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2013年3月 1日 (金)

クラカタウが爆発した時代

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先に出したTio Tek Hongの自伝の思い出話 「Keadaan Jakarta Tempo Doeloe」であるが、第1頁はクラカタウ山の大爆発である。書き出しは 彼はPasar Baru で1877年1月に生まれたとあり、確かにあの家はPasar Baruの外れである。 クラカタウの爆発は1883年、未だ6歳のころで、家の横の運河はあふれ出る危険があり、堤防を補強、降り注いだ火山灰で泥玉を作って遊んだとか、海岸は波が押しよせていたが軽石の上に板を載せると浮いて漕げたなどと書いてある。 爆発音はインドの先まで、津波も鹿児島まで観測できたというし火山灰は4万メートルも上ったという割にはさらりと書いている。
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この家の横は運河で丁度川上の現在のイステクラルにある水門で、ここからアンチョールの方のチリウンに流す水量と、ガジャマダのコタ方面に流す水量を調節しているが、当時子供達はここからジュンバタン・メラー迄泳いだとか書かれている。
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ジュンバタン・メラーはアンチョールの手前、パンゲラン・ジャヤカルタとグヌンサハリを結ぶ橋である。ジュンバタン・メラーはスラバヤの悲しい恋物語の橋であるが、ジャカルタのはその雰囲気はなにもない。ジャカルタには後一つJembatan Merahがあるクニンガンのフイルムセンター(Perfilman Pusat)やGedung Nyi Ageng Serang(共にブログ済み)囲む道であるが、橋はない。

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コメント

バンダルランポン市にクラカタウ大噴火と津波の記念碑があります。
リンク先へどうぞ。

投稿: 度欲おぢさん | 2013年3月 7日 (木) 22時15分

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