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2013年12月の投稿

2013年12月31日 (火)

ジャカルタ・ナイト・フェスティバル

12月31日や1月1日のブログは難しい。特に外でのイベントがある訳でもないのでテレビばかりであるが、テレビも毎年同じ趣向の内容もので飽きが来ている。ジャカルタからの便りでは今年のジルベスタのカウントダウンのお祭りは市民全員が参加出来るように、ジョウコウイ市長の発案だろうか 
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ジャカルタ・ナイト・フェスティバルと銘打ったお祭りをやるようだ。メイン地区はタムリン通りでそこに12ケ所のステージを設けてるが、それをジャカルタの各地区でも設営し各地区毎に思い思いの出し物をやるようだ。
アンチョールやミニインドネシアでも祭りはあるのであろうが、昔は全ての人がそこに向かうので大変な難行だった。ホテルでのパーティーも豪華で金持ちが集まるパーティなのでその費用も大変なものだったが、今年は暖かいジャカルタの路上で弁当でも広げたらどうであろうか。そう書くと本当にジャカルタも安全な街になったものだと人は思うだろうが半分は信じられる話である。30日夜からなので今頃そのフェステヴァルの最中だろう。
タムリン地区のメイン会場はGrand Hyatt Hotel前であるが、他にWisma Antara、Silang Barat Daya Monas、Indonesia Bank、Wisma Mandiri、Jaya Building、Jl. Sunda、EX Center、Pullman Hotel、Jl. Pamekasan、UOB BuildingとDukuh Atas Station周りにもステージが設営されている。 写真は無いのでこのEx Centerの向かえにあった、今年夏のジャカルタ生誕祭りのステージをアップした。

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2013年12月30日 (月)

12月の投資環境 日本の首相が駄目にする

- 日本・ASEAN首脳会議、絆強まるか イとは1400億円をプロジェクトローン++で合計2,200の借款時代へ、ユドヨノは日中間を頭に、武力抜きの紛争解決、太平洋友好条約提唱。阿部は時代錯誤で3流国に
- ルピア@12,000突破(米国緩和縮小で)、1人あたり所得は5,170ドル、中の上には7,250ドルであと3~5年か、(日本は4万6537ドルで世界10位(但し2013年は円安でダウン見込み)、 イ経済成長率が16年にも7%楽観論
- 財政経済諸政策も次々と:消費材等PPh-22税率引き上げ2.5%→7.5%、KITEにVATや奢侈品税免除の追加、利益の再投資した外国企業に所得税優遇措置(来年)
工業法改正案の国会審議、産業用運輸部門でLNGの試用開始、港湾の外資規制を緩和、通関の手続き簡素化へ新制度
その他個別ニュース
12/10 スマトラ縦断鉄道(総延長2,168km)建設、来年本格化:運輸副大臣。
12/16 11 月自動車販売111,741 台、1-11月は前年同期比10.3%増1,132,130台:
12/18 東芝が新工場に5億ドル投資、来年着工も
12/20 ANAとガルーダ、包括提携で合意 共同運航、マイル融通
12/2 事業許可未取得企業の非役員の外国人労働許可は6ヶ月間に限定:
12/10 民主化指数が低下 暴力で言論の自由妨害 政府調査

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2013年12月27日 (金)

スウエーデンのH&MやIKEAも

これも年内にアップしておかねばならない写真なので、内容はないが、00dsc_0179


11月頃ガンダリア・ショッピング・モールを歩いていたら中心の吹き抜けの各階の手すりなど全館H&Mの広告宣伝が目についた。
H&Mはスウエーデン初のファスト・ファッション店で、正式にはヘネス・アンド・マウリッツ(Hennes & Mauritz AB)と言うが競争相手のZara等はとっくに多くの店を出店しているのであるがアジア臆手のこの会社はジャカルタは今なのである。しかし今年のニュースを整理していた時に今年1月に、最初の店をグランド・インドネシアにオープンする予定と出ていたが、多分これが遅れてこのガンダリアとなったものようだ。フランチャイズ・ホールダーはHindo、又Sritexと合弁等でガーメントの補給を行うようだ。00dsc_0177


