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2012年12月の投稿

2012年12月31日 (月)

日本企業の勝負どころ 

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インドネシアの投資環境の今年1年を振り返ると:日本自動車企業の大規模連続投資に沸き立った企業進出に、地方銀行も我を忘れたインドネシア詣でを繰り広げたが、中盤、政府の諸規制に冷や水を浴びせられ、目を覆う労働者のデモと賃金の攻勢は最早と思わせるものもあったが、小休止も挟んで、年末締め切り間際に飛び乗り乗車もあったと言う感じである。 今年進出した企業も3年内程度で投資の果実を収穫してほしいものだ。日本をみると非生産的な産業だけが、残っていく感じでテレビも料理・医療・ライフスタイル中心で芸能人とメデイア人の大活躍である。
12月 インドネシア投資環境トピックスを拾うと;
12/29 来年オフイス賃料35%アップか
12/28 トーメンエレ、グループ会社と合弁設立
12/28 大阪製鉄、国営製鉄と合弁事業
12/28 20年に経済規模トップ10入り、英調査機関
12/27 DIC、現地顔料メーカーの主要事業買収
12/27 トヨタ車体と関東化成、車両部品の新会社設立
12/27 新日鉄住金、国営製鉄と合弁で車用鋼板製造
12/27 キューピー、現法設立
12/26 和食さと、来年に合弁会社設立
12/20 三井金属開アクト、製販子会社設立
12/19 ファミマ インドネシア500店計画、世界40,000計画(2020)、2号店オープンで。
12/19 タックスホリディ:ユニリーバ・オレオとチャンドラアスリ・ブタジェンの2社
12/18 国営ベトナム航空直行便 ジャカルタ発、週3便
12/18 ブルーバードダクシー来年1万台増やす計画、上場したExpress 利益像49%U
12/17甲信工業が初の生産拠点、来年稼働、
12/17 青山製作所、エフテックも。
12/14 オフィス賃料が14年に8割高:C&W予測、来年は2桁上昇
12/14 駐在員生活費、首都は32ランク低下の123位
12/13 3ケ月連続10万台、新車販売100万台達成
12/06 三菱電機が販社設立、15年度に売上2倍超
12/11 ブルームバーグ、地元社とテレビ放送開始
12/10 国営石油、三菱商事と石化施設建設で覚書
12/12 繊維のGSIクレオス、来月に現法設立
12/09 アジア太平洋地区でもっとも有望な不動産投資先ランキング、ジャカルタ1位
12/07 首都で偶数/奇数番号別自動車通行規制案再浮上、来年3月から実施か。
12/05 小売売上高指数、5カ月連続で2桁上昇、年13%アップか
12/05 汚職透明度ランキング:世界176ヶ国中118位、前年100位からランクダウン。
12/05 外国の機械メーカーはイ国内に工場設置を:機械輸入の拡大防止:工業省。
12/04 月島食品工業、インドフードと合弁でマーガリン生産へ。
12/04 労務裁判官贈賄容疑の日本人前社長に禁固3年、罰金2億ルピア判決。

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2012年12月30日 (日)

海外雄飛の日本人

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NNAの韓国の今年の10大ニュースによれば韓国への外国人(観光)入国者数が10百万人を超えたニュースが
あった。堂々たる第2位であるから、第2位としたNNAの気持ちが伝わってくる。と言うのは日本はどうかと言うとそれ以下である。 2010年でも前者が8.7、日本8.6 (以降百万を省略)で後塵を拝しているし東北大震災で減少した為2012年は差が出ているだろう。2012年の実績の把握ですら前者は直ぐ解るのに日本は解らない。(日本は単月ながら詳細ではある)、インドネシアも累計が毎月発表されており、今年は多分7.7百万くらいだろう。日本は若干政府の支援策が少ないのであろうか。特徴的な数字を解る範囲で見て見ると;
① 韓国の入国者数トップはやはり日本で3百万、中国が30%アップと急伸し底上げに貢献か、日本の韓流のぼせ過ぎかとも思われる。しかし最近は日本が減少しているので年間に延ばせば日本2.5、中国3.6となろうか。
② 日本への入国トップは韓国で2010年2.4、中国1.4、台湾1.3であるので、日韓近隣関係もそこそこ正しく反映していると言わざるを得ない。むしろ動向留意は中国であるが、台湾には有難うと言いたい。
③ 米国からのお客は共に60万人程度で共に5,6位ではないだろうか
④ 韓国での国際会議の開催数は世界6位。 中国人へのVISA簡素化も奏功か
⑤ 韓国の入国と出国はほぼ同規模(10 :10程度)、日本は出国者数が2倍強(8 :16)
⑥ 世界的傾向をみると先進国たるドイツ(26 :72)、英国(28 :58)と出国が圧倒的に多い。規模はEUの関係で大きい。一方フランスは(76 : 21)と逆であるのは圧倒的観光国の故か
⑦ 世界大国たる米国でも59 : 69で出が若干多いが中国は55 : 47で入が若干多いが合計すると1位、2位と規模はダントツとなる。
⑧ 発展途上の東南アジアは未だ入が多い。マレーシア 24 : 4?、タイ15 : 5、シンガポール 9 : 7、インドネシア7 : 6である。マレーシアに注目である。
日本も空港設備を改善し、荷物チェック申告をやめ、政府のVISA簡素化、その他支援策を求めたいが、若い人がどんどん出て行き国際化しながら、出て行く人が行った先で日本の宣伝になるようなことをやれるようになってほしいものだ。 自分から反省しろということであるが。

