« 惣兵衛の七不思議 | トップページ | インドネシアの祖国、民族、言語 »

2013年10月25日 (金)

HKBPメンテンとチリウン河

00_gereja_hkbp_jaumbu_46


それほどでもないが古いアルバムに自分で撮った教会の写真で、どこで撮ったのか記憶のかなたになった写真があった。 7月ごろも又思いついてラーデンサレー通り当たりに探しに出掛けて見たが見つけることは出来なかった。
00dsc_0236


9月になって クラマット・ラヤを通った時、運ちゃんにいつも同じ道を取らないで左折しろと左折させた所、この教会に行き当たったのである。 つまりそこはチキニのTIMの裏手で、そこを流れるチリウン河の向う岸の地区だったのである。
00dsc_0240


00dsc_0224


7月頃の捜索ではチキニ・ラヤからラーデンサレー通りに向かい橋を渡った両岸の道を上流と下流を行ったのであるが見つからなかった。
00dsc_0135


ずっと前は書店グヌン・アグンの岸辺を探した事もあるが、果たせなかったものも、どちらもチキニの裏手であり、その感は当たっていたのである。 この写真は既にブログにも書いたプロテスタント教会の一派HKBPの教会でMentengのHKBP とかHKBP Kernolongとか言われている。 BPとはBatak Protestantの略でBatakスマトラが最初の拠点であったインドネシアでは3番目の大きな宗派でこの教会はスマトラ外ではHKBPの一番古い教会である。1919年頃ジャカルタで形成され、教会は中国人Goun Khiam Kietの財産から拠出され1932年に建立されたが現在のは2002年に大幅に改装されている。小生の最初の写真は2006年とのデータがある。
Kernolongは地図を見ると裏手にその道があるが教会自身はKramat 4通りにある。この通りは進むとチキニ6通りとなるが、
00cikini_mangarrai_jatinegara_010


この道はチキニのBakoel Koffeの並びの郵便局の所に出てくる道であるが チキニからは行く気がしない道なので忘却の彼方になったのであった。 
00dsc_0243


ここに出てくる道も工事中であり、又上記の写真の通り上流のラーデンサレーの所とこのKernolongの所のチリウン河はどちらも大きな護岸工事が行われていた。 ジャカルタは今どんな小さな所も都市改造の工事だらけなのである。

|

« 惣兵衛の七不思議 | トップページ | インドネシアの祖国、民族、言語 »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/18815/53720829

この記事へのトラックバック一覧です: HKBPメンテンとチリウン河:

« 惣兵衛の七不思議 | トップページ | インドネシアの祖国、民族、言語 »