開店の日は多くのジャカルタガールが押しよせたが未だその熱気は維持しているのだろうか 移り気のインドネシアだから心配である。
スウエーデンと言えば家具のIKEAもインドネシアに進出してくるそうで此方はHero Supermarketが主体となる。

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2013年12月26日 (木)

イマニュエル教会の運命

これも数日前のニュースであったが、あのGereja Imanuelが売却されたと言う。これも知りたい骨格に触れてないニュースなので物足りない。
ニュースのポイントは
*購入側は陸軍であるが目的不明
*売却側は宗教法人なのであろうが理由不明
*契約価額は780億で土地2.1ha故ヘクタールあたりRp.3.7程度であるが相場は20-40なので1/10と安すぎる。
*契約は陸軍であるが支払ったのはPT. Palace Hotelと言う
*この建物はジャカルタの保存史跡に指定されているが売却について市への許可申請はない。

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多分土地の所有権は明確でないのであろうか 推定するにオランダ時代土地はオランダ政庁が寄進し建物は信者等が寄付で建てた(?)あと、独立後インドネシア政府が接収し教会に下賦した(?)のか、ここの教会GPIB(インドネシア西プロテスタント教会)の自由にならないものがあるのだろう
イマニュエルは聖書時代のインマヌエルからイマニュエルそしてエマニュエルと色々あり、スペルもImanuel,Immanyuel、Emmanyuel、Immanuelなどとあるが、Jakarta.go.idではGereja Immanuelである。古くJ.H. Hort.(Horst?)が設計し1939年に完工、Willemskerkと呼ばれていた。

場所はGambir駅の正面、PejambonがMerdeka Timurに入ってくる所にあり、この11月そこを通りすぎる時既に何か目隠しをされてはっと思ったが既に何か始まっていたのであろうか。 Park Hotelという名前のHotelはジャカルタにはなくその様な会社PTは多分この為に作った会社だろうか。
もう小生には何事に付け変化も進歩も要らないのであるが。。。

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2013年12月24日 (火)

V2はもうないのか

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もう5日前になるのかV2が火事になったニュースをキャッチした。V2と言うのはガジャマダ通りのDuta MerlinにあるKaraopke Spaであるが、3年前にジャカルタ新聞に広告を出していたので日本人も知っている所である。5日前と言うのは火曜日で出火は朝9時であったので、消防車も13台も駆け付け、幸い死者は出ていないそうだ。
ここは隣がCarrefourで一体となったコンプレックスである。オランダ時代、アジアで名前をはせたホテル デス インデスがあったところである。
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ここに何か残ってないかなと昔ここの裏を探検した事があったが、そこに抜けると広大な駐車場になっていた。それだけお客が来るのであろうか。右手は国営貯蓄銀行BTNのビルと観光省のビル?である。つまらぬ話題ですみません。

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2013年12月23日 (月)

日本の生保が席巻 Nillmijのビル

今月は日本の生命保険会社がインドネシアの生命保険会社を買収したというニュースを聞いて少し混乱した。と言うのはこの買収した会社は住友生命と第一生命であり、どちらもインドネシアの大手を それぞれ40%を買収したと言うものである。住友清明はBNIライフであり、第一生命はパニンライフであるが、昔、他の日本の大手を連れてインドネシアトップのJIWASRAYAを訪問した事があり、感慨一入である。
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と、言うのはBNIライフと言うのは1996年設立ながら当初Jiwasraya との合弁だった経緯があり、この報道「Tentang BNI Life」に添えられている会社のビルはJiwasrayaがオランダから接収したNillmijという戦前のオランダの生命保険会社の古いビルであったからだ。
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その古い写真に現代の風景を合成しているようでロケーションを判読しても不明で、この写真の出どころのオランダのTropenMusiumの説明ですら不明としている。

