氏の作品で「Peace」と銘打っている。1943年生まれでITB卒、バンドンにArt Spaceというベースを持っている。チェンカレン飛行場の入口辺りに立つSoekarno-Hatta像やスディルマン通りのSudirman立像もからの作品とWebでは読めた。グラフィックで世界的にも有名になりその他絵画も手掛ける。

Soekarno Hattaと言えば国家英雄にする話が2-3日前に新聞であったようで、そう言う友人に彼らは今やっと認められた訳でなく今147人とかいる国家英雄の範疇より上の存在だったのではないかとコメントしておいた。ただそうなるとユドヨノ氏が国家英雄にする法令に署名する事になるが、あのスカルノハッタの像の公開式典でもユドヨノ氏が隠し幕を引いたのであった。

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2012年11月10日 (土)

解雇防止と言われても。。


インドマルコ社 「インドネシア企業経営」 10月号の目次は以下の通り。投資の輸入税免除、API規定アップデート、コミサリス制度など、インドネシアの経済、会計・税務、諸手続き等の法令の紹介など満載。
詳しくはメールアドレスrisa@indomalco.com又は k2433@ae.auone-net.jp或いはwww.indonesialink.net/indomalco/に照会下さい。

1. 今月の経営情報・事例研究
  1 ) インドネシアの 今月の税務法令アップデート
  2 ) インドネシアの 今月の経済法令アップデート  
  3 ) インドネシアの 会計原則 160 (関連会社に対する投資 2 )
  4 ) インドネシアの 投資における機械・原材料の輸入税の免除
  5 ) インドネシアの API規定の改訂 アップデート
  6 ) インドネシアの コミサリス(監査役)制度
  7 ) インドネシアの 米ドル会計の取扱ガイド
  8 ) インドネシアの 作物製品輸入規制の改正
  9 ) インドネシアの インドネシア進出にあたっての基礎事業計画案
  10 ) インドネシアの 税務の認証手続き
  11 ) インドネシアの 零細企業、小企業及び中企業法 その2
  12 ) インドネシアの 解雇防止についての労相回状
  13 ) インドネシアの 税の権利義務に関する改定政令の要約 4
  14 ) インドネシアの 今月の労働関連トピックス
  15 ) インドネシアの ベンチャーキャピタル企業に関する規定
 
2. 今月の政治・経済情報
  1 ) 2012年9月度 下旬 政治・経済トピックス
  2 ) 2012年10月度 上・中旬 政治・経済トピックス
  3 ) 物価・貿易2012年10月発表
 
3. 暮らしの随筆・その他
  1 ) 橋本政彦 「明日の街角82~黄昏に飛び立つ」 
  2 ) 広沢勉 「世界遺産とスパイス」
  3 ) 西見恭平 「国家機関の所在地と国務大臣府」
 
4.今月の金融・経済関連データ
  1 ) 今月の月次経済指標 2011-2012トレンド
  2 ) 今月の会計・税務用換算レート
  3 ) 今月の為替株式金利の動き
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ニュース性のものについてはご希望の方にメール配信もしています。    
表紙写真:中部スラウェシ州タナトラジャ県議会の建物。トラジャの伝統家屋の形が頭に載っている。    

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2012年11月 9日 (金)