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2012年12月29日 (土)

インドネシア労働省の調査に入られたら

インドマルコ社 「インドネシア企業経営」 12月号の目次は以下の通り。労働省の調査に入られたらの他、アウトソーシング規定の改訂、4月から実施の税額票管理法など、インドネシアの経済、会計・税務、諸手続き等の法令の紹介など満載。
詳しくはメールアドレスrisa@indomalco.com又は k2433@ae.auone-net.jp或いはwww.indonesialink.net/indomalco/に照会下さい。
1. 今月の経営情報・事例研究 枚 頁
  1 ) インドネシアの 今月の税務法令アップデート 3 2
  2 ) インドネシアの 今月の経済法令アップデート   6 5
  3 ) インドネシアの 会計原則 162 (財務諸表の表示) 5 11
  4 ) インドネシアの 税額票の形式、記入・発行・訂正・取消等の方法・手続 6 16
  5 ) インドネシアの 一部作業のアウトソーシング規定の改訂 4 22
  6 ) インドネシアの 2012年投資環境トピックス総集編 6 26
  7 ) インドネシアの 非課税或いは課税される労働分野のサービスの例示 3 32
  8 ) インドネシアの 2013年主な州・県/市の最低賃金速報 1 35
  9 ) インドネシアの 首都の環境管理監視誓約書フォーム アップデート 4 36
  10 ) インドネシアの 移転価格税制と相互協議 その2 3 40
  11 ) インドネシアの 労働省の調査に入られたら パート3 2 43
  12 ) インドネシアの ルピアのデノミネーション 1 45
  13 ) インドネシアの 農業省からの作物製品輸入推薦状の取得手続き 3 46
  14 ) インドネシアの 今月の労働関連トピックス 2 49
  15 ) インドネシアの 投資活動報告(LKPM)に対する見解書 一例 1 51
  16 ) インドネシアの 零細企業、小企業及び中企業法 最終回 2 52
   
2. 今月の政治・経済情報  
  1 ) 2012年11月度 下旬 政治・経済トピックス メール配信 2 54
  2 ) 2012年12月度 上・中旬 政治・経済トピックス メール配信 4 56
  3 ) 物価・貿易12年12月発表 メール配信 1 60
   
3. 暮らしの随筆・その他  
  1 ) 橋本政彦 「明日の街角84~ネットワークの進化とその未来」  2 61
  2 ) 広沢勉 「キーボードと通信手段の変遷」 2 63
  3 ) 西見恭平 「バタビア旅行案内 附:バタビア路線図」 5 65
   
4.今月の金融・経済関連データ  
  1 ) 今月の月次経済指標 2011-2012トレンド メール配信 2 70
  2 ) 今月の会計・税務用換算レート メール配信 1 72
  3 ) 今月の為替株式金利の動き メール配信 1 73
      ニュース性のものについてはご希望の方にメール配信もしています。 00kali_besarjul08_11


   
表紙写真:首都カリブサールの東側に立っているオランダ時代の建物で、現在は当時のオランダ保険会社を接収した国営損保Jasa Raharjaが入居している(Jasa Raharja本社はRasuna Saidにある)。


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2012年12月28日 (金)

ここにもG30S犠牲将軍邸

Wifi設備が付いたスロパティ公園だが駐車する場所がない。周りは米国大使公邸(公使公邸もあったか)やDKI知事公邸などに囲まれている上警察常駐詰所もある。
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少し遠いが昔のメンテン・サッカー場(メンテン・スポーツ公園)横の4階だての駐車場ビルが安全だろう。そこからチョクロアミノト通りに出てオバマ少年像が引っ越したオバマ大統領ゆかりの小学校がある、Jl.Besukiを抜けるとスロパティ公園である。このJl.Besukiには他に9月30日事件で倒れたスプラプト将軍の自宅がある。あれから47年になるので自宅が有ると言うより住んでいた場所がここだと言う方が適切であろう。ここと言うのはこれもあやふやでこの200メートル程度の道の左側である。 番地は19番地なので解る筈であるが表示がないのと、もう何代かに渡っているので確定は出来ないようだ。17番地の横当たりは空き地となっているのでそのあたりだろうが、市はこれを文化遺産としているのであろうか。彼の名前を冠した道路もあるがスネンからチェンパカ・プティに向かう道で何の関係もない。 彼は1920年生まれのジャワ人でオランダ士官アカデミーを卒業したが独立後TKRに参じイギリス軍と戦った。ゲシュタプで犠牲となった将軍(4将軍)の一人で陸軍大臣の第II副大臣であった。 S.Parman将軍と同じくルバン・ブアヤに拉致され殺害された。
写真は建築直後の駐車場オバマ少年像のある小学校(門の隙間から像が見える)とJl.Besukiの別の風格ある住宅

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2012年12月26日 (水)

