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2013年1月の投稿

2013年1月30日 (水)

国産ミサイル艦就航

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先週末ジャカルタポスト誌にインドネシア国産のミサイル艦の3番艦が就航したニュースがあった。国防大臣、国軍司令官、海軍参謀長が列席していたので大ニュースなのであろう。速度30ノット、全長44メートルとだけ出ていたがPT.Palindoが建造したもので更に同型艦は2014年までに16艦揃える計画という。ミサイルは中国製である。国産軍艦はこれだけかと思うと他に60型ミサイル艦や掃海艇等結構あるのであるが主力となるとオランダ、ドイツ、韓国などからの輸入である。そして総艦艇数は海軍保有数で日本と同じ148である。日本のミサイル艇は7隻、はやぶさ型では速力44ノット、全長50メートル、標準200トンと出ていたが装備が断然違うと思う。

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2013年1月29日 (火)

インドネシア国家英雄は158人に

うっかりしているといつの間にかインドネシア国家英雄のアップデートを3年間も忘れていた。2009年に147人のリストを作ったあと万全を期して待っていたのであるが、毎年英雄の日に叙勲が行われる新規に生まれる国家英雄のニュースが聞こえてこないのである。ニュース専門の人に聞いても関心がないからだろうと冷たく言い放つ。確かにインドネシア人に聞いてもつい2ケ月前の11月に叙勲された人の名前を覚えていない。それもその名はスカルノ、ハッタである。不思議と思うであろうが小生の2009年のアップデートリストは1959年から開始されているのであるが、この二人がないのは、長い間スハルトにより叙勲はおろか名誉もはく奪されていたからである。 
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ハッタは巻き添えをくったと言えるかもしれないが、若干独立までの弱腰には批判もある。 名字の同じ調整大臣のハッタ・ラジャサのおかげかとも思ったが、子息ではない。子息は女性担当大臣になったMeutia Hattaである。写真はSCTVよりスカルノ側はメガワティも出席したが叙勲は長男のグントゥールが受けた。 この日アメリカ大統領の選挙ニュースと重なり、ニュースにはならなかったようだ。
と言う事で2010年Leimena他一人(Leimenaはブログにした記憶がある)2011年Sjafruddin Prawiranegara他6人と上記を入れて今全体で158名である。国民の多くが関心を失っているのであるからもうやめたらどうであろうか

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2013年1月28日 (月)

パッサールCipete 

Antasari のフライオーバーが開通して少しは渋滞がへったのであろうか 今日でも試してみたいがあのチプテ・マーケット辺りが未だ怖い。 00dsc_0212


よっぽど大きなパッサールかと思って一度写真を撮りに行ったが予想と大違いでこのマーケットはアンタサリ道路に添って建てられたバラック風の長い建物が一つあるだけのようだった。標識をみるCipete Selatanとありあと一つあるかもしれないしこの奥に屋台群があるのかも知れないが見にゆく勇気はなかった。この伝統市場を運営する会社はPD Pasar Jayaで全部で153か所有している。
ミステックやパッサールサンタは良くなったが殆どが古くリノベが必要である。周りに無数の屋台がありこのリロケートが問題である。BLOK-M でもこの移動作戦をこの間実施している。 Pasar Minggu、Pasar Rumput、Cempaka Putih 及びJati Rawasari の4ケ所はパッサールミステックの様に大型近代施設にする計画である。渋滞から言うと優先はJatinegaraの筈であるがここはもう着手したのであろうか。

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2013年1月25日 (金)

