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2013年2月 7日 (木)

ジャカルタ路線図の夢と回顧

正月のジャカルタ路線図を見ながらの夢の後は老人の回顧であるが、この老人は小生ではない。小生も未だ生まれてなかったころの話である。
蒸気機関車の歴史は1825年のイギリスの石炭輸送のトロッコ列車が発祥であるがこれに人が乗ったのが1830年である。これの流れでジャワの東インドでは1864年に最初の鉄道駅スマラン駅が生まれている。日本で言えば明治5年1872年の汽笛一声新橋である。
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これは都市間交通であるが都市内は電車の歴史となるが、蒸気機関の前は馬である。バタヴィアでは1869年に生まれた馬による路線が蒸気に変わったのが1882年でNITM社によるもので更にこれがBETM社により電車に変わったのが1899年である。これらは1930年に合併しBVM(Bataviasche Verkeers Maatschappij)となりこれが独立後接収されPPDとなった。馬車曳き列車も現在のファタヒラの北のJl.Cengkeh(昔スンダクラパ港から町への入口アムステルダムゲートがあった)からガジャマダのハーモニ辺りまで、そののちタナバンと結び、又ジャティネガラと結んだ線があったようでこの路線を引き継いできた。
最盛期は全長40kmで6つの路線があった。最盛期は1920年の乗客22百万人であるが廃止に追い込まれたのは1962年である。東京の路面電車途比較すると1904年に品川ー新橋からスタートし再生は41路線200km強であったが1972年前後に荒川線を除き姿を消した歴史がある。オランダとの比較になろうが全てここインドネシアの方が早かったことが解る。
中の写真は最盛期の路線図、右下がジャテイネガラ線で、今そこをバスウエーが走る。

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コメント

昔はスラバヤにも市電があったようで、二十年前にはところどころに廃棄された軌条が残っていました。
今はどうなっているのかなあ。
ジャカルタの古い写真はtempo doeloeで検索するとたくさん引っかかります。

投稿: 度欲おぢさん | 2013年2月 8日 (金) 14時17分

Bataviasche...でgglすると一杯ありました。
驚いたことに小生のSafira嬢まで出てきました。

投稿: | 2013年2月 8日 (金) 18時35分

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