ジャカルタの村と郵便番号

東京には村が8村あるが、これは区や市に属するものでなく上は都議会であるが、ジャカルタにはなんと268もの村があるのである。そしてそれは44の郡の下に置かれ、その郡は又上部行政組織として6つの市・県(むしろ区の方が呼びやすいので以下区とする)に統括されているのである。そしてJKTの郵便番号は基本的にこの村Lurah単位に与えられているのである。
それを区単位に示すと
Jakarta Pusat中央区 10110 –  10750
Jakarta Barat 西区 11110 - 11850
Jakarta Selatan南区 12110 - 12980
Jakarta Timur 東区 13110 - 13960
Jakarta Utara 北区 14110 - 14470
Kab. Pulau Seribu 県 14510 - 14540
と整然たるものである。これは中央区を最初にして西区から時計と反対回りに与えられており、最後のプラウ・スリブ県は昔Jakarta Utara 北ジャカルタ区の一部であったのが自治の叫びで独立した名残をみることが出来る。又番号の数の多さで北が一番少なく、次いで中央、次いで西、南、東、の順になっている。面積で言うと 中央―西―南ー北ー東であるから北はさびれているという感じである。地名を添えて州を連想し特記事項分に書いて見ると
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中央区はオランダ時代のモナス周辺(Weltvreden)を中心に西はTanah Bangから東はKemayoran、更に内側のCempaka Putihまで欲張り、所謂コタ地区の東側もSawah Besarで含めている。 Grand Indoneisa も中央区に属しSenayan Cityもそうである。Senayanの西Palmerahは西区で東のSetia Budiは南区である。
北区は所謂コタの海岸沿いPluit-Ancol-Tanjun Priok-Cilintingであるが、Kelapa Gading辺りは南に食い込んでいる。
西区は中央区の直ぐ西側のTambora-Grogol-Kebon Kacang-Cengkarengと案外小さくその南は南区に任せている。所謂コタ地区のGlodok等はTaman Sariとしてここに含まれるのでコタはジャカルタの北であると簡単に考えていると北ではなく中央区と西区に分かれているのである。
南区はKebayoran Baruを中心にその西Kebayoran LamaからPesanggrahanを含めそしてそのまま南へCilandak-Pasar Mingguと下るが、一番南はJagakarsaである。Sudirmanの東側のPacific Place やSetia Budiも南区に属する。
東区は従いこの中央区と南区の東を任されているので一番大きくなる。 Matramanの線から東へPulo Gadungへ、北はCakungから南はこの間話題にしたPasar Rebo、Ciracasも南区に属すると思いきや東区だったのである。
写真は中央区区役所 タナバンのプラサスティ公園の横にある。

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2012年11月 7日 (水)

タマン・スロパティとWIFI

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ジャカルタ市長官邸の前のスロパティ公園はメンテン地区の開発・設計のモーエンの手になるものでここは今のイマムボンジョール通り(昔オラニエ大通りOrange Boulevard)がデポネゴロ通り(昔Nassau Boulevardナッサウ大通り)に変わる地点でテウク・ウマールJl. Teuku Umar (昔のMenteng Boulevardメンテン・ブールバード)とのT字形の接点に置かれている1.6haの公園である。1916年あの官邸に最初に入居した市長の名前はG.J. Bisshop (1916-1920)と言ったのでこの公園はBurgemeester Bisschopplein と言われた。
大きな樹木があり過ぎるので芝生も無く少し暗い感じである。今はASEAN6ケ国の平和と調和をテーマとして彫像が6個あり、真ん中に噴水もあるがわざわざ行くのには物足りない。先日の新聞によれば、ジャカルタ政府は市内の公園等各所にWifi設備を設けるそうだ、このスロパテ公園では既に設置済みである。カフェテラスでもあればと思うが、駐車場がないので送り迎えでもしてもらえば利用出来るかも知れない。

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2012年11月 6日 (火)

首都Jakarta特別州に県がある?

首都ジャカルタは昔でいえば一級自治体(州)の一つである。この1級自治体の下に県や市の2級自治体があり、その下に郡、そのまた下に村が整然とピラミッド状にあり、上位を飛び越せない組織である。現在はこの1級、2級の呼称は無くなったが厳然と上下の関係にある。
東京都と比較すると、例えば東京都八丈町の八丈町の上に郡や県はない。唯一ある東京都檜原村の属する西多摩郡の郡は連合抽象的地域を意味するのみである。更に言えば東京は23区26市5町8村がそれぞれ独立した同レベル自治体で違いは規模の差のみではないか。従いその長である区長の下に何かある訳でなく村長の上にあるのは一足飛びに都知事のみである。
ジャカルタではジャカルタが州であるので東京都知事に当たるのは州知事であり、その下に県・市のレベルとして東・西・南・北・中央 ジャカルタの5市 (Kota Mdya)がありそれぞれの市の下に群(Kecamatan),その下に村(Kelurahan) があり、それぞれにちゃんと議会もあり長も居るのである。運ちゃんにジャカルタに県(Kabupaten)があるかなと聞いたが絶対ないと答えたが、実はプラウスリブが市と同格のKabupatenなのである。
そして驚いたことにこの島々を南北二つに分けた郡があり、又その郡の下にそれぞれ三つのkelurahanがあるのである。
ついでにこれらの長のインドネシア語は上からGebernur – Wali Kota(市長)及びBupati(県知事)-Camat(郡長)-Lurah(村長)である。村長にはKepala Desaの呼称もあるがこれは多分地方の農村地区ではないだろうか。それと付け加えなければならないのはDKIの下は本当の意味(自治体)の市(Kota Madya)ではなく行政市(Kota Administrasi)と言われる。しかし市長は同じくWali Kotaであり立派な市役所がある。違いは市議会(DPRD)がないことである。