世界の中の渋滞 ジャカルタ自然風景

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ジャカルタの渋滞が及ぼす社会的損害は年間68兆だとか、市の今年の予算が46兆故信じられない数字である。この渋滞ぶりは世界一だろうと思うと案外そうではない。サンパウロ・北京・もう卒業したとばかり思っていたバンコク辺りがやはり上の様だ。しかしジャカルタは時間を見計らう、外回りをする、側道或いは低速レーン場合によりバスレーンを使用すればすいすいと行けるし、未だ渋滞で気が狂ったことは少ない。バンコクの保有台数7.2百万に比べるとJKTは未だ1/3(東京は4.4とか、時点は1年程度の差はあるが比較は出来る)程度故、うなずける。シンガポールは渋滞知らずのようだが、やはり早くからの保有規制や税金で乗り切り公共輸送への切り替えが出来たからである。これから本格的に自動車保有が進むジャカルタはPrivate Transportation(金持ち)を優遇しPublic Transpotation(庶民)を無視してきたツケがあるが、更にこれを続けるともう手遅れになる。JokowiはMRTに逡巡しているが、ここに1メートルの洪水が入るとどうなるかと洪水対策もやらねばならぬので同情出来る。自動車のプレート番号と日付の奇数偶数で乗り入れ規制をするというが、電子チェックを導入するにしても規制は今よりどっちもどっちであり、規制すればその警官の活動が渋滞を生む。自動車の課金制度が公共機関への建設ファンドになるとか、不動産開発にも課金する或いは敷地の提供義務付けとか強権が必要だろう。政府機関がMonasに集中しているのも問題であろう。農業省はDepok近くにあるように工業省はKarawang辺りにあるとかUrban対策も考えねばならない。それは華人グループが早くからやって来ているが政府が気付いていないようだ。写真は撮るつもりでなくとも飛び込む渋滞

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2012年12月25日 (火)

Jonathan Michielszとは知っても最早

プラサスティ墓碑公園のオランダ人の物語であるが殆ど1年ほど空白であった。大富豪シリーズで3人登場させたあと、あと一人いることは頭にあったが、少しデータも出て来たので今日彼を登場させよう。Jonathan Michielszである。最後のZはZohnだったか息子の意味である。
彼も富裕な商人で最後のマルダイケルとも言われる。Mardijkerとはポルトガル語を話す黒いポルトガル人でポルトガルがアジアに勢力を張った時代のアフリカやフイリピン出身の兵士である。彼は18世紀オランダ政庁に武器を調達する武器商人として財をなした。
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一族の墓石が有るはずであるが、このことはここの薄汚いミュージアムに張り出された紙で知った。
墓石には巣作りのツバメが描かれており、これは繁栄の象徴でツバメの他に繁った木が休息を、六角星がハーモニーを、山が聖地を意味するそうだ。紋章入りの棺桶が正面の入口全面に多く飾ってあるが、小生のアルバムでは見つけられなかった。再度訪問して発見したら後で補充しよう。彼の財産は息子Augustijn Jonathan(1769-18339が引き継いだ。かれはMayor Jantjeと言い又別の話がある。

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2012年12月24日 (月)

ムルデカ・バラットのビル

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ムルデカ広場の4周を囲む通りには多くの古い建物或いは政府の建物がある。特にムルデカ・バラット(西周)が多いがその建物を北からなぞると次のようになる。

Merdeka Barat 1  Berdikari PT Persero  
Merdeka Barat 2  Kasum TNI Kantor Berita PAB
Merdeka Barat  3  国民福祉調整大臣府 Kesra
Merdeka Barat 4-5 RRI ラジオ・リパブリック・インドネシア
Merdeka Barat 7  経済担当調整大臣府
Merdeka Barat  7  憲法裁判所 
Merdeka Barat 8  運輸通信省 perhubungan
Merdeka Barat 9  通信情報省 Komunitasi Informasi
Merdeka Barat 12  国立博物館
Merdeka Barat 13-14  国防省
Merdeka Barat 15 治安諮問委員会
Merdeka Barat 15  政治治安法務調整省
Merdeka Barat 15  女性強化省
Merdeka Barat 17  観光・創造経済省
Merdeka Barat  21  インドサットIndosat

この最後の観光省とインドンサットの間に新しいオフイスビルが新たに立ち上がったが、この間行った時は、守衛にバクリーだと教わったが、どうも騙されたのではと思っている。 どう探しても保有者は不明であった。隠す必要はないとおもうのであるが。 誰が、保有してうまい汁を吸っているかが解らないのがホテルもそうだ。
日航ホテルは契約切れとか採算不良で仏系に変わったが保有している人は不変であろう。

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2012年12月22日 (土)

影の億万長者

ファミマのパートナーは石鹸等日用品大手のWings (Wings Surya)グループでフランチャイズ形式である。Wings グループのリーダーEddy William Katuar[61歳]の個人資産は2009年、11億ドルでインドネシア第8位の大富豪にランクされている。彼は創業者Johannes Ferdinand Katuariの子息になるが、元々スラバヤで石鹸で起こした事業で良質安価をモットーに大手ユニレバーを追いこの分野では2位となる他、石油化学のUnggul Indah, 金融部門ではBank Ekonomi, ラーメンでもMie Sadapを持っている。
時点は個人資産と異なるが、Wingsグループの売上高ベース順位は2008年で第25位の$8.55億、ユニレバーが第19位の14.0億である。
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更に1991年頃は134位で推定1.6億ぐらいであるので、確かに追いあげた歴史であるが、小生にとっては気がつかないグループであった。
影の億万長者が必ずしも影の実力者ではないが、序に記すと、先日の影の実力者に関連して、昨日友人が彼は亡くなっていたという話がでたので急ぎ調べてみたら彼ではなく、Ibrahim Risyad氏の方であった。

