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2013年11月の投稿

2013年11月29日 (金)

河合楽器の音楽スクール

ジャカルタ新聞に記事が出ていたが引用すると「河合楽器製作所はインドネシアに海外で初となる直営の音楽教室を開講した。現地では日本に次ぐ生産規模のピアノ工場を稼働するが、国内向け販売台数はまだ少ない。教育熱が高まる中間層の需要を取り込むと同時に、ピアノの拡販にもつなげたい考え。3年後には生徒数を12 倍に増やす計画だ。 教室はジャカルタ西部郊外のバンテン州タンゲランの新興住宅地アラム・ストラに設けた。」
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と言うものであったが小生はいつも南のガンダリアに下る途中の河合楽器の建物があったのが頭にあったのでこのニュースには新規さはなかった。
と言うのはその建物は妙にきらびやかに飾り建てられて子供の音楽教室を連想していたからである。
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そしてその写真を探したのであるが通行人が邪魔したりでいい写真はなかったので、わざわざ写真を取りに出掛けた。昔とった写真も序でに掲げておこう。

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2013年11月28日 (木)

マンガライ駅は古い

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チキニ駅の隣はもうマンガライ駅である。ここはタナーバンとジャティネガラ、ボゴール方面の分岐点でジャカルタコタ駅やボゴール駅と共に古い駅である。コタからここまで15kmは高架になっており、レインボウ・ラインと愛称がある。そしてボゴールに向かうのがレッドラインでブカシに向かうのがブルーラインと呼ばれている。
ここの駅は1870年オランダのNISがオープンしたもので日本より古い。その年はバタヴィア駅もオープン(現在の駅はその後1926年にたてかえられたもの)したとしでありボゴール駅が出来た1881年が日本の汽笛一声であった。又高架にしたのは1988年で完成1992年と早い出来である。(日本企業かな?)

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2013年11月27日 (水)

驚愕量刑、最賃悲鳴、イスラム右翼

土曜のジャカルタ新聞で、マイ・ブログの修正をすべき事項が多いことに気が付いた。マイブログは少し軟弱懐古趣味過ぎていたきらいがある。
*元ミス・インドネシアの美人議員の汚職判決で最高裁は下級審判決をけっ飛ばし何と12年の禁固、罰金125億+235万ドルの量刑を言い渡した。その美貌をブログにした後「どうした美人議員 Angelina」と贖罪はした積りだったが未だセレブレティにアップしたままだ。
*来年のブカシ・カラワンの最低賃金が決まったが何と22%アップの245万弱である。その中で業種別があり、車両関係等第Iグループは何と281万である。これは全国一の最低賃金の最高賃金である。それはブカシ県市が首都ジャカルタを追い抜いたと言う事でもある。このグループは2年で100万もアップ2011年から倍増で暴力で勝ち取ったようなものである。ここ数年のこの最賃UMRをジャカルタで記録すると2010年112万(4%up)、-->129万(16%up) –- >153万(19%up) –->220万(44%up) –->244万(9%up)である。
*暴力といえばイスラム過激派であるが今回は豪州の通信傍受疑惑に抗議し豪州大使館にデモを掛けたがFBIの他にHTI(ヒズブット・タフリル)、KPMP(コマンド・プジュアン・メラー・プティ)も参加、1,000人もが参加騒然となったようだ
*労働運動でも今まで主力でリードしてきた金属労連(FSMPI)と自身が率いる上部団体KSPIは就業中の工場の労働者にデモを呼び掛けるスウィーピングを戦力としてきたが、政府寄りのKSPSIと反目、又内部分裂も起こりカラワンでは違法行為に批判的なカラワン大連合(ABK)が組織され金属労連派が弱体化しているとのことでそれはいい方向だ。


  

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2013年11月26日 (火)

