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2012年12月18日 (火)

影の実力者

今は亡きスハルトの盟友と言われるスドノ・サリムは、住んでいたシンガポールで今年6月10日に亡くなった。ブログでも「リム・スー・リオンの幽霊屋敷」として取り上げたが再度復習をしておこう。 彼は福建渡来の1916年7月16日生まれであるので95.11ケ月歳であった。Sudono Salim(Liem Sioe Liong林紹良:リム・シュウリョン)は23歳の時アモイから父兄のいるKudusにやって来て、マルクからシンガポール経由のCenkehの扱いから始め最終サリム・グループを創設、その中にはIndofood(ラーメン世界一)、Indomobil(スズキ、日野、日産、欧州勢でイ2位)、Indocement(セメント2位)、 Indosiar(TV)、BCA(国有化)、 Indomaret or Indomarco(コンビニ1位)、Bogasari(小麦製粉1位)を保有していた。
スハルトのデポネゴロ師団長時代からスハルトを支えた引き換えに利権を吸収してきたことは有名である1990年代隆盛時代に4人のGangと言われたDjuhar Sutanto、Ibrahim Risjad、Sudwikatmonoと協力しSalim Group帝国を形成してきたのであるがその始まりは同じ福建出身のLiem Oen Kian (Djuhar Sutanto)との出会いから始まった。
Djuhar ( Lin Wen Chiang とも:19 Mar.1928生まれ)は最初Four Seasと名乗り海軍に出入りしFive Starと名前を変え、この時 Ibrahim Risjadと知り合い3人グループ(Tiga serangkai )と呼ばれ、1967年スハルトの助言でDjuharはLiemと一緒にPT Waringin Kentjanaを設立、これがSalim Groupの生まれである。Pondok Indah住宅地開発のMetropolitan Kencana 4人でつくったものである。
1996年、スハルト崩壊前でSalim Groupはインドネシア国GDPの5%とか、500社、総資産100億ドルとか言われ、東南アジアトップの大富豪であった。直近では40社36億ドル)、金融危機に際し中核銀行BCAへの政府からの流動資金援助の返済で殆どの企業を手放さざるを得なくなり、その後の再生の力となったのは残したIndofoodであり3男のAnthoniの努力であった。
BCAの取り付け騒ぎの時資金を差し伸べたのが現在CTグループのChairul Tanjungであるとかその後の資産の買い戻しにはSalimの隠れた車と言われたHary Tanoesoedibjoであるとかの噂がある。(真偽未確認)
4人のギャングの現在はDjuhar 84歳 富豪78位、Sudwikatmono 78歳で逝く 54位、Ibrahim 78歳 41位であった。(金額は2010年)
後で調べたらIbrahim氏は今年3月亡くなっていたので4人のギャングで残ったのはDjhar氏のみとなっている。

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コメント

Liem Oen Kian林文鏡の父親が林紹良と同じ船に乗ってインドネシアにやってきた、という説もあります。
出身地は不明ですが、林紹良と共同で福清の工業団地に投資しているので、きっと福清出身でしょう。
どういうわけか、福清出身者は福建出身者と別行動で張り合うようです。
林紹良も福清学校を作ったくらいですから。
中国人が地縁を大事にするのは日本人には想像も付かないですね。

投稿: よし | 2012年12月20日 (木) 10時52分

福建と福清とは厳密には違うのですね
融僑とか言うことも知りました。

投稿: jakartan | 2012年12月20日 (木) 13時35分

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