UKM Galleryでお土産ショッピング

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Gatot Subroto通りに1年ほど前建築なったあのドーム状の建物はモスクだと思ったがコンベンションホールであった。同じ敷地内にUKM GalleryもあるのでコンセプトはUKMつまり中小企業の発展を願う建物である。その左側の建物 UKM Galleryは伝統的な手工芸文化の保存の為の展示館であり、勿論小売販売もしている。1-2階はその集大成であるが、その上の階は州別の展示室となっている。
ちなみに3階はジャワの各州、バンテン、NTT 、南スマトラ州が展示し11階はAche、Yogja、DKI、NTB 等、13階はRiau、Maluk、等、15階はJambi Kalimantan Tengah、Sulawesi Selatan等等州別に展示している。飛び飛びになっているのは不可解であるが、このビルはガラガラで、オフイススペースを探している人が居れば聞いて見るのも価値があろう。ただ建築間もないのに窓ガラスは汚いしあちこち汚れ、破損が目立つ。インドネシアの場合中小とか組合とかになるとどうしてもそうなってしまう。
喫茶店が半開きであったが、子供の教育がてら半日くらいの予定で見回るのもいいかも知れない。マカッサルに立ち寄って日本へのお土産を2-3点買って帰った。

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2013年1月24日 (木)

緑のラーメン

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みどりレストランで緑色のラーメンを食べたと書いたが正確に思い出せないので後で電話で聞いたが余り要領を得ないが Mie Sayur(野菜)で野菜はmalangでつくられていることのみが解った。
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これで思い出すのは半年前位にスーパーで見つけたHealtimie Green Barley Noodleと言うものである。土産に買って食べて見たがそこそこの感じで又も韓国にやられたのかと思ったがこれは現地産のニューフェースが市場に出している。Barleyと言うのは袋に写真が出ているような麦のような細い葉っぱでこれが塗りこまれているようだ。又袋にはローファット、ハイファイバー、ハイカルシウムと唄われており、栄養食品でもある。
袋に生産者名がPT. Jakarana Tama、 Bogorとあった。

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2013年1月23日 (水)

緑の午後

小生のブログを見てミスティックのレストラン みどりに行ってくれた人が余り感銘は受けなかった様な話だったので又出掛けて見た。Midori_mystik_2

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土曜の午後はクロンチョンの楽団が入っており、多くの現地の人々がけだるい午後を楽しんでいた。6人編成であったが端のギターの人と時々目が合い、その内指名されるのではとか、チップも用意していたが、何事もなく過ぎて行った。 

みどりの緑色したミーでビールを飲んでいると隣の息子が御相伴に来てくれた。

フロア・マネージャーも優しいまなざしを掛けてくれた。早くいい写真をと思うといつも手元が狂ってしまう。

とにかくジャカルタは午後が素晴らしい。

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2013年1月22日 (火)

気象庁はここ

大活躍jなのか仕事ぶりの評価は小生には出来ないが、日本の気象庁にあたるBMKG ( Badan Meteorologi Klimatologi dan Geofisika)を昔、探しに出掛けとことがある。
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大昔の気象庁はアルヤドゥタホテルの前の廃墟http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/19135/18815/15652152をさしているが、この移転先に当たるのか、新しい気象庁はクマヨランにあるというのは住所録(Jl. Angkasa I No.2 Kemayoran Jakarta 10720、Telp. +6221-6546315、Email : info.meteo[at]bmkg.go.id)で知ったが、ここは クマヨランに入って直ぐなのに隅に奥まっているので気がつかない。例の大きな教会が持つ、Millenium Symphoniaの横に当たる。ここには車も入ってこないので閑静な所で、その中に大きな望遠鏡見たいの造形をかたどったビルがある。 よく考えるとこの設計や建築を施行した技術か財力には帽子を脱ぐべきである。
気象庁の歴史は1866年までさかのぼるというが意味はない。2007年からこの地域のサイクロンの予報活動に国際的責任を以て行っている。

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2013年1月21日 (月)