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2012年12月21日 (金)

ブルーバード対エクスプレス 首都のタクシー事情

ジャカルタには30に及ぶタクシー会社がある。大昔はPresidentが日本人にはかろうじて使われていたが、悪人に凌辱され今リストにはない。最近のニュースから見ると最大手Bluebirdは現在タクシー17,000台運航しているが来年トヨタLimoで10,000追加しベンツも1,000台を320台追加すると報道されている。グループにはPusaka他があるが、Bluebirdはインドネシアでバンドン・バリ・ロンボク・マナド・メダン・スマラン・スラバヤ等10都市で運行している。2013年にはIPOを計画している。
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一方10月に上場を果たしたRajawali グループのExpress社は現在8,000台2015年までに15,000増やしてBluebirdを追いたい考えである。地方都市はまだ3市のみであるが、今年は9ケ月で前年比49%アップの利益590億ルピアを計上しているそうだ。昔はBluebirdのTEL794-1234を覚えていたが最近はExpress 2650-9000ばかりである。BB社は安全第1であるので少し物足りないが、EXPは名前の通りエクスプレス車が多く、自分の車ならハラハラするがタクシーならその感じもなく小生とリズムの逢う手頃感が良い。

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2012年12月20日 (木)

コンビニ競争に吉野家も

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11月ジャカルタに居る時、ファミマの2号店に行って来た。ジャカルタ新聞によると昨日ファミマの上田社長がオープン式典を上げたようである。隣がガラス・鏡張りのモダーンな吉野家でその隣が日本人社会がお世話になったコスモである。相乗効果で3店とも繁盛してほしいものである。
日本のコンビニはつい2~3日前、全部で6万店を超えたニュースがあった。これは日本だけであるので例えばこのジャカルタ新聞では上田社長はファミマ1社で、2015年には全世界25,000店にする方針だと言う。
ジャカルタはミニストップも進出するので大手がそろい踏みになる。既に話題にしたがジャカルタで3店が競合している地点なども見掛けたので競争は厳しくなる一方だが、これも小生の案だがジャカルタにある350の公園の市の整備方針に合わせて出店すれば350は確保できる。
ここのファミマは特に広くゆったりした商品の展示やゆっくり食事も出来るテーブル席も多い。コスモでも食べれるのでこの3軒で公平にふるまおうとしても無理だが、3軒とも遅くまで開けているので夜食もここでとればなんとかなる。この間は吉野家の牛丼を持ち帰りにしたが、結構美味しかった。

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2012年12月18日 (火)

影の実力者

今は亡きスハルトの盟友と言われるスドノ・サリムは、住んでいたシンガポールで今年6月10日に亡くなった。ブログでも「リム・スー・リオンの幽霊屋敷」として取り上げたが再度復習をしておこう。 彼は福建渡来の1916年7月16日生まれであるので95.11ケ月歳であった。Sudono Salim(Liem Sioe Liong林紹良:リム・シュウリョン)は23歳の時アモイから父兄のいるKudusにやって来て、マルクからシンガポール経由のCenkehの扱いから始め最終サリム・グループを創設、その中にはIndofood(ラーメン世界一)、Indomobil(スズキ、日野、日産、欧州勢でイ2位)、Indocement(セメント2位)、 Indosiar(TV)、BCA(国有化)、 Indomaret or Indomarco(コンビニ1位)、Bogasari(小麦製粉1位)を保有していた。
スハルトのデポネゴロ師団長時代からスハルトを支えた引き換えに利権を吸収してきたことは有名である1990年代隆盛時代に4人のGangと言われたDjuhar Sutanto、Ibrahim Risjad、Sudwikatmonoと協力しSalim Group帝国を形成してきたのであるがその始まりは同じ福建出身のLiem Oen Kian (Djuhar Sutanto)との出会いから始まった。
Djuhar ( Lin Wen Chiang とも:19 Mar.1928生まれ)は最初Four Seasと名乗り海軍に出入りしFive Starと名前を変え、この時 Ibrahim Risjadと知り合い3人グループ(Tiga serangkai )と呼ばれ、1967年スハルトの助言でDjuharはLiemと一緒にPT Waringin Kentjanaを設立、これがSalim Groupの生まれである。Pondok Indah住宅地開発のMetropolitan Kencana 4人でつくったものである。
1996年、スハルト崩壊前でSalim Groupはインドネシア国GDPの5%とか、500社、総資産100億ドルとか言われ、東南アジアトップの大富豪であった。直近では40社36億ドル)、金融危機に際し中核銀行BCAへの政府からの流動資金援助の返済で殆どの企業を手放さざるを得なくなり、その後の再生の力となったのは残したIndofoodであり3男のAnthoniの努力であった。
BCAの取り付け騒ぎの時資金を差し伸べたのが現在CTグループのChairul Tanjungであるとかその後の資産の買い戻しにはSalimの隠れた車と言われたHary Tanoesoedibjoであるとかの噂がある。(真偽未確認)
4人のギャングの現在はDjuhar 84歳 富豪78位、Sudwikatmono 78歳で逝く 54位、Ibrahim 78歳 41位であった。(金額は2010年)
後で調べたらIbrahim氏は今年3月亡くなっていたので4人のギャングで残ったのはDjhar氏のみとなっている。

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2012年12月16日 (日)

11月度 SBYの「安価な労働力に終わり」発言で終わり(その通り!)

