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2013年12月22日 (日)

コタの北駅

カンプン・バンダン駅がそれではないかと探検していたバタビア コタ北駅の所在が解った。 先に謝らなければならないのは2年前小生が紹介がてら書いた「バタヴィア旅行案内」で1930年頃の話としていたがコタ北駅は1929年に廃止されているので少し時計をはやめないと行けないと言う事だ。そして少し早めると、当時タンジュンプリオク港からWeltevreden方面 へはNISとSSがあったが、バタビアにもNISとSSが運航していた。NISとかSSとか云うのは鉄道会社の略称で、最初のバタヴィア駅は民間のNIS(Nederlandsche Indische Spoorweg Maatschappij :NISM) がスンダクラパのKleine Boom(税関)とKoningsplein(Gambir)を結んだ線を時に作られた。これは1873年にはBuitenzorg(Bogor)迄つないでいる。
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この当時のBatavia駅がBatavia Noord(北駅)と言われた駅で今のBNIビルの辺りにあったそうだ。
このNISMの他にBOSM(Bataviasche Ooster Spoorweg Maatschapij BOSM)と言うのがBataviaとBekassie, Caravam (Karawang)から更にバンドンを結んでいた様でこの線のバタヴィア駅がBEOS駅と愛称で呼ばれた南駅である。BEOsと言うのはBatavia En Omstreken(バタヴィア地域)の意味である。
しかしこのBOSMは1898年に国営のSS社(Staatsspoorwegen)に買収され、更に1913年にはNISMのボゴール線もSS社に売却された。そして1926年、南駅の場所に現在の新駅が建設されることとなり、一時北駅が仮駅として機能していたが、1929年にガイセルス設計の新駅が公式にオープンされ、北駅も廃止された後取り壊された。と言うのが解った謎であった。

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