キャディ嬢の結婚 PAUDとHONDA

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いつも行くゴルフのキャディが結婚する。招待状を貰ったが 離れている二人の写真が右の取っ手を引くと近づき手を取り合うと言う趣向で少し感心したのでブロッグにした。インドゥリちゃんであるが、いつものキャディ服から普通の服姿になっていて可愛さが出ている。 
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取っ手の裏には結婚式の場所の地図がある。Kel. Sungai Bambuであるのでスンターのトヨタ工場の直ぐ北で同じ町である。しかしこの地図にはある筈の高速道路が描かれてない。眺めて見るとここだけでインドネシア人の生活が凝縮されている。ちゃんと北ジャカルタ市役所、北ジャカルタ警察署から学校、モスク、病院、市場迄あるがここの伝統市場はPASAR Ular(蛇市場:名前だけだろうが)など4つもある。
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場所はPAUD Ceriaと書かれているので早期幼児教育のインドネシア版プレスクールである(Pendidikan Anak Usia Dini パ・ウッドと発音する)が偶々家の近くにある施設を利用するのであろう。 この教育には政府の補助もあり、安上がりかも知れない。招待状本文は11時からAkad Nikah(契り)、13時からResepsiであるが二人の門出を祝ってほしいとの内容でアラビア語がビッシリである。ちょっと記録しておくと、お決まりの
Assalamu’alaikum Warahmatullahi Wbarakatuhで始まり
Dengan momohon rahmat dan ridho allah SWT.
Kami bermaksud mengucap ikrar walimatui ‘ ursy pernikahan putra-putri kami:
Xxx & xxx yang Insyah Allah akan dilakusanakan pada
Xxxx
Kesan mendalam dan suasana mendalamakan terlukis indah di hati kami
Apahbila xxx berkenan hadir untuk memberikan do’a serta
Merestui langkah putra-putri kami
Wassalamu’alaikum 云々で終わるが参加者名に隣組(RTの組長さん)等の名前が出ていた。
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そのPaudの隣には学校があり、よく見るとホンダの2輪車専門高校であった。動いてみるものである。
そこにはやっぱりスンターからアンチョール方面への高速が走っておりその真下と言う感じであった。あの高速が出来たのは多分20年前位であり、その前の相当古い地図だったことになろう。

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2013年11月25日 (月)

チキニの名所 Masjid Jami Cikini

Berita Jakarta CommにCikiniの紹介記事があったが、この地区は偉大なインドネシアの絵画家ラーデンサレー一色でTIM複合施設公園とチキニ病院に代表される。
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ブタウイの研究家Ridwan Saidi氏によるとそこのチリウン河の端に立つモスクもラーデンサレーがたてたものらしい。名前はMasjid Jami Cikini Al Mamurと言うと表の看板に出ているが、それより大きな看板はでかでかと注意書きが書いてある。 誰でも故意に破壊すると云々で法により罰せられると言うものであるが興趣を欠くにはなはだしい。どうせ書くなら謂れ等を書けばいいものと思うが、その横の看板は指定保存文化遺跡と書かれているだけである。その記事ではオアシスレストラン、プールの話、お花やマーケットなどが出てくるが昔、ここはブロックMに匹敵するほどの日本カラオケ密集地だったとか日本のニョニャ2が買い物に来る市場や金宝石の店もあったことなどは日本人社会のみのものであるので小生が追加しておこう。鹿のいるカラオケもあったが、小生もブランクがあるのでどうなったのか解らない。多分ホテルになったりしているのであろう。数年前男のママさんがいた店(宝石)がつぶれお清の1軒のみになってしまった。

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2013年11月22日 (金)

スルヨ~ストモ似たものシリーズに追加ストノ

3人も英雄・偉人がいたスルヨであるが、似た名前を集めていると今日ストノを追加して十人(10個)にもなった。
スルヨ、スロノ、スロソ、ストヨ ストモ ストノ、ストポ、スモポ スポモ スペノである。これは1回では覚えられない早口言葉である。
しかしストノは初めてでなく小生の記録を検索すると既に登場している。この名前も道路名になっている英雄であり正式にはProf Joko Sutono SHで道路はクバヨランの飛行機学校の横からWijaya1まで南に下る道であるが 

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中に入ったTirtayasa側の方に大きな警察のコンプレックスがありそこにストノ氏の銅像が立っている。
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ここは警察大学(PTIK)で、彼はこの創設の恩人であり、学長でもあった。 小生の記録を検索する時、“ストノ”だと “ストの”から リストの、ポストの、コストの、テストの、ゲストの、ベストのからキリストの、イギリスとの、コントラストの更にアーティストの、ジャーナリストの、許すとの、乗り出すとの、居ますとの、まで切りが無く出て来た。PTIKを忘れたら眼鏡の老舗OPTIKを思い出せばよい。

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2013年11月21日 (木)

