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2013年12月18日 (水)

ジャカルタ北のカンプン駅

昔オランダ時代ヨーロッパからの東インドにやってくる白人はスンダクラパの後開いたタンジュンプリオク港に着いた後、コタの駅やガンビールの駅に向かったのであるが、そう言う時の話の中にコタの現在の駅はコタ南駅で後一つコタ北駅があったと読んだことがあり、00dsc_0127


それは今の地図を見るとローダン通りからマルタデナミタ通りに面した所の駅であろうと見当を付けた。地図をよく見ると確かにマンガドゥア通りのITCの裏側に駅の印があるので、今度はここに行くのが永い間の目的であった。00dsc_0129


運転手は裏側のアンチョールホテル側からこの辺りだと指さすばかりであったが、00dsc_0166


小生がマンガ・ドゥア側の一つ一つビルの間の道を探して、探し当てたのがこの道で
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この先にある駅Kampung Bandangまでは延々200メートルも
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汚い家の間を抜けて行くのであるがたどりついた駅は改札もなく上のホームに上がると00dsc_0171


そこは浮浪者が寝ている様な所であり、これは駄目だと少し戻ってホームに上がらずまっすぐ突き切る地下道があったので、そこを突き切ると別の、ちゃんと生きている駅に出会った。00dsc_0178


そうして改札のある駅らしい所に来たのは来たが、殺風景な雰囲気から、そこに居る人に聞くまでもなくここは何のゆかりもないところだと諦めてこの探検を終えたのであった。地図ではこの駅は「工」の形で上下に駅(プラットホーム)があり上はガンビールから上がって来てコタ駅に行く時の駅で下はタンジュンプリオクからの線であるがこの線は鉄路が完全に潰されていて使われていない線であった。上下をつなぐのが上の地下道とした所で一応の二つの駅を繋いでいる。どちらの駅にも自動車がアクセスできなく、前代未聞であった。
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駅から見たボゴール線をでアップしたが、ほとんど直角に南に下っていっている。度欲さんがこの駅に来た最初の日本人だったんですね

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