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2014年1月の投稿

2014年1月31日 (金)

福徳正神廟

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中国正月イムレックを明日に控えた数日前クバヨラン・ラマの福徳正神廟に行って見た。テンシンを話題にして丁度1年である。それはサトリオ通りの南の地区はカレットテンシンとも呼ばれここに同じ廟が建っておりその調査でクバヨランラマのこちらをしることとなったのである。
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何人かの信者もちらほら見かけたが無関係者にもオープンで中に入って奥の神殿やトイレも貸してくれておおらかである。話かけてみたらアクアまでごちそうになったが、そう歴史があるものでもないしあまり聞き出せないので写真はたくさん撮った。創建は1952と書かれていた。
記憶ではクマンギサンとジャランパンジャンをつなぐ道のようであったがこの辺りは中国人が多く住んでいた地区である。

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2014年1月30日 (木)

Oakwood Again

不動産にはOakwoodなどとWoodが付くものが多い。このOakwood は2度ブログしたことがある。
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メガクニンガンのしゃれたビルとあと、クマヨランにもSpringhillsグループの高層マンションにOakwood Towerがあるが、そのOakwoodとは北中南米、欧州、中近東、を中心に世界で25,000ケ所に不動産を有するグループの様である。1960年に二人の男が創業し、1990年代に急速に拡大した。住宅或いは顧客に関する全ての問題を扱うとしているがサービスアパート及びレジデンスが中心の様だ。

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2014年1月29日 (水)

日本人なら誰でも解る渋滞の原因

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Mas Mansurと」Satorioをスデルマンでつなぐ高架道路が効果なく逆に大渋滞を招いている。Kampung Melay―Tanah Bangと名前を付けているがその間のMansjur-Kasa Brancaのみ高架が完成しているがこの区間こそ通り過ぎるのでなく、目的地であるので誰もこの高架を利用しない。狭い道の間に邪魔をするだけの高架ができたので両サイドはジャカルタ一の渋滞の場所になった。アパートから見ると何とそこからアパートの近く迄ずっと渋滞が続いているのが見える。アパートを出るとなんとアパートの前まで渋滞の列が繋がっており、アパートを出た以上仕方がないのでジョッキーを使ってガトット通りに決め且つバスウエーを使ったので渋滞で2時間弱掛かるのが15分で済んだ。会社の時計は遅れているのでその時計はアパートを出た時の時間を示している。
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会社の窓から見るとスディルマン通りもあの渋滞の元凶地の方の上り線が渋滞である。午後2時になってガトットからアルテリを通りSimprukの訪問先に行ったがそこもこの元凶の所為で渋滞が繋がっている。昔は30分で行けるブカシからの会議参加者は3時間半も掛かっていた。ブカシからジャカルタ迄が30分で、ジャカルタの着いた後の市内で3時間かかった計算になる。この元凶はステイヨソ元市長が撒き、建築士のファウジボオ前市長が放置したものである。 渋滞の理由も小生が分析すると、高架を降りた先のU-ターンが原因である。これを解消するには小生ならスコップ1本と2時間くらいでやって見せられる。 高架の下にもう一本Uターンを作ればいいのである。 いつもその所為にされる雨がかわいそうである。

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2014年1月28日 (火)

Starwood-Rajawali-St.Regis Hotel

ガトット・スブロトを下るのは東のカラワン・ブカシからの帰りは夜になる為下り側の写真は余りないが、いつぞやそこに大開発の計画の看板を見た事があり、それとその後の報道が結びつきその正体が解った。これはNYのStarwood Hotels & Resorts Worldwide, Inc.がインドネシアではラジャワリグループと組んでやっているホテル St.Regisで、2016年にオープンを目指している。
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ホテルは124室ではあるが当然ホテルだけではなく47階建てのオスイスタワーも兼営する。このグループはバリでThe St. Regis Bali Resortを成功させているが、昔チェースプラザ裏にもこのホテル計画が有ったはずであるがどうしたのだろうか。
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この看板は124,000m2の敷地の正面に立っているがStarwoodとSt. Regisの歴史を紹介している。写真では1935年が見えるが100年の歴史がある。保有経営不動産は100ケ国に1,169ケ所、従業員171,000人を数える。
そのホテルブランドにはSt.Regisの他The Luxury Collection®、 W®, Westin®、 Le Méridien®、 Sheraton®、 Four Points® 、Aloft®、やElement®がある。 対するRajawariは最初の民放TVのRCTI, 最近急速に拡大しているExpress Taxiが有名で、BentoelタバコやSemen Gresikで勇名を馳せた投資会社である。.