チョンデットのサラック

Condetで有名なのはDukuとSalakと言う果物である。その果物でCondetが有名になったと言う関係でもある。しかしそれも過去形で多くの他地域からの流入民による人口増加でこれらの果物畑が住宅地と変わって、Condetの面影もなくなり、普通の田舎になってしまったようだ。
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Dukuは一見小玉のジャガイモのようで薄皮をむくと半透明の果実が数個に分かれて入っているやつで甘酸っぱい。この木は色々化学物質の効用があり利尿作用があるとか蚊を追う薬とかにもなるようだ。
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Salakはアルマジロ見たいな鱗皮で覆われたやつでこれも皮を破るとエナメル質の様な3個ほどに分かれた果実で入っており少し甘いが渋みもあったかな。ボゴールの山Salakとどう関係があるのであろうか。

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2013年11月20日 (水)

大都会の中の田舎道

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朝の空気はすがすがしくて気持ちがいい。狭い道ながら、朝の木漏れ日が優しく降り注ぐこの道は未だ誰も通っていない。雨季ではあるが左手の小川は今は枯れているのか。

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少し大都会側に寄ると、鶏も道に出てきて人々の活動も始まる筈であるが、大の男は仕事も無く又ぼんやりの1日になるのであろうか。 


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もうひとつ先の道はバナナ林の中で道をなしていないが少し煙ってきたようだ。こうして左側だけの車窓から見て行くと会社の通勤も楽しいが、

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更に進んで次の道に差し掛かった所でさっき歩いていたオフイス・レディが追いついてきた。彼女の歩行と同じスピードなのであった。相変わらずマスクで埃塵を防いでいるので相当の渋滞と喧騒が出て来たのであろう。

ジャカルタは世界一の渋滞に泣いているがジャカルタ第一の大通りの裏には未だこのような道があり、奥は放置されている。スハルトの時代ならいくらでも開いていたであろうしその強権でいくらでも道を描くことができたのと思う。そう思った時でも世の中に手遅れはない。

注:本当は2枚目の写真が最後の写真で最後の写真が2番目であるが編集の都合で入れ替えた。

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2013年11月19日 (火)

2013年10月 インドネシア投資環境トピックス

国際会議外交の花盛り、日・韓・中・印、米の争い
10/4 APEC閣僚会議開幕、保護主義の抑制、地域の経済統合、貿易投資の自由化
10/6 TPP交渉閣僚会合、大筋合意と日本TPP相。
10/7 APEC首脳会議、新多角的貿易交渉、地域統合の推進、インフラ整備
10/9 ASEAN首脳会議:アセアン共同体の2015年発足を確認。
10/10 アセアン+3首脳会議、東アジアサミットなど、食料安保やエネルギー保証
イ経済成長率軒並みダウン修正 
 世銀:今年5.9%を5.6%に、来年も5.6%から5.3%
 IMF:今年6.3%から5.3%
 アジア開銀のイの今年の経済成長率予想、6.4%から5.7%に
 スタンダード・チャータード銀は今後3年間減速予測。
 そして世銀/IFCの事業環境ランキング:世界189ヶ国中120位、前年より4位ダウン
副大統領の新経済政策発表
 事業開始の簡素化、給電網の整備強化、民事訴訟の進行
 土地・建物所有権の登録推進、融資取得便宜など。(10/25 )
 この後11月に政府の港湾事業等投資規制緩和策

憲法裁長官迄汚職で逮捕、官房長官告発など民主党泥仕合、関税局課長も逮捕
相変わらず最低賃金デモ攻防激化、イ労働組合連盟(KSPI)300万人全国規模デモ。


個別ニュースで目に着くのは
10/8 クボタ、スマランに横型ディーゼルエンジン新工場建設へ、総投資額31.6億円。
10/8 第一生命保険、パニンライフに直・間接的に40%買収。
10/16 アサヒ、インドフードと合弁で清涼飲料の製造会社と販社設立へ

10/3 ジャカルタ~スラバヤ海上道路開発計画、国有企業相事務所が打ち上げ
10/16 ジャワに新幹線を:来年から事業化調査開始で日イ合意、投資見込み50兆ルピア。
10/23 バスウエイに高架路線計画、チレドゥック~ブロックM間で入札準備

10/21 2012年10月1日時点のイ在留邦人14,720人、過去最高記録。
10/27 ジャカルタ・マラソン、10,039人参加、東南アジア最大規模か、ケニヤ勢が優勝

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2013年11月18日 (月)

