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2013年8月28日 (水)

Bungur 56 独立養成塾とMenteng 31

Asrama Indonesia Merdekaと言うのはBungur  Raya 56 に設置せられていたと言うので見に行って来た。
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パッサールスネンから北上する裏の道(Gunung Sahari と併行し昔のGolden Hotelまで行く道である。今はBungur RayaではなくBungur Besarと何故か改称している。本当にここだったか、何のよすがもなく且つ少し離れすぎているので確信はないままアップしておこう。
前回のブログ「Kebon Sirih 80」は少し訂正を要するので再度話題としたが、この辺りはいくつもの文献が対立したまま存在するので共通事項を正とせざるを得ない。J.D.Legge氏の“Intellectuals & Nationalism in Indonesia“ によると日本軍には二つのAsramaがあり、一つは軍政監部宣伝部が設置したAsrama Angkatan BaruでこれはMenteng 31にあった。後一つがAsrama Indonesia Merdekaと言うもので此方がBungur Besar 56にあったもので、前田少将が吉住輩下のSebarjoとWikanaに運営させたものである。
スカルノ以下の独立英雄はここでは塾生と言うより、講師で有った筈である。

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Asrama Angkatan Baru(Menteng 31)の方にはIndra Pratama氏の文献ではスカルノやハッタが中心(Kompor)で参加したものにはChairul Saleh, Sukarni, Dipa Nusantara Aidit及びLukmanが居たが、モット年長のAdam Malik、B.M. Diah、 及びAnwar /Harsono Tjokroaminoto兄弟とも協調したそうだ。「インドネシア辞典では日本軍が作ったAngkatan Mudaに対してディアを中心にAngkatan Baruを作ったとの対立図式が有るような記載があったが、確かに軍政監部が作ったMenteng 31はAsrama Angkatan Mudaとも呼ぶようでここに混乱の源があるが、それは当時の状況の推移のなかで変わっていった時間差であろうか

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