追:2018年11月19日
このSt Regisの計画は場所が変更されている。 Rasna Saidにある FourSeasonsと場所を入れ替えたようだ。
Fourseasonsはその前はRegent Hotelであったが場所の有利さがなくお客が少なくなっていた。 そういえばもともとこの写真の低層は昔のRegent Hotelの様に見える。 Four seasons として今一度書き直そう。
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2014年1月27日 (月)

デウィ・サルチカのカントリーハウス

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チョンデットに向かう道のDewi Sartikaが切れる1km程度手前に右に入る小さな道がある。
昔はHarapan通りとか云ったようでこの道の奥に古いカントリーハウスがある。 小生はチョンデットからの帰りに寄ったのでこの道に入りやすいが、後一つカリバタ通りから来る手もある。
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カリバタ英雄通りとデウィ・サルチカ通りの角に大きなScholah Tinngi(Perawatan Binawan)があり、ここから左に折れて少し都心に向かいハラパンの道に入る所に大きな病院RS Bimi Asihがあるので目印になる。
この事は既にブログにした様な記憶があるがいくら探しても見当たらない。この道はCililitan Kecilと言うのかもしれないがそうなると後一つカントリーハウスで有名なCililitan Besarと言うのかなと疑問がわくが。どうも両者は違うようだ。
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名前も無く検索しにくい事から記憶があやふやになるがこのカントリーハウスは確かに現存している。このタイプのカントリーハウスはIndische Hausと言うスタイルで屋根が広いのが特色である。
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現在この家には25家族が住んでいるシェアーハウスである。
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近くには社会省の擁護施設(Cahaya Bina)、モスク(Al-Iklas)などもある。タイトルの様な名前を付けて記録に取っておこう。

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2014年1月24日 (金)

アクセス悪いASKES

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チェンパカ・プティのスプラプト通りでASKESのビルがあることは、昨年8月の独立記念を祝う飾りつけの派手さで写真を取っていたので知っているが今ではそれがBPJS-Kesehatanになっっている筈だ。ASKESは公務員の健康保険機関であったが、これを土台に全国民を対象に国民皆保険を実施する事になったのですべてBPJK-Kesehatanに改称された。とりあえず企業とその従業員はこの健康保険に加入する義務が決められたので企業にとっては4%と言う負担がのしかかる。この国では消費税に匹敵するようなものでも簡単に決まる。詳細未定のままスタートとなり、戸惑いが生じている。
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ここではこの問題をまじめに論ずる場所ではないので、他に見つけたBPJSの事務所の写真を掲げておく事にしよう。但し此方はBPJS-Keternagakerjaanの方である。チェンパカプティの方がBPJS-Kesehatanの本社になる。この写真には前庭に銅像があったりするのでASKESにアクセスするも今やアクセス不能できれいに無くなっている。

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2014年1月23日 (木)

ジャカルタ市の交通予算

次々と渋滞対策のアイデアを出してきたジョコウイ政権であるが、見るべき成果は上げていないような感じを受ける。この問題はハードでなく、ソフトの部分に負うところが大きいので相当難しい話ではある。 まぁ君がいるから問題だと言う様なものだからであるが、最近又三つ、4っつ金食いニュースがあった。
一つは二階建て(Double Decker)の観光バスを走らすというもので予算は170億ルピアで既に5台は中国からタンジュンプリオクに着いている。 渋滞の中をどうしようとするのか、どうせ止まるのは駐車が有る所だけだろうし、そこですらパンフも記念品もお休み処もない。 その次はトランスジャカルタ バスを多分日本製から中国製に変えるのか132台も購入すると言う事で1月には既に走っているのではないだろうか。さらに大きいのは3,000台ものバスをこれも中国から輸入する計画である。
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此方はMRTが完成してからMRTの駅から住宅地への交通手段としてのMetrominiでもあるようだ。 これも必須は必須であるが、今のMetoromini等をどうとかしないとどうにもならない。
金のかかるプロジェクトは最早ジャカルタだけの予算では出来そうもないが、国家予算からの交付金は国会議員の反対か水漏れが心配だ。
金のかからないだろうと思った施策もある。それは先生を含むすべての公務員は車での通勤を禁止するものであるが、国家公務員まで拘束できないようだ
普通の交通手段を使えと言うのかと思ったら市ではシャトルバスを用意するという。これも難題用意すれば済むのか金はかかる。よく考えると公務員は普通の汚いバスでなく特別高級バスでバスウエーを使用するという構図となる。今の所、最初の金曜日だけしか適用してない。
写真は地下鉄の建設の為、多分地下駅が出来る所は並木をきり倒し、建築現場の簡易塀が立つ風景。