インドネシア最古の王国サラクサナ

幻のCondetに行く計画であったが渋滞と体調を見て途中でやめてしまった。
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運転手にちゃんと指示しなかったのでPassar Minggu Raya通りを南下したがCondetに行くにはDewi Sartika通りを南下した方がいい筈である。止めるのに来た道を戻るのも知恵が無いので少し南に下って、そこからBlok-Mの南に出ろと指示した所、運ちゃんはWarung Jati辺りで右に曲がる小さな道に入りそこからManpang-Prapatan通り出てきて
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更にバンカからクマンへそこからちゃんとブロックM南部辺りに出て来たのでこの運ちゃんの土地感には感心した。
幻のと言うのはCondetはブタウイの故郷としてアリ・サディキン市長時代文化地域として指定された筈であるが今は何もないと運ちゃんが云うからそう言ったまでで未だ納得はしていない。そしてプンチャク・シラット協会の頁で大変な文章にぶち当たったのである。その辺りを引用すると「この地域の長い歴史を見て見ると、3,000年から4,000年以来クラマット・ジャティと境界を持つこの地域に人間の生活があった。ここで石斧、壺、青銅のランプが見つかっている。文化学者Ridwan Saidi氏の発表ではそれがもっと確信を持たせるものでそれによるとこのチョンデット地区は西暦120年頃Salaksanaと言う王国の首都であったそうで、それがBale KambangやBatu Amparの歴史伝説がチョンデットの区画の二つの地名になっている。Bale Kambangは王族の宮殿があった地域であり、Batu Amparは供え物を置く大きな石である。重大な発見と言うのはSalaksanaと言う王国の名前であるが、前にも紹介した井口氏の「ジャワ探求」の中に「「後漢書・南蠻西南夷列傳」に,「永建六年(西暦131年),越南海岸域外の葉調の王が朝貢し,皇帝が調便に金印及び紫綬を下賜した」ことが記録されていた。この調便なる王または彼の王国に関する物的証拠は
現地に存在しないが,太古の昔からの口伝を後世に成文化した文書の一つ,「列島列王記」とでも訳すべき書(Pustaka Rajyarajya i Bhumi Nusantara)によれば,王は,その頃インドから移住してジャワ島西部にサラカナガラ王国を建てたデワワルマン1世であると見做される。」と言う文章のなかのサラカナガラ王国と上のサラクサナ王国は時代的にも地域的にも合致していることで両者は同じではないかと言う事である。 語源のサラク又はサラカはボゴールにそびえるサラック山(Genung Salak)ではないかと思う と小生が新発見した様に感じただけの話である。

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2013年11月15日 (金)

インドネシア概略 それは知らんかった

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昨日Facebookで友人に送ったEXCELは受けたパソコンにソフトが無いのか受信できなかったようだ。Scanすればいいと言ってきたが旅先ではScanソフトインストールに半日費やして不成功、写真で送る事にした。(但し2頁目は次の機会の続編としよう)
インドネシアは世界最大の群島国家である他人口も世界4位、面積は世界第14位、経済規模も世界15位という堂々たる国家なのであるが、国家元首がユドヨノ大統領であること、従い政体は共和制なることなども知られてない、世界トップの親日国であるインドネシアには申し訳なく思う事であった。首都圏人口は32百万でチランカルタでは済まない話でもある。

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2013年11月14日 (木)