11月の投資トピックスは10月の継続、最賃2百万台突破、日本の方が安価賃銀時代ももうすぐだ。 未だ続く政権汚職でぎくしゃく
11/1  ボゴールの競技場建設めぐる汚職で検査院が現スポーツ相と財務相の責任に言及
11/13 国有企業相を国会が召還、PLN社長時代のディーゼル発電機導 入に関する追求。
地場・欧州勢の勢い、言葉だけの日本に、日本スーパー「かもめ」も閉鎖
11/5  ジョンバン、モジョクルト、ラモンガンなど州内7県に14工業団地、 開発計画
11/7  ロレアル、ジャバベカに自社最大の化粧品工場完工、投資1億ユーロ
11/10 来年から非課税所得年2,430万ルピアに引き上げ:妻2,025,000ルピアに。
11/11 国民1人当たりの所得2025年までに16,000ドルに:経済調整相。
11/14 シェル、マルンダに潤滑油工場建設計画、年産能力12万トン。
11/15 メトロポリタン、チレボンでバジェット・ホテル「@Hom」着工
11/15 プルタミナ、ジャワ横断ガスパイプライン(総延長682.1km)総投資額12億ドル。
11/19 パレンバン(南スマトラ)でもモノレール建設計画。
11/20 CTコーポレーション、カルフール・インドネシア株60%取得し完全子会社化。
11/21 ベンツ、ボゴールでSUV「Mクラス」の組立ライン稼動、投資3千万ユーロ。
11/22 アグン・ポドモロ、バリやバンドンなどにホテル建設へ、2.1兆ルピア、仏アコー
11/22 ガルーダ航空、来年ジャカルタ~大阪路線就航計画。
言葉だけとは投資協力、業務提携、ちょい乗り、姉妹都市。(悪いわけではないが)
11/10 豊田社長が来イしSBYと会談、グループ6社の投資が今後5年間に計13兆ルピア

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2012年12月15日 (土)

ジャカルタ・ホテル予約はここ

Citilinkがバンコク・ベースのAgodaと提携しホテル・ブッキング業を開始したと言うニュースがあった。CitilinkとはAirbus-320SとBoeing737-400s、14機でJKTからバタム、スラバヤ、デンパサール等国内線を飛ばしている会社で以前はGarudaの子会社であった。 CitilinkのWebsiteでAgodaのホテルを予約できるシステムである。
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小生は何度かシンガポールに行くのにいつの間にかAgodaのメンバーポイントがあるが、ジャカルタのホテルカバーではトップの様だ。
バンコックベースとあったが、これは創業のアメリカ男性が1990年代初めにプーケットで始めたかららしいが現在は合併で米国の上場会社である。 ホテルを探す場合Googleは以下の様なサイトを表示する。上位は全部アメリカである。共通データの入手は出来なかったが小生ランキングは以下の通り。
Agoda 世界258,009ホテルをカバー、JKTでは259軒のホテルと提携
Booking.com米 世界257,500、140百万宿泊JKT162軒
TripAdvisor 米:JKT222軒
Expedia米:世界145,000ホテル 67百万宿泊
ジャパンクーポン 世界50,000ホテル
楽天:世界40,000ホテル
TravelJp:JKT106軒
HIS:JKT86軒
写真はAgodaのJKT トップのRitz Carlton Pacific Place

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2012年12月13日 (木)

銃弾に倒れたヤニ将軍の家も近くに

S.Parman 将軍の家の前の道 Syamsu Rizalは北のLembang湖水公園から降りてくるLembang通りが
交差する。この道路の南端はカリマラン運河と鉄道路線に添って走る道 Jl. Ratu Harhariに付きあたる。
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そのT字点にあるのが、S. Parmanと同じくゲシュタプの銃弾に倒れたYani将軍の家である。この家は現在
Sasmitalokaと言うミュージアムになっている。住所はJl.Lemban 59?、であり、Jl.Ratu Harhari 
No.65 である。彼の事績もS.Parman と同じブログで解説した。 

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2012年12月12日 (水)

手が冷たかった前原氏に一票

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総選挙をこの週末に控え、未だ何処に投票するかも決めかねていたが、今夕たまたま地元の駅前に選挙応援に来ていた前原氏と握手する羽目になり、決断した。一番の安心感は現実的外交を唄って居ることである。たとえ握手で右の手で強く握ろうとも、左手で殴る構えでは真の外交は出来ないという点である。又これ景気刺激の為に国債を発行し60年先の子孫に迄負担を掛けるより、クリーン・エネや教育分野等から元気を取り戻す方策は、もうこれ以上の借金に頭に来ている国民には喝采を送る何物でもない。今回の選挙では各党ともデフレ対策を打ち出しているが、インフレゼロが何故いけないのだろうか。2%等の低率のインフレ許容は、好景気と勘違いする見せかけである。
握手の時ちゃんと目を合わせたが、外国での金のバラマキもやめてくれと言った声は聞こえただろうか。ばらまきはやりたい国民だけで良い。 やれる余裕のある国民も居なくなったが。。
カメラマンが自分だと写れる訳はないが 握手はこのあとであった。

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2012年12月11日 (火)