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2014年1月22日 (水)

ハリムの商業利用と高速鉄道

1月13日のAntaranewsによるとスカルノハッタ飛行場とハリム飛行場を結ぶ高速鉄道建設の入札計画があるそうだ。4月に行われるこの入札の為、入札者の資格審査のコンサル会社の選定を急いでいるようだ。フイージビリティ・スタディは2013年の12月に終わっている。最初の計画はスカルノ・ハッタから首都を結ぶマンガライ駅までの線路であったがスカルノハッタに代わる2の国際空港をカラワンに建設するが、スカルノ・ハッタ空港の処理能力はその完成を待っておれないためハリムをその間利用する考え方がある。此方もその鉄道が直ぐ出来る訳のものでもないので、振り向けを考えるようだ。ハリム空港は今空軍や政府の非日常的使用のみであり、今年1月10日よりハリムの商業利用を始めている。Garuda_jan


13日は最初の便のCitylinkで、その時のセレモニーの写真をAntaraから借用した。
この路線は最初はマンガライ迄であったがハリムの北1kmのチカンペックへの延伸需要があり、従い路線はHalim via Cawang,、Manggarai、Tanah Abang、Sudirman、Pluitからターミナル3/2に繋がるがHalim側、スカルノ側は地下鉄道、途中は高架の様だ。
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ハリムの商業利用はジャカルタからジョクジャ、セマラン、マラン、パレンバンでエアーアジアとCitylinkが就航する。こちらの写真は2008年3月、スカルノが85年オープン故もう30年も放置されていた老体であるが。。

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2014年1月21日 (火)

ジャカルタ洪水比較

今日も雨含みの曇り、今回の洪水災害は未だその真っ只中に有る感がする。雨は未だ2日程続きそうであり、この雨は2週間続いている。副知事は今年の洪水は去年よりBetterと言っていた。比較してみると死者数は11日から20日迄で11名(昨年は27名後病死も含めると41名)、被災地区 48kerulahan(102)、避難民68,000人(浸水家屋97,000戸)、救助者 10,000人(18,000人)となろうか。
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ゴルフは2週間もやってない。
今日の弊社の遅刻率は9割、下以外に多くの地区が交通遮断の憂き目にあう。
ジャカルタでは洪水定番地区は西ではDaan Mogot、Grogol 中央区ではGunung Sahari、Karet Tengsin 東ではJatinegara、Kampung Melayu 南ではCawang、Kalibata、Tebet 北ではKelapa Gading、Pluit、Penjaringanである。
Bekasi ではBekasi川の氾濫で殆ど全地区浸水であったが、今日あたりは少し引いたであろうか。
大使館の注意法では洪水の後は天狗熱が出てくるそうだ。11月に罹かった小生は特に注意しなければと、蚊退治の塗り薬を塗っている。

追加;1/22現在では 洪水による避難者、首都だけで89,334人に増加。死亡者23人に増加、雨は2月まで続きさらに増加か

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2014年1月20日 (月)

アスラマCikini 71

Jakarta.go.idにも紹介あるが、Cikini通り71番地は昔青年塾があったと言う。それによると日本が占領していた時代、軍政府より学生の為に塾が設置され、ここで、学生たちはBaperpi(インドネシア学生懇談会)を結成しその中でWahidin Nasoetionや Koesnandaがいた。
というだけである。確かにこの当たりの話は色々あり錯綜している。例えばその青年塾はここの他にMenten 31、Kebon Sirih 80、Bungur 56、Prapatan 10が登場する。しかしこのAsrama Cikini 71ではBaperpiが結成されたようだ。塾生にはChaerul Saleh, Johar Nur, dan Kusnandar cs.或いはSoekarni、Soepenoの名前がある。独立宣言前夜このBaperpiが中心となってスカルノ・ハッタを拉致するRengasdengklok事件を起こしたのである。
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住所の番号は確認できず、2軒手前がNo.69でまた2軒ほど先のTIMの入口に73番地をみつけたので、その真中は今は銀行であるがNO.69 no隣がその感じがするのでその写真をアップしよう。73番地はなんとスカルノを追いおとした青年グループAngkatan 66の事務所であった。

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2014年1月17日 (金)