インドネシアの島の数はTetap(不変の) 13,000台

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小生の旧友が小生の関りのあるインドネシアに関心を持ってくれてメールを貰うので今日自作の「インドネシア概略」を送って上げた。これはFacebookでのやりとりなのでExcelが届いたのかは不明なのだが。。彼とは若き青春時代故郷を共にした後50年も音信普通の中になっていたのであるが、彼がFacebookを手慰み初めて偶然小生を見つけたと言う訳で、お互いにfacebookの交信をテストしている。彼は小生が会いたかった最大の学友であり、毎日facebookが来るのが楽しみになってきた。昨日はインドネシアの宗教や失業率迄乱雑に聞いてきたので上記の「インドネシア概略」を送って差し上げたのである。
その後インドネシアで島嶼国家インドネシアの島の数のニュースがあった。いわく「地理空間情報局は、島の総数を国連海洋法条約の定義に基づき数え直した結果、これまで定着していた数より4千以上少ない1万3466だったそうで、約4,000島が無くなったと言うのであるが、この文章は引っかかるものがある。これまで定着していた数字が1万7千台と言うのは間違いで稀にしか会わない数字なのである。小生はもうずっと昔から13,000台で理解していたので小生が作った上記「インドネシア概略」が」気になって読み返すとちゃんと13,600の島(17,504島とも)と書いている。誤差は誤差の範囲である。所で日本の島はいくつあるか調べると周囲が100メートル以上の島が6,852島で本島5島を含む数字である。
上記海洋法の定義は満潮時水没しない事となっており、日本の沖の鳥島は水没しないよう堤防で防いでで定義を満たしているとしている。
インドネシアで小生の頭は昔から13,000台だったのであるが、思い出すと金融危機の時代に島を売る話が出てその延長に17,000台が出たのではないかと思う。ない島を売ろうとした魂胆が見え見えであった。
島とは最小のオーストラリア大陸より小さいものを云い、最大はグリーンランドであるが、それを除くとインドネシアは世界最大の群島国家(全てが島)で日本も全てが島で世界5位の群島国家であるのである。
今日も島の歌「島んちゅうの宝」を歌って来た。


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2013年11月13日 (水)

気違いでも人間だ

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オランダ文化会館 エラスムス・ハイスで映画フェスティバルをやっている。Erasmusindo Film Festival.というイベントで社会問題がテーマのドキュメンタリー映画祭のようである。ローカルが30本、海外から20本位が参加しているようで、昨日の12日から16時まで、興味がある方は出掛けたらどうでしょうか
詳細はWebもあるのでWebsite: www.erasmusindocs.com www.erasmushuis.org
Email: INFO@erasmusindocs.comも電話もあるTelephone: 021 524-1016
ので是非照会する事をお薦めする。その上あそこは怖いインドネシア人の門番が居るので車で偉そうに乗りつけず歩いて入るのがいいような気がする。所がそこまではひどい渋滞でどこに車を駐車させるかが問題で、結局面倒臭いと言う事になる。昔は小生はここの図書館の会員でもあり、中にはにゆったり駐車出来たのであるが、
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此方の写真も二つある上が昨日で、下は2011年で何も変わってない。
出し物は“Ksatria Sembrani”(大胆なる騎士)とか “Orang Gila Juga Manusia” (気違いでも人間だ)など面白いかもしれない。

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2013年11月12日 (火)

2013年も国家英雄は居た

スラバヤでの英軍との戦いの日1945年11月10日を記念して、この日はインドネシアの英雄の日である。
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ジャカルタでは英雄はカリバタ英雄墓地にほおむられているので、この日の式典はカリバタ英雄墓地に大統領以下が献花するしきたりである。
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今年は大統領夫妻、副大統領夫妻、政治治安調整大臣、内務大臣、エネルギー大臣、外相、主催の社会相などがAdam Malik 、Ahmad Yani、MT Haryono、S.Parman、Suprapto及びSutojo Siswomihardjoのお墓に花を撒いた。所で今年も又新英雄が選ばれており以下の3人である。
 Radjiman Wediodiningrat:独立準備委員会(BPUPKI)委員長
 Lambertus Nicodemus Palar:国連のオランダ軍事介入停止調停委員会に出席
 Tahi Bonar Simatupang:最初の国防参謀長

であった。これで159人になった筈である。去年も世界一多い英雄など増やせば価値が下がるばかりであり、やめたらどうかと思ったその時はシマトパンは既に有名な道路名になっていた。
追  昨日用ありカリバタを通った時の写真を追加アップした。上が2007年である。違いがどこかすぐわかると思うが正面にチャンディが二つ追加されている。 やっぱりインドネシアは余裕がある。 

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2013年11月10日 (日)

歌舞伎公演イン・ジャカルタ

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今日ジャカルタで歌舞伎の公演をやっている事を始めて知った。歌舞伎と言っても伝統歌舞伎ではなくSawamura Kuniyaさんの歌舞伎とバリのSaraswatiグループのバリの踊りとのコラボレーション舞台で日本文化センターが後援している。Fujima Kanjuroさんが演出する“Mau: J-ASEAN Dance Collaboration”の一環で
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ジャカルタではTIMの劇場でやっていると紹介したがあと1時間で開演だから殆ど間に合わないだろう。こちらかもしれない。
一方Facebookでも蓮田 愛さんと言う人からの青山郁彦流 殺陣ワークショップの紹介が来ていた。最初は何か関連があるかと思っていたが別々のもので後者は日本で行われているもので読者には直ぐトレースが出来るだろう。