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住友生命のプレスリリースではBNI Lifeは保険料収入106億円、税前利益 6億円、支店45、従業員405名とある。本店はDukuh Atasの例のランドマークビルでビル上の方に BNIの新しいロゴと共にBNI Lifeと表示され、このビルもBNI Life Towerと言うから驚きである。 これからのビルのは間違いない。 第一生命は別途機会を搜そう。

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2013年12月22日 (日)

コタの北駅

カンプン・バンダン駅がそれではないかと探検していたバタビア コタ北駅の所在が解った。 先に謝らなければならないのは2年前小生が紹介がてら書いた「バタヴィア旅行案内」で1930年頃の話としていたがコタ北駅は1929年に廃止されているので少し時計をはやめないと行けないと言う事だ。そして少し早めると、当時タンジュンプリオク港からWeltevreden方面 へはNISとSSがあったが、バタビアにもNISとSSが運航していた。NISとかSSとか云うのは鉄道会社の略称で、最初のバタヴィア駅は民間のNIS(Nederlandsche Indische Spoorweg Maatschappij :NISM) がスンダクラパのKleine Boom(税関)とKoningsplein(Gambir)を結んだ線を時に作られた。これは1873年にはBuitenzorg(Bogor)迄つないでいる。
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この当時のBatavia駅がBatavia Noord(北駅)と言われた駅で今のBNIビルの辺りにあったそうだ。
このNISMの他にBOSM(Bataviasche Ooster Spoorweg Maatschapij BOSM)と言うのがBataviaとBekassie, Caravam (Karawang)から更にバンドンを結んでいた様でこの線のバタヴィア駅がBEOS駅と愛称で呼ばれた南駅である。BEOsと言うのはBatavia En Omstreken(バタヴィア地域)の意味である。
しかしこのBOSMは1898年に国営のSS社(Staatsspoorwegen)に買収され、更に1913年にはNISMのボゴール線もSS社に売却された。そして1926年、南駅の場所に現在の新駅が建設されることとなり、一時北駅が仮駅として機能していたが、1929年にガイセルス設計の新駅が公式にオープンされ、北駅も廃止された後取り壊された。と言うのが解った謎であった。

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2013年12月21日 (土)

ヒラタ氏の「虹の少年達」

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昨日、Jakarta Globe誌が “Laskar Pelangi”の英語版(Rainbow Troop)が発行されたというニュースを流していた。この小説はインドネシアの大ベストセラーであり、映画にも、ミュージカルにもなっており、そのニュース自体にも既に30言語に翻訳され、100ケ国で出版されていると紹介されており、ちょっと不可解な気持ちになる。著者は少し日本人の血が入ったいるアンドレア・ヒラタと言う人で日本では紀伊国屋が日本語で「虹の少年たち」と言う名で出版済みである。(加藤ひろゆき、福武慎太郎翻訳) スハルト時代のスマトラのビリトン島の小さな学校に通う10人の少年たちの夢と現実を描いた小説である。小説は2005年、映画化は2008年、TVドラマではこのブログでも紹介したがPrisia Wulandari Nasutionが出演している。 2013年にニューヨークのBook Festivalで大賞を取っているそうだがもう何年もなるのに人気は続いていたのであろう。
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このBelitung島は錫の採掘で有名で18-19世紀には多くのシナ苦力が働かされ現在は仲良く暮らしているそうだ。写真はGlobeから借用、英語版出版を持つヒラタ氏。序でにセレブのPiaもクトゥルナンを思い出させる。

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2013年12月20日 (金)