美しいインドネシア人

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と言っても美人の話でなく美しい話である。運ちゃんが休みの日の昼食にタクシーを使った時の事である。その日は遅い食事で頭の中は殆ど空っぽだったようだ。ふらふらと降りて10メートルも歩いて初めてショルダーバッグをタクシーの車内に忘れた事に気が付いた。その時は既にタクシーはどこへ行ったやら不明であった。茫然自失でひょっとして引き返してくれるかなとそこに立ちつくしていたのであるが、昼食を終えアパートに帰って、念の為受付に聞いて見ると、なんと小生のバッグが届けられて戻ってきていたのである。 その日はちゃんとバックを整理した日であり、どこに何があるか直ぐ解る状態で、まずはお金を探ると手に紙幣の感触がありびっくり。お金も数えてしまったので在り高も記憶にあったが5万札、10万札とも丁度30%ずつ無くなっていることが解った。
御丁寧に謝礼する手数も代わりにやってくれていた話であるが少し率が高いのは 数名が関与したのか、或いは彼らにとって金額が少なかったからかもしれない。 その日はおかしかった。アパートを出る時電気コンロの消し忘れのため一度戻ったり、タクシーを降りる時はいつもの癖で座席を確かに確かめたのであるが、ふらふらの出来ごころは本当に怖い。鞄の中には名刺がはいっており、良心があって戻ってくるなら住所の解る会社だと思っていたのであるが、住んでいるアパートのスタンドバイタクシーであったので小生を住人だと確信したのであろう。 インドネシア人は必ずドライバーの名前や番号を覚えておくそうだが、小生は道中おしゃべりしていたのでそんなことは頭になかったがおしゃべりが却っていい結果につながったのであろうか
写真は昨日の続き

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2014年1月16日 (木)

理想と現実 BPJS国民皆保険

Tokio Marineの入居看板があるMenara Jamsostekのビル看板が既にBPJSになったかどうかGatot Subrotoの下り線からは確認できなかったが 
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PT.Jamsostekの本社ビルはちゃんと看板を書き換えていた。BPJSは2011年末に社会保障実施機関として法律24号で予告されていたもので、それは2004年の国家社会保障システムに関する法律40号、或いは同時期の憲法裁判所に萌芽しており、昨日2008年の所得税法を見ていたらここにもBPJSなる言葉が出ていたので何も2014年の大統領令12号で驚いてはいけなかったのである。
2012年の大統領令は 2011年で制定されたBPJS(医療と労働分野の二つにわかれる)の内医療分野のBPJS-Kesehatanの実施の指示令である。医療サービスの社会保障は国民皆保険となっており、先行した公務員の医療保険ASKESが1月1日に解散し自動的にBPJS-Kesehatanに移行したが民間や外国人の義務については周知活動と登録活動が徐々に行われているというところであろうか。外国人の義務は広くカバーする法律では大昔からあり、40号にも書かれていたものである。
これらの実施機関は従来JAMSOSTEK、TASPEN:公務員貯蓄基金、ASABRI:国軍社会保険、ASKES 公務員医療保険の4つがあったものでこれらが2029年までに全てBPJSに移行するというものである。以前のJamsostek本社の看板はBPJS-Tenagakerjaanとなっており、ここではKesehatan医療は扱わない様でさらば我々新規に義務となったものはどこに行けばいいのだろうか 旧ASKESかな。 二つに区分されたBPJSであるが上部機関は国家社会保障評議会(DJSN)と言うようだ。

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2014年1月15日 (水)

Tokyo Marine / Jamsostek

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一昨日のブログのTokyo Marineに追記すべき所であるが、Gatot Subroto通りの昔Menara Jamsostek と言う名の大きなビルにも

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確かにTokyo Marineの看板が出ている。海上火災はスナヤンの大成のビルであるので、Bapindoに有るのはMAAだったのかもしれない。所でJamsostekは名前が変わってBPJSになったそうだが此方のビルは両方とも名前がない。(昔の看板ははずしたが新規がまだ?)これは一昨年末の法律24号で組織がいじられ2014年から始まるのであるが、JSはJam(inan)Sosial故機能は変わらない。役人の為の組織をいじる法律が多いので勉強する意欲を失うが義務の部分もあるというのでまた読みなおそう。Bapak,Papa, Jangan Sakit位しかおもいつかない。誰か面白いのを考えてくれないかな。

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2014年1月13日 (月)