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2013年11月 9日 (土)

コロッケ公演、当然日本の事

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ジャカルタに来て日本の事を書くのはおかしいが、忘れていた写真があるのでそれをアップしよう。公演の写真は禁止なので、開演前の屋上さじきである。
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ここは人形町だったかな。 通りは甘酒横丁で秋雨が上がった夕刻は甘酒の香りがするような、日本の学童も元気に通う道だった。
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出し物はポスターの通り「ほら吹きと武蔵」と言うもので熊谷真美さん等共演陣に助けられ好演であった。 あの芸人がここまでと感心した事もある。2部は得意のものまね、これのフイナーレは煌びやかさと言ったらこれ以上ないと言えるほどで、小生自身が12色使いの衣装を身にステージに上がりたくなった位である。こういうのも写真にもテレビカメラにも収まらずそのままになるのであろうか

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2013年11月 8日 (金)

インドネシアの飲料水で失敗しないために

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友人から体にいいからと勧められたプリスティン飲料水であるが、早速買いに行ったが、スーパーの飲料水売り場には写真の通り何種類ものボトルが売っている。
ラベルを見て又剥がして飲料期限を読むと
Pristine:シナールマス グループのPT.Super Wahana Techno、技術は日本テクノの体還元ウオーター Ionized Mineral Water、CalciumやMagnesiumなどの含有表示もあり、工場はGede山麓、約2年の飲料期限である。
Aqua: Danoneグループか、40年の歴史がある。中部ジャワ クラテンか別のボトルにはSuban と出ている、その他特に詳細記載はなく 約1年半
Prim-a:Sosroグループのミネラル水でこれもボゴールで製造、これも含有成分表示等も無く約1年強
Danoneと言うのは確かフランスの世界の大手でインドネシアの飲料水会社を買収したのであろう。昔ミシシッピ等というのもあったが。。Sosroも多分あのテ・ボトルのグループであろう。
この店で売っているボトルは大きなやつで1500ml(1.5リットルである。インドネシアのディスペンサー用のボトルは19リットルもあり、持ち上げるのが大変である。
こいつの容量はガロン等で表現する人がおり混乱する。ガロンと言うのはバーレルや樽と同じ様な物体を云うのかと思っていたがそうではなく容量の単位で米式や英式があるが通常米式で1ガロン=3.78541178である。大きなごろごろ転がすやつを見るとガロンの表示はなく19リットルと表示されている。つまりこれは5 x 3.7854=19リットルで5ガロン樽と言う事になる。実際は樽とは云わずこれもボトルである。従いこの大きなガロンボトルを3個買うとすると日本式に単純にいえば3 5ガロンボトルと言うと混乱するので5ガロンボトル3本と言わないと行けないだろう。3ガロンボトルもあるのだろうか、別の友人が3ガロンボトルを頼んでいたが、3X 5Gallonなのか?? これらはスーパーなどにはなく注文になるので要注意である。スーパーでもPrim-aと間違い安い。 失敗談の話であった。

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2013年11月 5日 (火)

Artha Grahaの力

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何かの本であの時計のGuessと言う店がArtha Grahaの25F にあると言う事を知りArtha Grahaビルの出掛けたのであるが、入口で個人証明書(パスポート等預けないと入れない仕組みになっており、怖い軍人出身の様な人が沢山いたので諦めて帰った。その翌日、いつも行くゴルフ場でその横の完工前に倒産した様なMallが
このArtha Grahaグループに売却された話を聞いた。多分ゴルフ場も入っているのか或いは既にゴルフ場の前にはコンドミか何か立つのであろうか工事中であるし、Ria―Rio 沼地も公園化されて、一躍ここの土地の値段が上がって行く気配がする。
Artha Grahaの総師はかの有名なTommy Winataで、ジャカルタ第一の目抜きのSCBC地区を保有、そこに世界で5番目に高い600メートル強のビルを建てる計画である。或いはスンダ海峡大橋を建てる計画も進んでいるとか、ビジネス展開はものすごい。一例をあげると、Bank Artha Graha:銀行、PT.Jakarta International Hotels & Development:Borobudur ホテルを所有、PT. Karisma Arya Paksi:陸軍のKartika Plaza Beach Hotelを所有、Agung Sedayu:不動産、PT.Matahari Impian Indah(Matahari Island Resort=Macan Islandを所有)、一方で環境保護に熱心で広大な動物保護区も持っている。1958年生まれで軍関係の仕事に繋がっていた事が成功の源泉で今ではForbesでインドネシア富豪40に入っており、ユドヨノ大統領と近い政商的人物であろうか。 
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ゴルフ場の横に放置されたMall工事の残骸が無くなる事にほっとする話であったが、ゴルフ場がどうなるかは聞けなかった。写真は2010年7月のもの、現在も壁が出来た程度である。