ジャカルタ洪水は6年置きに

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15日kali Malangの護岸工事をやっていたが17日に対岸のLatuharhariの方が決壊してこれがSudirumanからThamrinまで洪水にしたようで、SudirmanのUOB Bankビルなど地下への防水設備がなかったため地下3階の駐車場が泥水で満杯になったそうだ。これで二人のドライバーが車の中で亡くなって発見されている。3階が満杯と言うのは運ちゃんの話でさもあらんと思うと共にそれだけの水を1日では排水できたとは思えない。土曜・日曜は晴れであったが日曜日にゴルフに出掛けたプロマスはゴルフ場一面が海になっており、ロッカールームがある地下に入りこんだ水は大型排水ポンプ車が排水していたがこの1台では2日程度掛かりそう。
例のBMKGはこの土曜日曜はモンスーンを予報していたらしいがこれは見事に外れた。しかしこの予報は来週の週末もモンスーンの大雨を予報している。又当たらないでほしいがインドネシア全体がその様ななかにいるのは間違いなさそう。
今回の洪水は102の部落に渡り97,000家族が浸水し、18,000人が救助されたが12人が亡くなっている。過去の洪水と比較出来ると思うが未だやってない。過去を調べると1996年、2002年、2007年、2013年となりなんとなく5-6年間隔で起こっている。1996年は上の護岸工事のカリマランでランドマークが見舞われた記憶があり、2007年はベンヒル一帯(我がビルから友人がイカダで脱出)を覚えている。

土曜日現在の死者は14名に増加、水中漏電の感電死が多いようだが市では危険地帯は停電している。金曜日もB=Mで自分のアパートは昨日も含め3回も停電したのはこの為だったのか

月曜日現在では死者の数は20名になっている。被災者250,000人、 2007年の死者は7名だったようだ。

1月27日に国家災害対策庁(BNPB)が発表下数字では死者は41人、内感電し8名、溺死と病死が各10名であった。

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2013年1月19日 (土)

Pasar Santa今昔

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昔はこのスーパーや横の小道にビッシリあった果物屋、或いは裏側の酒屋などに買い出しに行ったものだ。それより頻繁に行ったのは裏に何軒かあったマーサージ屋である。目が悪い男のマッサージ師の店にも行ったがそこに彼らを指名する為の写真リストが有ったのを思い出す。よく行った辺りは大きなパッサールが立っており、それらのマッサージ屋が何処だったのか全く影がない。行くつもりも無いので突き詰めることもせずあとした。
スーパーの前の道はWalter Mongisidiの筈だが住所はCipaku 1である。裏の大きなビルは伝統市場を担当するPasar Jayaが運営するもので、バティック等衣料品から宝石類或いは食糧、日用品なんでもある。

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2013年1月18日 (金)

青年スポーツ大臣府は

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モナスのムルデカ・バラットから一人離れて事務所を構える数少ない省に青年スポーツ省(Kemenpola)があり、いずれ行こうと思っていた昨日、行くことにしたが、ここは昔来たことがあり、いつも通る道なのにその省とは思ってもみなかった。 とこれで行った日は丁度大臣がAndi Malaranggengかr Roy Suruyoに変わった直後で表にはお祝いのフラワー・ボードが二つあった。新旧大臣とも大統領の属する政党民主党の幹部である。大統領決定用の推薦リストには見かけなかったが大丈夫だろうか。前職はボゴールのハンバラン競技場建設に絡む汚職疑惑で、大統領直属の独立機関、汚職撲滅委員会KPKから召喚を受けていたもので、政権に迷惑がかかるとして辞職したものである。この汚職事件は、この前の元民主党幹部のムハンマド・ナザルディン(別の汚職事件で既に禁固4年半の判決を受けている)が暴露して発覚したもので大統領の膝元はもうグルグラである。大臣でいた方が追及がよわくなると期待出来るのかどうかしらないが、やめると追及は厳しく政権への打撃も出てこようと思うものの、この政権もあと1年故関係なしか。
新大臣はメディアに出たがりの品格が問題として青年スポーツ大臣には似つかわしくないと批判もあるようだが、良く見るとこのフラワーボードは二つともメディアからのものであった。


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2013年1月17日 (木)