ジャカルタ交通3題

ジャカルタ交通と言えば渋滞、渋滞と言えば今はミニ・マートらしい。最近の都心のサラリーマンは渋滞の時間帯を
ミニマートでやり過ごすから、今ミニ・マートの業績が伸びていると言う話だ。時間つぶしの為にWi-Fiも完備し、軽食からバッテリーなど必需品を用意し、車や単車通勤者用に相当な駐車スペースやタクシーも用意している。
7-イレブンは売上が昨年比29%アップ、Alfamartも19%アップらしいがそれよりのその様なライフスタイルが定着しつつあるのがジャカルタらしいと言うことである。
ジャカルタの道路整備では2014年の予算で手当てされていた、二つのフライオーバーと6ケ所の地下道を建設が、ここにきてバペナスと国鉄KAIとの調整でこれらは再検討されることになったそうである。
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KAIはこの間のブログにしたKampung Bandanとジャカルタ東のPondok Jatiを結ぶ線の建設を持っているがこの10kmのラインを結ぶのに4年かかるとのことでこの為マンガドゥアとグヌン・サハリのフライオーバー及び6ケ所の地下道計画は再検討されると言うがどう関係するかは不明である。6ケ所の地下道はJalan Guntur to Jalan Cik Di Tiro, Jalan Kartini, Jalan Halimun to Jalan Madiun, Jalan Industri, Jalan Cendrawasih and Jalan Garudaである。
後一つの話も要領を得ないが、渋滞とそれほど関係ないと思うが、道の横切り(Jawwalk これは渋滞だから横切るので渋滞の原因ではないと思うが)及びポい捨て(littering)の罰則として公衆便所の掃除を考えていると言うものである。
まあ捕まらないように注意する事は無い。写真は上がカンプン・バンダン駅とアンチョールを結ぶ使われてない線の鉄橋と00juand_ancol_tanjung_034


下の写真はボゴールに下る線が横を走るマンガドゥアのショッピングモール辺りである。  

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後記:こちらの方がよくわかる。

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2013年12月19日 (木)

Kota Patriotはブカシ市のこと

ジャカルタ新聞に☆一番安全な道路はブカシに(12/14) 有料
 西ジャワ州ブカシ市がインドネシアで最も安全な道路網を持つ都市として表彰された。保険会社のアディラが、地方自治体の交通安全意識を高めるために実施したもの。ブカシ市のほかに東ジャワ州プロポリンゴ、東カリマンタン州バリックパパンも選ばれたという...
と言うニュースが漏れていたが、1年ほど前に行った時の事を思い出して成程なあと思い当たる所はあった。街中の大通りは結構広く未だ渋滞はなく00dsc_0332


何か大きな施設か公園の入り口は名前はないがSelamat Datangと歓迎を見せている。00dsc_0388


また運河沿いのkali Malangの北に向かう道は空いており、そこで立派な市議会議事堂もあった。

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県境になるのか市のマスコット・モニュメントも立っている。それにはKota Patriotと刻まれていたが、

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そう言えばその前に市役所を通った時もBalai Patriotと言う愛国者会館があったがブカシ市はそのニックネームとしてKota Patriotと名ずけているのだった。何がPatriotと言うのかはオランダとの独立戦争の際に立ちあがった住民の血の戦いをいうようでそれに関しては詩人Chairil AnwarのKARAWANG-BEKASIと言う詩が歌い上げておりこのブログでも取り上げた事はある。又ここでは住民の虐殺事件もあり、オランダが1年頃前正式に賠償と深謝を行ったニュースもこのブログで取り上げたがPatriotと言うニックネームは今初めて知ることになった。

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2013年12月18日 (水)

ジャカルタ北のカンプン駅

昔オランダ時代ヨーロッパからの東インドにやってくる白人はスンダクラパの後開いたタンジュンプリオク港に着いた後、コタの駅やガンビールの駅に向かったのであるが、そう言う時の話の中にコタの現在の駅はコタ南駅で後一つコタ北駅があったと読んだことがあり、00dsc_0127


それは今の地図を見るとローダン通りからマルタデナミタ通りに面した所の駅であろうと見当を付けた。地図をよく見ると確かにマンガドゥア通りのITCの裏側に駅の印があるので、今度はここに行くのが永い間の目的であった。00dsc_0129


運転手は裏側のアンチョールホテル側からこの辺りだと指さすばかりであったが、00dsc_0166


小生がマンガ・ドゥア側の一つ一つビルの間の道を探して、探し当てたのがこの道で
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この先にある駅Kampung Bandangまでは延々200メートルも
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汚い家の間を抜けて行くのであるがたどりついた駅は改札もなく上のホームに上がると00dsc_0171