無念のエスパルマン将軍の住宅

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この塀の特徴を見て、これはS. Parman将軍の家であったことを見抜いた人があったが、誰だったか、どこだったかトンと思い出せない。
S. Parman将軍は「高速道路名の英雄事跡」でブログしたが、この人が事件当日まで住んでいた所はJl Serang No.34と出ていたので探しまわったがこの通りの名前はその後変更されSyamsu rizal No.32となっている。この道はあのスロパティ公園のジャカルタ州知事の官邸の所からLembang公園方向に向かう道である。
9月30日事件で共産党に拉致された彼はハリム空港の奥のLubang Buaya鰐の穴で一番残酷な殺され方をしたのではないだろうか。今はPancasila Saktiとして記念公園となっているが、やはり目をそむけたくなる。
現在の家は海軍の少将A.H氏が所有しているが、彼は1992年、S.Parman氏の子息のLetjen. Suyonoより購入したそうだ。そうして市の許可を取って旧宅を壊し現在の新しい住宅を建築したそうである。その後DKI市のサイトで
この地には1930年ごろオランダが建てた住宅があり、それを軍が接収した後、Parman氏が住んでいたとして市の保護建物Bクラスに認定されていることを知ったそうだが、後の祭りである。

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2012年12月10日 (月)

シラットのJago、Jl.Sabeni

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TVでオードリーの春日がインドネシアを訪ねた番組が流されたが、二日目の昨日はインドネシアの武術シラットに挑戦するショーがあった。シラットは未だオリンピックの種目とはならないが近隣諸国では発祥を争う様な武術でSEAゲームではインドネシアが上位であるがベトナムが優勝したりする。
Mas Mansyur通りをTanah Bang方面に北上しKebonKacangの手前で左に折れる道にSabeniと言う名前が付いている道がある。Sabeniは日本占領時代のシラットチャンピオンであるがHEIHOから逃げた息子を追う憲兵隊に逮捕された。憲兵隊は彼に白状させる為日本軍の中の空手家と試合させることにした。試合はKarmat Rayaの憲兵隊本部で行われたが、かろうじてSabeniは勝つことが出来た。Siratが勝てば息子を許すとの約束であったが日本軍は更に相撲取りと試合させ、これも彼のとび蹴りに地を這う事となった。
オランダ時代、オランダ政府はシラット等の武術を禁じたが、民衆はオランダに隠れて何代もこの武術を残してきた。この武術はSi Pitung、Kiai Mojo、Jampang、H MurtadhoやEntongなどオランダへの反逆者を多く輩出してきた歴史があった。ブログにはプンチャク シラトの歴史うや同教え、更にPrabowoとGobelの戦い等がある。
写真はシラットの本部だと思うがTaman Miniに大きなSiratの会館である。

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2012年12月 9日 (日)

ヤンさんのホテルビジネス

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9月にアンチョールに行った時昔よく行ったHorison Hotel の名前が変わっているのを見かけたが、昨日、ヤンさんのホテルビジネスの記事で、このホテルはMercure Convention Center hotelという名前でJakarta Setiabudi Internasionalグループ(小生的にはJDC)のものだと解った。ただ昔ここアンチョ-ルに入ると直ぐにホテルがあり、こちらがJDCだと思っていたのであるがこちらは現在Raddin Hotelと言うホテルで関係あるのか不明のままである。JDCは90年代にバリに伊藤忠と共同でGrand Hyatt Baliをオープンしたがその後Mercure Resort Sanur やHyatt Regency Yogyakartaをオープンしている。JakartaのGrand Hyattはビマンタラだったと思うがその頃はHI前のマンダリンをやっていたと思う。
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数年前に自分のPlaza Mentenをホテルに切り替えFormule I ホテルをオープンしこの第2号はJalan Cikiniにオランダ時代のプールを保存するFormule IIを作っている。(このブログ「http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/19135/18815/51774383Hotel Formule 1 チキニの大プール」で紹介した通り) これがよかったのだろうか、今度はPOP!と言う名まえのホテルを展開するという。手始めにKemangに1号を2014年までににオープンしあとスマランやジョクジャにもオープンするという。これらはいわば日本で言えばビジネスホテルになるが、未だスターホテルも諦めた訳でなくSanurに5-Star ホテルを建てると言う。

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2012年12月 8日 (土)

インドネシア工業規格の規定も

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インドマルコ社 「インドネシア企業経営」 11月号の目次は以下の通り。の投資優遇税制 、移転価格税制と相互協議、工場機械の輸入関税便宜など、インドネシアの経済、会計・税務、諸手続き等の法令の紹介など満載。
詳しくはメールアドレスrisa@indomalco.com又は k2433@ae.auone-net.jp或いはwww.indonesialink.net/indomalco/に照会下さい。


1. 今月の経営情報・事例研究
  1 ) インドネシアの 今月の税務法令アップデート 4 2
  2 ) インドネシアの 今月の経済法令アップデート   6 6
  3 ) インドネシアの 会計原則 161 (関連会社に対する投資 3 ) 3 12
  4 ) インドネシアの 特定業種・地域の投資優遇税制 改定 6 15
  5 ) インドネシアの 工場機械の輸入関税便宜の申請準備 2 21
  6 ) インドネシアの 今月の労働関連トピックス 2 23
  7 ) インドネシアの 移転価格税制と相互協議 その1 4 25
  8 ) インドネシアの 輸入者登録が必要な品目早見表 2 29
  9 ) インドネシアの 投資企業の権利・義務・責任 3 31
  10 ) インドネシアの 税務の認証手続き 2 3 34
  11 ) インドネシアの 林業製品の輸出規制アップデート 6 37
  12 ) インドネシアの 会社設立手続きフロー 2 43
  13 ) インドネシアの 近代的小売店のフランチャイズ 2 45
  14 ) インドネシアの 首都のグリーンビルディング規定 1 47
  15 ) インドネシアの 零細企業、小企業及び中企業法 その3 2 48
  16 ) インドネシアの SNIに関わる2012年10月の工業大臣規則 3 50
   