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2013年11月 4日 (月)

新旧インドネシアあれこれの先達

先に紹介した惣兵衛のお墓の写真を掲げた岩生成一氏の鎖国についての著作に弊ブログと似た名前があった。「新旧東インド誌」というもので物好きな宣教師ファレンタインと言う人の大著として紹介され、その中でコルネリアの2番目の夫ビッテルとの夫婦喧嘩等も町の噂になっている様な話が出ている。コルネリアはお春の同時代かちょっと先の日本婦人(父が日本商館長ナイエンローデ)で鎖国で追放された一人である。最初の夫クノールとの生活はクノールの出世もあり裕福に過ごしていたが、夫の遺産を狙われた二番目の夫ビッテルとの喧嘩騒動は本国の裁判沙汰にもなり不幸な半生であった。これについてはこのブログで「Corneliaとバタビアの貴婦人」として取り上げたている。新旧東インド誌は1726年に発刊された東インドの百科事典的著作らしくいずれ小生のブログの名前も新旧インドネシア誌とでもしようかとでも思ったが、既にインドネシア専科と言うものもある。あの当時の新であるから今や旧旧であるが。 

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2013年11月 3日 (日)

ジャワ王朝の歴史的年代記

インドネシアの歴史はどうしてもジャワが中心になる。ピテカントロプスはさておいて、書きだす最初はタルマネガラであるが、その前にインドから移ってきたサラカネガラ王国もあった。これらは伝説的石碑記録があるがジャワ王朝として歴史記録があるのは
ジャワにおいてはサンジャヤ・サイレンドラ王朝からであり、スンダにおいてはスンダ朝・パジャジャラン王国となる。
その後ジャワは古マタラム、クデリ、シンガサリ、マジャパヒットとして移ろうが、15世紀から強大となったイスラム国に圧倒されてスンダはパジャジャランを最後として消滅、ジャワはマタラム王朝がオランダに浸食されながら細々といきているという歴史を辿っている。
マタラム王朝は浸食されながらも文化を維持してきたが、一方スマトラは古代のスリウイージャヤからムラユ王国程度で文化歴史記録も多くはない。 インドネシア現代の背骨ともなっているこのジャワ王朝の華やかなりし文化の歴史を残した古代記も又歴史的事績として刻まれている。
その双壁が「ナーガラクルターガマ」と「パララトン」であろうか

「ナーガラクルターガマ」(1365年) パラパンチャ作、マジャパヒト王朝正統史 
「パララトン」(1481~17c) 作者不詳 シンガサリからパジャパヒット 諸王の書

後一つ上げるとせば、井口正俊氏の最新の著作「ジャワ探求」の中に氏が名つけた「列島列王記」だろうか。18c初め ワングサクルタ皇子委員会が編集したとあり、インドネシア最初の王から書き始めた歴史書である。

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2013年11月 2日 (土)

ますます豪勢なガルーダ

昨日のガルーダは快適だった。案内通り777ER である。しかし日本からはファーストクラスはいない。乗客はエクゼクティヴ 33名 エコノミー198名 キャパ 38/268であるので十分だ。いつもの席は一人でゆっくり。ところが乗った最初は先日と同じ女性が座っていたのである。またあとで彼女はどこかに行ったが、彼女もガルーダの乗員で今日は訓練か何かである。結局そのような人間が前に二人、横に3人、合計6人もいてちゃんとサービスまで受けていた。
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今日のプラムガリはかなり居りサービスも前から後ろからやってくれるので小生はいの一番で食事でもなんでもくれた。またいつもはやらないデューティフリーの販売もちゃんとキャリーに詰めて廻っていたが、何かあったのだろうか。そして家で見ると持って帰ったアクアはエビアンであった。
写真は今日もブレたが、後ろの方に入国審査官がいる。これも眠っててやってくれるので楽チンであるが眠っているうちにやってくれる行政も豪勢なものだ。

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