ジャカルタ大海

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雨続きのジャカルタはチリウン川上流のボゴールのダムが満杯で少しずつ流さないと行けない段階に来ており、15日警戒1(Siaga 1)の中今日も雨は続いている。
天気予報はBMKGがやっているが 今日明日の事だけでおまけに日付は今日のことしか書いてない、これでは予報とは言えない。雨そのものは朝のうちSedang(そこそこ)、昼からRingan(軽い)と大したことはないがそれでもJabodetabek中に降り注げば怖いことになる。BMKGには全国の天気状況がでているが MedanとPontianakのみが曇りであとは雨である。その点有用なのは警察の洪水情報である。きずいた所以下があったが、空港アクセスのアウターリングも危ないらしい。
1. Gudang Peluru, Tebet, Jakarta Selatan, ketinggian banjir banjir 30-40 centimeter, dan masih bisa dilintasi kendaraan.
2. Genangan sepanjang 100 meter dengan kedalaman 40-50 centimeter di depan kampus Trisakti, Jalan S Parman, Grogol
3. Genangan sedalam 30-50 centimeter di depan RS Sumber Waras, Jalan Kyai Tapa, Grogol.
4. Genangan hingga 30 centimeter di depan kantor Dispenda dan Jembatan gantung, Jalan Daan Mogot.
5. Banjir 1,20 m di Pospol Ring Road Cengkareng, Mall Puri arah ke Cengkareng, tak bisa dilintasi kendaraan.
6. Banjir sedalam 50-60 centimeter di Jalan Pelita I, Tanah Kusir, Bintaro.
7. Banjir sedalam 80-120 centimeter di sekitar kampus Trisakti dan Mal Citra Land, Grogol, tidak bisa dilintas semua jenis kendaraan.
8. Banjir sedalam 40-50 centimeter sepanjang 150 meter di Jalan Arjuna Selatan-Jalan. Arjuna Utara (Universitas Indonusa Esa Unggul), tidak bisa dilintasi kendaraan
15日siaga1で急遽河岸工事をしていたKali Malang、写真には取れなかったが強引な工事のコンクリートの強さに驚く。

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2013年1月16日 (水)

南の新フライオーバー

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ブロックM のパサラヤ近くから南のCipete に向かうAntasari道路のフライオーバーが開通したと言うので前日の日曜日に見に行ってみた。この道路は何と言う名前かと聞いて見たらJalan Layang と言うのでLayang2 の凧とは風流なと思ったがこれは正式なFlyoverを表す単語であった。 Jembatan Layangとも、或いはJalan Layang non Tolとも言うがnon Tolは高速ではないし無料だと読み取れる。これが一般名なので ここは正式にはJLNT BlokM-Antasariという。開通は8月頃や11月にも予定していたが遅れていたのである。その上開通したのは下り線だけのようだ。夕方なら下りが混むのであろうが、どちらかと言うといつも込むのは上りである。 この線は4.8kmで予算約8,000億ルピアで2010年末から建築

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2013年1月15日 (火)

ヨアン・ファン・ホールン総督の時代

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富裕商人Pieter Janszoon Van Hoornの墓はプラサスティ墓地公園にあるが子供のJan Van Hoorn総督の墓はここには無いようだ。Jan Van Hoorn総督(b. 1653 - d. 1711)の時代は1704から1709であるがオランダ東インド会社の隆盛の時から徐々に陰っていく時代である。
彼の出生1953年前後から死亡の1711年時代背景を概観するとVOC会社の最初の黄金時代はクーンの良き後継者のジーメン総督の時代(第9代 1636 – 1645) である。マラッカのポルトガルを駆逐しマタラム・スルタンアグンとの関係好転し 次の堅牢な時代マーツオイケル総督(第12代 (1653 - 1678) で会社の高配当を続けた。その最後はトルノージョヨの反乱、バンタンの反乱の時代は14代 スペールマン総督(1681 1684 )その後スラパチの反乱はあったものの小休止の第15代カンプハイス総督(1684 – 1691)と 第16代ウィレムアウトホールン総督(1691 – 1704)時代の後が17代 Joan van Hoorn総督の時代となる。彼が総督になった年に第一次ジャワ戦争がおこるがこれなどは領土獲得に向けた仕掛けた戦争といえようか
Joan van Hoorn総督は 前任のウイルレム・ファン・アウトホールンWillem van Outhoornの娘婚である。又 ジャカルタ歴史博物館に行くと木彫りの標識に「このシティホールはJohn van Hoorn総督により1707年1月23日に再建に着手、Abraham van Riebeek総督の1710年7月10日に完成した」とある。