2. 今月の政治・経済情報  
  1 ) 2012年10月度 下旬 政治・経済トピックス メール配信 3 53
  2 ) 2012年11月度 上・中旬 政治・経済トピックス メール配信 4 56
  3 ) 12年第3四半期GDP速報、物価・貿易12年11月発表 メール配信 3 60
   
3. 暮らしの随筆・その他  
  1 ) 橋本政彦 「明日の街角83~うらをみせ おもてをみせて」  2 63
  2 ) 広沢勉 「電気通信事業とクーリングオフ制度」 2 65
  3 ) 西見恭平 「RRIラジオ・リパブリック・インドネシア物語」 3 67
   
4.今月の金融・経済関連データ  
  1 ) 今月の月次経済指標 2011-2012トレンド メール配信 2 70
  2 ) 今月の会計・税務用換算レート メール配信 1 72
  3 ) 今月の為替株式金利の動き メール配信 1 73
      ニュース性のものについてはご希望の方にメール配信もしています。    
表紙写真:南スラウェシ州マカッサル市内に残るロッテルダム要塞内の建物群。同要塞は、元は1545年にゴア国王によって建てられたウジュンパンダン要塞で、1667年にオランダに攻められていったん破壊された後、オランダ植民地政府によって再建され、ロッテルダム要塞となった。日本軍の占領下では語学学校などとして利用され、現在は博物館などとして使用されている。


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2012年12月 7日 (金)

ダンドゥットのセレブ Ikke Nurjanah

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Rhoma Iramaの大統領立候補に付いては関係者のコメントが付いていたがその一人Dangdut歌手のIkke Nurjanahの写真がダンドット歌手に似ず少し理知的でもあったのでアップしてみる。C&RとKapanlagiとMotodream。comからである。ダンドゥットの芸人には協会(PAMMI)があるらしく彼女は未だPAMMIで話してないのでコメントはできないが社会に良い限りどうぞと言うしかない。未だ公式ではないので成り行きいを見たいと答えていた。
彼女の歌をYou Tubeで探したがTerlenaはStandardの1曲だと思われ、Cinta Dari DilemaかAir mata Pengantin等が耳を引いた。 そうだRhoma の副大統領パートナーは思い切ってDangdut界から選んだらどうだろう。 NOコメントとした後一人の歌手Inul DaratistaよりYou Tubeでのデュエットで目についたRita Sugiartが良いかもしれない。

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2012年12月 6日 (木)

CapresとCawapres 大統領選2014

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先月中旬ごろあのダンドゥットの王(Raja)がインドネシア国の大統領になる意志を固めたと言うニュースで盛り上がっていたが、未だどうなるのか進展はないようだ。彼はVoice of Muslimを率いて大衆をバックに人気を博しイスラム政党PPPにたってスハルト批判などをおこなっていたが、今回イスラムの重鎮達 UlamaとHabibiから全面サポートを受け、ファンの声も聞いて意志を固めたと言うが、肝心の法的条件を満たしていない。 現在の大統領候補者の条件は投票者の15%を得た政党に支持されねばならないが、彼自身はゴルカール等の民族グループに傾斜しており未だどの政党に立つのか決っていない。しかし最近ではPKBやPKSが触手を伸ばしているようだ。 1946年タシクマラヤ生まれであと5日で64歳の誕生日を迎える。、インドネシア人口135百万ごろから同名のダンドゥットを唄っていたので長い歌手人生である。現在の候補者にはKallaさん77歳、Prabowoさん61歳、Hattaさん66歳、バクリーさん64歳、メガさん68歳が取りざたされているが、人気度ではどうであろうか。名前が挙がっている人は36人も居るようだが、応援したいSri世銀理事も政党のバックがない。
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誰と組むかも問題だ。Wapresを探すのでなく、Capres如何では可能性も出てこようが彼にはやはりあのイスラム装束に身を固めた姿の方がりりしいと思うのだが。。

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2012年12月 5日 (水)

Kunstkringの再変遷

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このTeuk Umar通りの端にある典雅な建物はこのブログでも何度も取り上げその変遷を見て来たが、この間11月に見た時は、この建物が生まれた時の名前Kunstkringに戻っていた。トミーさんが保有していた時はあの動乱と重なり長く放置され小生もオランダ時代の建物の博物館にしたらどうだろうとつぶやいたが、その後物議をかもしたDKI幹部?のBuddah Barとなり、これが取り壊されていたものである。
多分オランダ政府が関わってのKunstkring(芸術文化センター)の復活だと思うが、現在の2階はちょっとしたスペースでVideoを見ながらコーヒーを楽しめるミュージアムになっている。余り見る物はないが食事も出来ると言うのでパソコンでも持ち込んで時間つぶしをしたら如何であろうか。何度もこの建物の変遷を書いても重複する部分が多くなるのでこのブログの変遷でいくつか紹介しよう。
Boplo近くのKunstkringは何 2007年5月9日
バタビア芸術センターとバリ文化 2007年5月13日
Moojen、Pieter Adriaan Jacobus 2008年7月9日
PAJ MoojenのNillmijの Grandeur 2008年4月30日
Buddah Barは残念 2009年3月3日
Kunstkringの変遷 2009年3月6日
Buddah Barはギャラリーに2011年4月25日

