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2013年8月15日 (木)

クンストクリンがBuddah Barだった頃

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Teuk Umar通りの元移民局の建物は現在晴れて、昔のKunstkringという名前を冠したレストランとして、市民の前に晴れ姿をみせているが、その前は2008年末にBuddah Barと言う名前のレストランであった。レストラン内部には4メートル大の仏像が飾られていたことから翌年には仏教徒を中心に大反対運動が起こり又由緒ある建物の文化的史跡であることから多くの人の良識を刺激し結局閉鎖に追い込まれたものである。
Buddha Barの経営首脳は元知事Sutiyosoの娘Reni Sutiyosoと元大統領でPDI-Perjuanganの党首である Megawatiの娘Puan Maharaniで、あと一人の株主に当時実業家のDjan Faridzが居たのであった。Djan Faridzはその後出世して今は住宅相になっている。その頃DKIの首長はFauzi Bowoで仏教の団体はDKI首脳、観光省(当時の大臣はJero Wacik)或いは結果ユドヨノ大統領に迄持ち上げて働きかけたが誰も動かなかった。最終的にも仏教徒中心にで結成したFSLA(宗教堅護団体)は裁判に持ち込むことになったのであるが、その結果は2010年9月JKT高裁で、Buddah Barは閉鎖が決定され経営者等関係者は罰金を課せられた。そして市のGalleryを経て今のTuguグループの経営となったのでる。
ただこの所有権の問題はあくまでも政府が保有し賃借の形を取っていたと思われる。この様な史跡を有効に使用する事は多くの利益を生む事は自明であるが、そのリノベに多額の金がかかり、多額の金のプロジェクトはうまい汁であることもインドネシアでは自明である。
よく見るとBuddah Barの時のリノベーションは多額で有ったためそれ以降内装は別にして外装は不変である。

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