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2013年1月13日 (日)

墓地公園の怪奇

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久しぶりに行ったプラサスティ墓地公園であるが、正面庭を整備中で特例でパーキングを認めてくれたが公園の中は相変わらずの殺風景な荒れ地であった。真ん中辺りには樹木が倒れていたがそれは何日か前の強風のせいらしく一番大きな木は25メートルくらいある巨木で、案内人が言うにはこの根っこの下に白骨死体があったそうだ。彼はそれはオランダ人のものだと言っていたが、推定しか過ぎないだろう。既にどこかに埋葬しなおしたようで、いくつかの骨だったと言うので断定するものは何もない。 この墓地公園は今までに何度も整備されてきており、今頃何世紀か前のものが出てくるはずはないが、後から埋めたとすると機の根っこにには埋めにくい。埋めた後、木を植えたとすると栄養十分で巨木になったのであろう。とか、立ちあがって木を倒したなどと想像するともっと面白い。

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2013年1月11日 (金)

Mayor Jantjeの話

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タナア・バンのオランダ墓地公園に埋葬されているオランダ時代の富裕武器商人Jonathan MichielszからKlap Nunggaiの遺産を受けとったAugustjin Michiels(1769-1833).であるが彼はTitus Michielszという黒いポルトガル人の孫でもある。彼らは宗教をカトリックからオランダの新教に改宗する事の見返りに奴隷の身から自由な身に開放され、名前も変更出来た者である。MichielszはこのMardijkerの身分の一部族の名前であるがAugusstjinの時代に最後のzを捨てたもので、彼は又MayorとなりMayor Jantjeと呼ばれても居る。彼はオランダの「De Zwaluwen van Klapanoenggal」と言う小説にもなったがCiteureup一帯に最大と言われる土地を保有していた。
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彼のバタビアの住居はMardijkerたちが多く棲んでいたSemper Idem地区(ポルトガル教会Sionのある今のパンゲランジャヤカルタであるが、彼はむしろCiteureupの白い宮殿に住んでいたと言う。
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彼の紋章は盾状の上の方に繁った気が有り、根元が巣なのか、その下に小枝をくわえたツバメとサンゴをあしらっている。この紋章は先日のJonathan Michielsの墓と言うか一族のNisanの蓋に描かれている。公園の奥の左手にあったが水浸しで良く見えないが、整理番号の様な番号NO.13 もこの墓に刻まれていた。

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2013年1月 9日 (水)

インドフード・グループ

Anthoni Salim(Liem Hong Sien)はインドネシアが生んだ最大の富豪Sudono Salimの3男で5 November 1949 生まれ、個人資産は2010年、36億ドルでインドネシア第3位である。父親の遺産ともいえるSalim Groupを受け継いでいるが、嘗てのSalim Groupは1998年の金融危機で霧消の淵からよみがえったのは彼の経営力である。00p2060240


Salim Groupと言うよりもIndofood グループと言った方が解りやすい。Indofood(INDF)の大株主はCAB HoldingsLtdであるがこれは香港上場のFirst Pacific Company Ltdのことである。
First Pacificは父親が1981年に海外戦略として最大のパートナーDjuhar Sutantoと設立したもので、現在のグループのアジアの事業展開はこの香港上場会社が行っており、Anthoniが会長をしている。Djuhar Sutantoの子息Tedi Djuharは取締役、父親の友人Ibrahim Risjadは監査役の一人である。その資産は79億ドルで5つの企業を支配している。
 フイリピン長距離電話会社PLDTの25.8%
 フイリピン投資会社MPIC の59.1%
 フイリピン鉱山会社Philekの31.3%
 インドネシアPT Indofood Sukses Makmur Tbk (INDF) 50.1%(CAB Holdings Ltd)