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2012年11月 5日 (月)

BKPM 認可状況追跡サービス

と又変なニュースが出ていた。昔、1996年頃は申請後7日程度で取得できたので、追跡調査も要らなかった当時を知っているのでおかしな話なのだ。その上、多分動乱後だったかその様なサービスが開始され本館の入口左にデスプレイがおかれたが、その後このジュークボックスみたいな設備は壊れ死体をさらしていたことも思い出す。
ワンドア・サービスも同じである。昔は将にワンドアだったのが、労働省、財務省、商業省等に食いちぎられたあとの再生復活だったので、一向に進歩は感じない。
ただITの進歩でBKPMのウェブサイト< http://www.bkpm.go.id >にアクセスし、登録番号を入力することで営業許可などの登録手続きの進行状況を確認できるとのことである。
これも登録が大変だったりするのでやっぱり直接担当者の所に行けた昔の方が良い。
その左手をずっと入る所に昔データ管理部署があり、前月の許認可状況を、株主、総投資、業種、資本金など明細をこちらの要望通りにデータを加工してくれる所があった。 スハルト時代は良かったと回顧する一つの話であった。

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2012年11月 4日 (日)

11月のジャカルタ

1日成田を発ってジャカルタに入った。冬の天候というか上空の状況が良くないので、高く4万フイート(1万2千?m)を飛び、時間もかかるので遅れるとの放送があったが、当初の時間通りの到着であった。ただ季節の関係か以前5時20分ごろの到着便であったが前回も含めスクジュールは長めになって6時5分である。

ジャカルタはどんより曇って翌日のゴルフは小雨から曇天の中、日曜日も写真日和とはならなかった。

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ブラックベリーを買う事を思い立ちMall Ambassadorに行ったが以前閑古鳥が鳴く中級モールは隣のWTCと橋(Jembatan2)を掛け合体し広く、全館携帯ショップ然となっており非常な人出であった。昔と比べて中産階級の増加が実感できる。

SonyのプロモーションブースにひっかかりソニーのXPERIAがなんとなく気に入り買う事になったが、とんでもないものを買ったのではないかと思ったこともあったが、今はこれでいいんだと韓国とカナダを抑えることができたと悦にいっている。 現在使っているEメールのAuは日本だからダメとか言われ、結局Gmailでインターネットする羽目になっている。NISHIMI.KYOHEI@GMAIL.COM である。冗長で有名な取り説・ガイドブックが殆ど用意されてなく、結局渋滞の中、3回も行き、合計交渉・質問・設定等の時間は合計10時間にも及ぶ週末であった。
XPERIAは12百万画素もあり、丁度買い換えようとしていたデジカメの代わりにもなるのが決め手だったか。。

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2012年11月 2日 (金)

イスラムのファッションHijab大国

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インドネシアでは近年イスラムのファッション Hijabを着用する女性が増えてきており、雑誌Nor等で、ヒジャーブの写真に何度も引かれる物を感じて来たが、最近インドネシアのヒジャーブの状況がなんとなく解ってきた。 インドネシアのイスラム人口は世界トップであるがその保守性から地味であった。近年は、元々の芸術感覚が高く又織物の文化度も高い事から認識されて来た。シンガポール、マレーシア、パリがイスラムファッションの根拠地として名をはせて来た中で、インドネシアの業界団体は2020年にはインドネシアが世界のイスラムファッションの首都へなるべくそのロードマップを設定した。そして先のパリにおける展示エベントで164ブースも出店しその存在を誇示した。エポックメーキングはイスラム美人コンテストで最終20人に選ばれた中で一人を除いて皆インドネシア人であった。 
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よく観察しないと解らないがインドネシア特有の簡潔ジルバブと大胆、色鮮やかなヒジャブは異なるのか或いはそのモデフカシだろう。進歩したその巻き方などもインターネットで見かけた。

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