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2013年10月14日 (月)

Gedung Garudaはスラバヤでは?

9月21日のブログでTreaty Roomは昔Gedung Garudaにあったという文献があったが、はてGedung Garudaとはどこかと考えても思い浮かばず検索に頼ったがこの文献の文章“disimpan di Gedung Garuda --yang pada masa pendudukan Belanda adalah pengadilan Hindia Belanda (Raad Van Justitie)”からGedung Garuda=Raad van Justitieであるが両者をつないでいる他の文献は無かった。
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Raad van Justitieとはオランダ時代の最高裁であるが、それはファタヒラーの現Museum Seni RupaであったがGedung Garudaと呼ばれた事は無い。
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同じくダーンデルス宮殿の左端の建物も1949年から元最高裁の建物が建つまでは最高裁であったが、時期もずれている。
最高裁を離れるとスラバヤに列記としたGedung Garudaがあり、そこは御丁寧にもJalan Garudaと言う道路名で1番地である。
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そしてこの建物と紹介された建物はなんとスラバヤで写真を撮りまくった建物の一つ元Javasche Bankだったのである。この建物は1912年Hulswit & Cuyper設計のネオ・クラッシック建築である。Javasche Bank 自体は1828年に設立され1829年スラバヤ支店が設けられたと言うのでその頃は別の建物でその後ここに移ったのであろう。この建物は独立後接収され一時Bank Indonesiaが使用していた。
ますます当初のTreaty Roomから離れて行く。いずれ解明されるだろうとの予定で解っている現在の事実のみを記した。

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