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2013年4月 3日 (水)

カリブサールの建物

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カリブサールと言えばAlwiさんのBangunan Lama De Groote Riverという随筆が有ったので要約するが余り建物のことは出ていない。
「カリブサールには会社事務所、店や倉庫が建ち並び、昔はGroote Riverと言われた。DKI政府も史跡として残すこと決定している。17世紀から19世紀までここはバタビア市の中心でオランダ人も多く棲んでいた。1799年にVOCが廃止されNHM(Nederlandse Handels Maatchappij).に変わりオランダ政府が直接経営するようになると急に(Sekonyong)民間の自発的(spontan)移住が増え、彼らは資本を携え販売会社を興し、プランテーションを行い奥の高地へと移って行ったが経営の中心は未だKali Besarであった。
その一つがJacobson Van den Berg, Chatered Bank, dan Exim Bankであう。19世紀になるとカリブサールに住んだオランダ人は南部に移りこの空気の良い土地をWeltevredenと名ずけた。20世紀の初めバタビアに到着するヨーロッパ人は熱狂的で人口50万人(?)に5万人がヨーロッパ人、20万人が現地人で経済の繁栄を謳歌した。第一次大戦でバタビアは原材料を輸出したあと1929-1933年の経済リセッション(Malaise)で輸出は半減したがチャンスは無限にあり彼らの富が減ることは無かった。1883年タンジュンプリオクの開港で、ここに倉庫を持つ人達は競争力を失う心配が有ったが鉄道が開通したことで心配する事も無かった。と言うのはタンジュンプリオクははマラリア風土病(endemik)の巣窟だったからとも言う。
そうしてGlodok地区が繁栄しジャカルタだけでない地方の問屋商人(Grosir)が売る為の商品を買い付けに集まっていた。」

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ここに出るJacobsonはToko Merahを本社にしていた時代があり、その隣がChartered Bankである。 むしろ東側の方がきれいで北側に経つ二つドームの建物がInternatio、一つドームが保険会社そのとなりがBorsumiでこの間ブログでオランダ時代をぼかした建物はBataviaasche Tagblad)新聞社なることも解った。

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