そこは浮浪者が寝ている様な所であり、これは駄目だと少し戻ってホームに上がらずまっすぐ突き切る地下道があったので、そこを突き切ると別の、ちゃんと生きている駅に出会った。00dsc_0178


そうして改札のある駅らしい所に来たのは来たが、殺風景な雰囲気から、そこに居る人に聞くまでもなくここは何のゆかりもないところだと諦めてこの探検を終えたのであった。地図ではこの駅は「工」の形で上下に駅(プラットホーム)があり上はガンビールから上がって来てコタ駅に行く時の駅で下はタンジュンプリオクからの線であるがこの線は鉄路が完全に潰されていて使われていない線であった。上下をつなぐのが上の地下道とした所で一応の二つの駅を繋いでいる。どちらの駅にも自動車がアクセスできなく、前代未聞であった。
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駅から見たボゴール線をでアップしたが、ほとんど直角に南に下っていっている。度欲さんがこの駅に来た最初の日本人だったんですね

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2013年12月17日 (火)

インドネシアへの生活費送金

数ケ月前目黒のインドネシア大使館に置いてあったBNIのブロシュアを始末する為に記録に取って見た。これは日本からインドネシアへ送金する方法で料金が一番安い方法を編み出して宣伝しているものである。インドネシアへの送金は一般の銀行に行って手続きをすれば1万円程度送るのに手数料が1万円掛かるのであるがBNIを利用すれば2千円で済むと言う内容である。相手先が複数の場合多分口座開設が別々になるのであろうか つまり毎月決まった先に送るような金である。反対に日本に送る方法は記載がないのでつまりは日本人のトアンが日本に帰国した後もインドネシアに残した家族などに送金し続ける金が対象になるのであろう。 えらい所に着目したものだ。バンク・ネガラ・インドネシアの東京支店は丸の内の国際ビル1F (3214-5621)にあるので手続きをし専用口座を作ってもらい、あとは最寄りのATMからいつでもこの口座に送金すれば現地の家族の手元に届くと言うものの様である。
誰かに紹介する事もあろうが、誰も彼ももう知っているであろう。

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2013年12月13日 (金)

最賃に吹き飛ぶインドネシア経済

11月度投資環境トピックス
- インドネシア国際インフラ会議、2014-17年に開始検討56件(計448億ドル)に官民協力で。。鉱物輸出規制でボソワ等28ものスメルター建設計画、アセアンに備える7優先産業に電器、セメント、衣料、履物、食品、家具、自動車。日本の連結性強化開発政策借款MoU。
- 最低賃金は大波乱、首都の2,441,301ルピアを超える、タンゲラン市Rp2,444,30、カラワン県Rp2,447,450ルピア、ブカシ県2,447,445ルピア等。適正生活必需と労働生産性、経済成長率に基づくべしと定める大統領指示の実効は来年期待
- JBICの製造業アンケートでイが中期的のトップに、日本の対イ投資ラッシュ続くかは不明。
その他ニュース
11/8  ガルーダ航空、ジャカルタ~大阪直行便就航、週4便。 
11/19 1-10月自動車販売100万台突破:10月販売は112,038台、来年は120万台へ
11/20 豪情報機関が2009年大統領夫妻等盗 聴事件: SBY、大使召還や協力見直し宣言
11/26 戸籍法改正、国会可決。KTPや出生証明などの発行無料に。
11/28 首都鉄道も高架化計画、2014年に開始、18年には完工と国家開発企画庁。

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2013年12月12日 (木)