インドフードは2011年にはRp3兆の利益を計上(売上45兆、総資産53兆、イクイティ31兆)、Anthoniが社長、義理兄弟のFrankey WeirangがBogasari部門を担当し、Anthoniの子息の一人Axton SalimがDiary部門担当役員をしている。
その商品にはIndomie,、Supermi 、Sarimi等インスタントヌードゥル、ミルクのIndomilk、Bogasariの小麦粉Segitiga Biru等、パームオイルBimoli、バターのSimas Palmiaがある。
Indofoodが出資している会社は、アグリ部門でPT Salim Ivomas Pramata Tbk (SIMP) とPT PP London Sumatra Indonesia Tbk (LSIP) 、LSIPではSurya Citra Media、 Indosiar、 O Channel を持つSariaatmadjaファミリーと提携している。食品部門ICBD、流通コンビニIndomarco Adi Prima その他PepsiCo、Nestlé、Surya Rengo、アサヒとの飲料合弁等がある。Unileverも35%はSalim Group が持っている。

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2013年1月 8日 (火)

フリーダム表彰の知識人

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この間行ったPerpustakaan Freedom(フリーダム図書館)は2階はInstitute Freedom フリーダム・研究所と言うのが有るようだ。これらを合わせて一つのヤヤサンが統括するのであろうか 言うなればCSIS見たいなものであろうか
あちらが国際関係専門なら此方は学術専門である。と言うより一言で言い表せない。
ここがその分野の秀でた人に毎年表彰している物があり、名前をPenhargahan Achmad Bakrie である。
Achmadと言うのは今のAbrizal の父親である。
最初の受賞者は2003年でSapardi Djoko Damono (bidang kesusastraan文学)とIgnas Kleden (bidang sosial-budaya) であり2年目は、Goenawan Mohamad (bidang kesusastraan) とNurcholish Madjid (bidang sosial-budaya社会文化)である。
一番直近は 以下の通りで上記の分野と併せ以下に広範囲で一言で言い表せないかが解ると思う。
1. Tjia May On (Sains 科学)
2. Wiratman Wangsadinata (Teknologi 工学)
3. M. Dawam Rahardjo (Pemikiran Sosial 社会考察)
4. Sultana MH Faradz (kedokteran 医学)
5. Seno Gumira Ajidarma (Kesusasteraan 演劇)
6. Yogi Ahmad Erlangga (Ilmuwan Muda Berprestasi実績ある若手研究家)
表彰カップの他に一人当たり2.5億ルピアの賞金が有ると言うのでこれはかなりの物である。父親Achmad Bakrieは1988年他界しているので、開始年から判断するとやはりAbrizal Bakrieが記念したか、あるいは遺言かで創設したものであろう。BakrieはRapindo社で汚泥噴出事故を起こしたためGunawan氏などはその非を鳴らして表彰を受け取らなかったなど、そのような人が何人かいるようだ。

FREEDOM INSTITUTE
JL. Proklamasi No. 41 Menteng Jakarta 10320
Tel. 021-3100349 021-3100349 Fax. 021-31909227 SMS 021-920 44 888 Yahoo Messenger : perpustakaan_freedom
Email: perpustakaan[ at ]freedom-institute.org
Kontak: Ujang
http://www.freedom-institute.org

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2013年1月 7日 (月)

