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2013年1月15日 (火)

ヨアン・ファン・ホールン総督の時代

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富裕商人Pieter Janszoon Van Hoornの墓はプラサスティ墓地公園にあるが子供のJan Van Hoorn総督の墓はここには無いようだ。Jan Van Hoorn総督(b. 1653 - d. 1711)の時代は1704から1709であるがオランダ東インド会社の隆盛の時から徐々に陰っていく時代である。
彼の出生1953年前後から死亡の1711年時代背景を概観するとVOC会社の最初の黄金時代はクーンの良き後継者のジーメン総督の時代(第9代 1636 – 1645) である。マラッカのポルトガルを駆逐しマタラム・スルタンアグンとの関係好転し 次の堅牢な時代マーツオイケル総督(第12代 (1653 - 1678) で会社の高配当を続けた。その最後はトルノージョヨの反乱、バンタンの反乱の時代は14代 スペールマン総督(1681 1684 )その後スラパチの反乱はあったものの小休止の第15代カンプハイス総督(1684 – 1691)と 第16代ウィレムアウトホールン総督(1691 – 1704)時代の後が17代 Joan van Hoorn総督の時代となる。彼が総督になった年に第一次ジャワ戦争がおこるがこれなどは領土獲得に向けた仕掛けた戦争といえようか
Joan van Hoorn総督は 前任のウイルレム・ファン・アウトホールンWillem van Outhoornの娘婚である。又 ジャカルタ歴史博物館に行くと木彫りの標識に「このシティホールはJohn van Hoorn総督により1707年1月23日に再建に着手、Abraham van Riebeek総督の1710年7月10日に完成した」とある。

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