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2012年12月 4日 (火)

さすがの富士山に感動

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今朝は東京はずっしりした曇り、帰りは雨になるだろうと言うので傘を持たずばなるまいが傘がないのでクリーニングの袋をはがし万が一の傘として8時25分に出掛けた。 11時の新幹線ひかりを目ざし、予定通り8時半の東西線に乗り込む、一駅でPriority Seatをキャッチ、大手町から八重洲一番街の手前の新幹線切符売り場に一歩も無駄なく到着、早く着き過ぎたので1時間早めの10時のひかりとしたが何と9時20分の列車も9時26分の列車も使えることが解り、時間の感覚がおかしくなった。 よく考えると渋滞や待ち時間など考慮に入れすぎたことが解った。
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ビールを飲みながら曇りの外の風景をみながら、熱海を過ぎるころから空が明るくなってくるのを感じて、ひと山を巡ると,期待もしてなかった富士山を拝むことが出来た。これでも小生の初めての富士山の写真である。フラッシュをオンしてはなかったのであるが列車内から撮るとガラスにフラッシュが反射して失敗作ながらトリムしてやっと一つだけ見れる写真になった。今日は と言うはなしだけ。

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2012年12月 3日 (月)

経済調整大臣府 エクイン

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小生位の年代だと現在の経済調整大臣府はEKUINと呼ばれバンテン広場の財務省宮殿にあった時代を知っている。一度足を踏み入れた時はRadius Prawiro大臣だったと思う。現在はいつの間にかMerdeka Baratの憲法裁判所の横に後ろのビルを背中に妙な造形を作っている。EKUINとはEkonomi、Keuangan、Industriの略で1966年最初にハメンクブオノ IXが主宰した。
経済担当調整大臣という名まえは2000年からで経済分野の政策の編成でシンクロ、調整,監理する役目を持っている。現在はEKUINではなくEKONかな。
調整大臣を現在から遡るとCabinetの歴史を辿れるが色々な人が居てその時代を思い出させる。
IR. HATTA RADJASA、Kabinet Indonesia Bersatu II、2009 s.d. sekarang
SRI MULYANI INDRAWATI、Kabinet Indonesia Bersatu I、2008 s.d. 2009
PROF. DR. BOEDIONO、Kabinet Indonesia Bersatu I、2005 s.d. 2008
IR. ABURIZAL BAKRIE、Kabinet Indonesia Bersatu I、2004 s.d. 2005
PROF. DR. DORODJATUN KUNTJORO JAKTI、Kabinet Gotong-royong、2001 s.d. 2004
IR. BURHANUDDIN ABDULLAH, M.A.Kabinet Persatuan Nasional、12 Juni s.d. 19 Agustus 2001
DR. RIZAL RAMLI、Kabinet Persatuan Nasional、2000 s.d. 2001
DR. KWIK KIAN GIE、Kabinet Persatuan Nasional、 (EKUIN)、1999 s.d. 2000
PROF. DR. GINANJAR KARTASASMITA、Kabinet Pembangunan VII、Kabinet Reformasi Pembangunan、 (EKUIN)/Kepala BAPPENAS、1998 s.d. 1999
PROF. DR. SALEH AFIFF、Kabinet Pembangunan VI、1993 s.d. 1998
DRS. RADIUS PRAWIRO、Kabinet Pembangunan V、1988 s.d. 1993
PROF. DR. ALI WARDHANA、Kabinet Pembangunan IV、 (EKUIN dan WASBANG)、1983 s.d. 1988
PROF. DR. WIDJOJO NITISASTRO、Kabinet Pembanguna II&III、 1973 s.d. 1983
SRI SULTAN HAMENGKUBUWONO IX、Kabinet Dwikora III、Kabinet Pembangunan I
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Medan Merdeka Barat (No7)の正面には確かに経済担当調整大臣の石碑があるので間違いはないはずであるが、あのダーンデルス宮殿からは財務省自体もとっくの昔に出て行ったので今誰が使っているのであろうか。 今もって多くのsiteであのダーンデルス宮殿をMenko Ekonだとしている所を見ると使い分けしているのかもしれない。

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2012年12月 2日 (日)

アマリスで生き返るか幽霊レストラン

ジャラン・ジュアンダのパダン料理店Sari Minangの隣の20年以上屍をさらしている西洋レストランの話は「ジュアンダの都市伝説」で昔ブログしたが、その周り(後ろと横)に建設中であったビルが先月末完全に姿を現していた。 
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Mataram Majuという名前が貼ってあったのでその様なグループのオフイスと思っていたが何と Amarisホテルであった。Amarisホテルはブロックーエムにも大分前に立っており、これも「ブロックMのホテル・アマリス」で紹介した通りグラメディア・グループがやっているのでMataram Majuとの関係は不明である。
アマリスは飛行場に行くと高速脇にもあり、又マンパンにも高いアマリスがある。この道は殆ど行かないのでついでにアップしておこう。それにしてもこの幽霊レストランはどうするのであろうか。
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アルバムを整理していたらあとひとつ見つけた。Kramat Rayaであった。他にのコタにある。

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