1月のガルーダ

正月休みも開ける5日土曜日にジャカルタに向かった。 季節野関係か週の関係か京成はガラ空きであったが普00dsc03745


通は東西線東葉勝田台で乗り換えた京成は立ちんぼである。 座って考えたがこの東葉線を成田まで伸ばせば一番安い成田:東京ラインが出来るのであるが、京成がこのドル箱を他人に譲る気配はないようだ。
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丁度VISAが切れた月でシンガポールで取る予定で今回は到着VISAで行くことにしており、何度もそれを忘れまいとして頭にイメージして最後はチェックイン・カウンターで確認したはずなのに、物の1分で、僅か数メートルの所のVISAカウンターに行くのを忘れてしまった。あっと思い出したのは出国イミグレーションの検査判を貰ったあとである。係官はガルーダに言いなさいと言うので横の移民局事務所に出向きガルーダの人に来てもらった。その処置はその人が買ってくると言うのでお金を渡しただけであった。この時も或いはその前のチェックイン・カウンターでもガルーダの人が言ったのは円安のことであった。後で見ると始値が88円台であったのでレートは悪いですよと言ったのである。
いつもの搭乗者率であるが今回は69%(129/187)で稼げる便ではあったが、足が悪いので指定席を確保してもらいゆっくり座れることが出来た。

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2013年1月 5日 (土)

ジョコウイの初夢

ジョコウイ市長と言えば、渋滞対策と洪水対策に頭を悩ましているが今度は同時に効果を持つ大プロジェクトの案が出て来た。地下鉄では渋滞対策だけでジャカルタでは洪水浸水でMRTも止まるだろうと心配したその直後である。話は東のチャワンから西のスリッピーまでの交通トンネルを主にその中に更に北のプルイットに伸ばす雨水トンネルともなると言うものである。地下50メートルに直径16メートルのトンネルで4年で完工とかの絵で新年の夢かもしれないが、今は部下に検討を命じた段階である。この案はマレーシアにあると言う事であるが、確か東京にも雨水トンネルは有るはずであるので、洪水対策には一定の効果が有ると思う。
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渋滞対策はどうであろうか、その入り口と出口の土地収容の問題もあろうし、そこに逃がした渋滞の車列はその付近を麻痺させてしまうだろう。
今のジャカルタにはいろんなことをやるしかないだろうから反対はしない。 ジョコウイ氏と思って色々渋滞対策を入れ知恵していたのであるが、成り済まし野郎が正体を現した時はぞっとした。インドネシアではこれで3回も引っかかったことになるが最初は携帯メールであった。
Slippiで唯一の空き地も今はビルが建ち出しているのでこれからの収用は難しいだろうと思える写真である。


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2013年1月 4日 (金)

成り済まし犯罪

先ほどジョコウイ Jakarta市長の成り済ましが居たが、地の悪さが出て余りの酷さに消してやった。女に成り済ましは五万といる。ネット犯罪に一人ネットで文句を言っても無力だろうと思うが、中国のネット・デモなどあれだけ力を持つネットなのでその力を信じたい。しかし無数の人の声を集めなければ力にはならない。集めても絶対死なないSpam問題もある。人間の性悪なのか身を隠して行う犯罪の喜びだろう。 犯罪は宗教もネットでは退治出来ない。
政治運動や投票にネットを使う話もあるが政治も悪に近いと言う事からはうなずける。少し違うと思うが支離滅裂になってきた。成り済ましにはその対策に個人情報保護とか逃げる話しかないのが悲しいが、ジョコウイさんに責任はない。 所で国別成り済まし件数ランキングは出来ないだろうか なり済ましだけでなく愉快犯全般は抑圧された被虐妄想の国民に多いのか、或いはストレス社会の国に多いのかどちらかであろうが。

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2013年1月 3日 (木)

