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2013年11月18日 (月)

インドネシア最古の王国サラクサナ

幻のCondetに行く計画であったが渋滞と体調を見て途中でやめてしまった。
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運転手にちゃんと指示しなかったのでPassar Minggu Raya通りを南下したがCondetに行くにはDewi Sartika通りを南下した方がいい筈である。止めるのに来た道を戻るのも知恵が無いので少し南に下って、そこからBlok-Mの南に出ろと指示した所、運ちゃんはWarung Jati辺りで右に曲がる小さな道に入りそこからManpang-Prapatan通り出てきて
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更にバンカからクマンへそこからちゃんとブロックM南部辺りに出て来たのでこの運ちゃんの土地感には感心した。
幻のと言うのはCondetはブタウイの故郷としてアリ・サディキン市長時代文化地域として指定された筈であるが今は何もないと運ちゃんが云うからそう言ったまでで未だ納得はしていない。そしてプンチャク・シラット協会の頁で大変な文章にぶち当たったのである。その辺りを引用すると「この地域の長い歴史を見て見ると、3,000年から4,000年以来クラマット・ジャティと境界を持つこの地域に人間の生活があった。ここで石斧、壺、青銅のランプが見つかっている。文化学者Ridwan Saidi氏の発表ではそれがもっと確信を持たせるものでそれによるとこのチョンデット地区は西暦120年頃Salaksanaと言う王国の首都であったそうで、それがBale KambangやBatu Amparの歴史伝説がチョンデットの区画の二つの地名になっている。Bale Kambangは王族の宮殿があった地域であり、Batu Amparは供え物を置く大きな石である。重大な発見と言うのはSalaksanaと言う王国の名前であるが、前にも紹介した井口氏の「ジャワ探求」の中に「「後漢書・南蠻西南夷列傳」に,「永建六年(西暦131年),越南海岸域外の葉調の王が朝貢し,皇帝が調便に金印及び紫綬を下賜した」ことが記録されていた。この調便なる王または彼の王国に関する物的証拠は
現地に存在しないが,太古の昔からの口伝を後世に成文化した文書の一つ,「列島列王記」とでも訳すべき書(Pustaka Rajyarajya i Bhumi Nusantara)によれば,王は,その頃インドから移住してジャワ島西部にサラカナガラ王国を建てたデワワルマン1世であると見做される。」と言う文章のなかのサラカナガラ王国と上のサラクサナ王国は時代的にも地域的にも合致していることで両者は同じではないかと言う事である。 語源のサラク又はサラカはボゴールにそびえるサラック山(Genung Salak)ではないかと思う と小生が新発見した様に感じただけの話である。

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