16種のスパイスに遠慮がちPindang

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ガンダリア・モールのフードコートは落ち着いた雰囲気がすばらしい。全体が暗い照明で統一され又テーブルも大きな物が並んでおり一人で1畳敷きを独占しながら食事が出来る。
ここにはインドネシア各地の料理の他、麺類を中心に日本(うどんとラーメン)や台湾、シンガポールの料理もある。
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小生が頂いたのは看板にある通りPINDANG IGA SAPIである。牛のリブの醤油味的スープである。小さなニピスも着いてくるのでこれを掛けるが更に横に小皿の黄色いものはすごく辛いので止めた方がよい。
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PINDANGと言うのは塩味でゆでたと言う意味の様である。ここのはタンゲランと書いてあるが本場はスマトラ南部の様だ。醤油味と言ったが色がそうういう事で、この味は多くのスパイスが使われており、醤油もかなわないだろう。後学の為に調べて見ると、daun salam、batang serai, minyak sayur bawang merah, bawang putih、kunyit、jahe、lengkuas、kecap manis、asam Jawa 或いはjeruk nipis、garam、cabai merah、cabai hijau、tomat、daun bawang、daun kemangi
等16種にも上った。相当時間煮込んでいて味が濃くて白ご飯にあう。
これで1日の疲れが本当に取れたようだ。
これもデングー熱に掛かる前の書き置き日記になってしまったがここにも熱帯シマ蚊は見当たらなかった。

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2013年12月10日 (火)

アンチョールのジンバラン

退院した翌日は帰国の日である。頭もフラフラ状態を少し慣らす意味で北のアンチョール公園まで出掛けて見た。Jimbaran_ancol_dec2013_2


アンチョールの一番東端は以前にも来たことがあるが、そこにそびえたコンドミ兼ショッピングモールの駐車場を突き切ると、又そこは広い敷地に出、軍が休息する場所になっていたが、そこの一番又端にJimbaran Restがあった。
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時間は未だ14:00頃、帰国便に支障はない。昨日の土曜は土曜出勤のスタッフにシャークフインを一緒してもらった気分の延長で、今日もここで何か食べれたらそれはそれでいいなとフラフラと中に入って見たが、中庭のあちこちでまだ昼食をしている所もあり、
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卵入り蟹を食べることにした。値段も手ごろ、雰囲気抜群、サービスも易しい人々で又来る事を胸に秘めて後にすることが出来た。Jimbaran_ancol_dec2013_3


念の為ビールを聞くとちゃんとあるので安心である。Webにもancoljimbaranresto.comである。

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2013年12月 9日 (月)

ガルーダの粋な計らい

退院は土曜となった。不安定な病状からそれはないと思っていたのであるが急回復。帰国は月曜日しかありようがないと思っていたが念の為日曜日のフライトを抑えてもらっッていたのであるが、休日にもかかわらずちゃんとe-ticketがパソコンに入っっていた。
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今日のガルーダは777ER、11+226乗客でほぼ満杯、いつもの席52H を見ると先客がいる、これは厄介だぞとよく見ると51Hの間違いでここだけ3席通しで空席のラッキーさであった。
昔なじみのアテンダントがうれしそうに尽くしてくれる。この娘は7月10日の帰国便の時もアップした人だ。普通ならビールでもたらふく頼むのであるが、病み上がりなので日本茶で済ます妙な1日であった。

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2013年12月 8日 (日)

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帰国の予定日のまさにその日から入院するはめになり延々1週間昨日やっと退院できたが病名はデングー熱である。Deman berdarah、こちらでは簡単にデーベーデーと言うが不思議な病気である。Wikipedediaにはだらだら説明が永いが普通必ず治るとも書いてある。処方箋は点滴しかなく24時間*7日間点滴と血液検査のし通しであった。此方の人がメルクマールにしているのは血小板の数trombositで普通150,000以上あるのが7日位の間に減っていきその後回復すると言うもので免疫性が弱い小生は最悪のシナリオ通りとなった。最初の兆候で89(千)、79、43、27、12と下がっていきその後16、27,、44, 92で退院したものである。
便秘とCOPDに塗炭の苦しみの中、怒りなさんなと言う友人の忠告だけが光っていたが、今日久しぶりに見る両腕は血液検査や点滴で荒らされ血が黒々と溜まっていた。

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入院した病院Sahid Sahirmanの写真は取れないもので向かいのタケノコクリニックのこの辺りはどこかよその南欧の町の感じがした。皆々様、本当に有難うございました。

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