ジャカルタ文化資料保存館

ジャカルタ・コタ・トゥアは古い建物が多く残っているが、市ではこれらを保存文化遺産として指定しているが保存の方は中々の様で今補修が必要な建物は134にも上るらしい。
このうち市が所有している建物はたった5つなので、予算が付くのは5つだけで後は民間や国営企業にお願いすることになる。その5つとはジャカルタ歴史博物館、海洋博物館、造形芸術・セラミック博物館、ワヤン博物館、市保存館(Bakai Konservasi)とあるが、Balai Konservasiとは初めて目にするものであった。
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このニュースに出ている写真からこれではないかとマイ・アルバムから探したのがこの写真の左手に建物である。コタ駅方面に車を北上させ、インドネシア銀行博物館を通り過ぎて左に曲がらず直進する道を通るとそこであるが、その道は進入禁止になっているのでやはり左に曲がってぐるりとファタヒラー広場の北とか更にぐるりとセラミック博物館当たりに駐車して戻ってこないと辿りつかない。住所はPintu Besar Utaraである。博物館用の遺産の保存倉庫の役をしているようで書籍や衣類、碑石、絵画、陶器類が保存されている。全ジャカルタで文化建造物の内Aカテゴリー(破壊建て替え禁止)は216ケ所ある。幾ら整備しても駐車場がないことが多く整備が生かされない。
Fatahilah 広場ならバスウエーで行くのが一番かも知れない。運転手が有る人は駐車は運転手任せであとは携帯で指示連絡すればよいことになるが、その間運転手はどうしているか口実も豊富なので虚心になれないことになる。

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2013年1月 1日 (火)

ジャカルタ電車路線図に夢馳せる

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渋滞渋滞で騒がれるジャカルタであるが、貧富の差が道路事情にも影響を与えている。一つの例は金持ちが住んでいる地区はアクセスがブロックされ、道路は閑散としている。 或いは電車は総じて汚い為金持ちは使わず公共交通機関になりえていない。 タンジュンプリオク線など線路が地中に埋まっている(複線の一部)、オランダの御蔭でジャカルタの電車の路線図は結構様になっているが十分に使われていないのではないだろう。日本人は余り使わないので以下チンプンカンプンであろうが、まずは路線図から読んでみよう。
1. タンジュンプリオク線:タンジュンプリオクーラジャワリークマヨラン 或いはタンジュンプリオクーコタ
2. 東線(ブカシ線):コターカンプン・バンダンークマヨランースネンージャテイネガラーチピナンークレンデルーBekasi:更にバンドン方面に向かう 
3. 中央線(ボゴール線):コターガンビールーマンガライーカリバターパサル・ミングーUI-デポックーボゴール:更にスカブミ?
4. 西線:コターティエンブンデラーアンケータナア・アバンーマンガライージャティネガラ
5. タンゲラン線:ドゥリーグロゴルーカリデレスータンゲラン
6. セルポン線:タナアアバンーパルメラークバヨランースルポン:更にメラックへ
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以上であるが別の路線図をみると:ブカシ線はジャティネガラからブカシまでを言うが東線はコタからでなくカンプン・バンダンからジャティネガラである。又中央線はコタからマンガライでそれよりボゴール方面は南線といい、中層線がジャティネガラに伸びブカシ方面に行く青線もある。更にボゴールからマンガライに来た列車は西線に入りタナバンから更に北のカンプン・バンダンへ、そこから東線でジャティネガラに下って来るのもある。
北はジャワ海であるので一応四方に発達していると言えるが、これを再生しモット電車を走らせて真の公共機関とする手はある。 列車の屋根に乗る輩も沢山いてその退治がニュースになるほどであるので、利用客は多い。 多分汚い、危ない、薄暗い、気味悪いから利用が底辺に限られるのであろうか 。線路はつながっているので東線と西線或いは中央線を入れて環状線が二つでも作れる。通勤快速など別途高級電車を走らせる手もある。
しかしやはりその活性化には現在描かれているMRTが必要のようだ。
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路線図を見ているとどうしてもあと一本コタからスデルマン(ドゥクアタス)そしてクバヨランールバック・ブルスは欲しい。更に横の線がさみしいのでタナアバンーガンビルースネン或いはクバヨラン ー ブロックM - チャワンがほしい所である。 現在のMRT構想は単にその線だけの問題だけでなく上記6つの既存線の死活に掛かっているのである。 写真は将来の中心の一つになりうるか ドゥク・アタス駅(スディルマン駅)後一つチキニ駅で屋根に乗る若者達の写真を撮ったのであるが一晩探して無かった。

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