東京海上-MAA-Bapindo

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三井住友が出てくれば東京海上が気になるがこの会社も2012年に現地PT MAA Life Assurance(以下「MAA社」の80%を買収しPT Tokio Marine Life Insurance Indonesiaと改名させ子会社化している。インドネシアの生保業界はその保険料収入の対国民総生産に対する比率は未だ1%であり、今後未だ伸びるのは確実である。
この会社はマレーシア ベースの会社であり、余りなじみはないがプレスリリースによると2021年度に「保険料収入約320億円」、「代理店数約6,000店」を目指すとしている。webでサーチングしても業績面の数字はこのプレスリリースくらいしかなく本社所在地は色々JamasostekビルやSummangiビルなどいくつも出て来たので問い合わせるとスディルマン通りのPlaza Bapinndo Citibank Tower,であると秘書の方が連絡してくれた。 Bapindoと言うのは金融危機前までは国営銀行の一角にあったBank Pembangunan Indonesiaインドネシア開発銀行であったが、金融危機で国営Mandiriに統合された消滅した銀行である。それなのにビルの名前に未だ残っているのはなぜだろうか。写真はそのビルを背中にとったもの、似たようなビルなので御免乞うが  いずれいいのを追加しよう。
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追:昨日はこれしか撮れなかった。

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2014年1月10日 (金)

三井住友がNo.2

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生保業界の続きである。先日提示したインドネシア生保会社ランキングを見ると第2位に見慣れて来たMSIGの名前がある。MSIG、三井と住友の海上火災保険会社が合併したもので、インドネシアでは三井は東京海上と双壁を形成していたものでその昔、三井は三井と言わず大正インシンドと言っていた。住友は生保か損保会社がインドネシアのP社と提携していた記憶がある。そのMSIGが今回提携しているのは「シナールマスの生命」会社で、2011年8月に約672億円を投じて「シナールマス生命」の第三者割当で50%の資本参加し生保業界に進出したものである。資本参加した後、シナールマス生命の会社名は「シナールマスMSIG生命」と変更されている。
シナールマス生命は養老保険等で 富裕層を開拓し成長を続けており、既に2010年でも保険料収入は約891億円、純利益は約52億円に達しその頃から第2位を得ていたもので、日本の海上火災会社は、熟れごろの果実を味わうだけの様に見える。 MSIGの生保業界での知名度は低いが、彼らも日本では三井住友海上きらめき生命や三井住友海上プライマリー生命として実績はあるのである。「シナールマスMSIG生命」の本社は華人の多いMangga Duaらしいがアルバムには未だなかった。代わりはコングロマリット、シナールマス本社
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追加でMSIG  スミットマスにある。なぜかここはマスが付いていたのだ。

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2014年1月 9日 (木)

新年のガルーダ

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七草粥を食べて松飾りもはずした8日のガルーダは殆ど満席、ファーストクラスも小生は初めて見たのであるが8人ほども居た。 小生の所定席はいつもの通り今日も隣が空席、風邪気味を抑えて着こんできたので夜の会食に備え眠ることが出来た。 成田はガルーダが飛び立った後は雨の予報であったが、ジャカルタの雨はガルーダが到着する前に上がっていた。 例の通り、機内写真をとっていたらプラムガリに二人で撮ってくれとせがまれたが、セレブとでも思ったのであろうか。 
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ガルーダはExecutive Laggage Serviceがあり、前回は目に付かなかったが今回は立派な待合ルームが最初のコンベアー近くに拵えてあった。 小生は単なるGoldであるが、ファーストクラスの人達の直ぐ後に持ってきてくれた。 小さな事ではあるが順調な滑り出しだ。 プラムガリ達とのグループ写真をアップするのは、この文章をアップする事自体から気が引けた。

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2014年1月 7日 (火)

ミックス・ジュースも48種まで

こんなに多くのスパイスを使うのかと驚き「16種のスパイスに遠慮がちPindang 」として紹介した使用材料の数であるが、日本在住の方々には驚きは無いだろう。00img_0002


16種と言えば昔16種の雑穀米は覚えているが、これは今一つ増えて17種になっている。それよりずっと多いのは野菜ジュースである。
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小生が見たのは「48種の濃い野菜」と言うもので48種である。野菜は葉野菜、果菜、根茎野菜に分けることが出来それぞれ16種位はあるので、或いは100種位は普通にあるので48種でも簡単であろう。
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書きだすのは面倒なので写真をアップしてもらおう。
多ければいいと言う事ではなく、飲んでみるとやはりトマト味でなければならないようで従いトマト色となる。全部混ぜると黒になるのではないだろうか。

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2014年1月 6日 (月)

第一生命 ー パニン生命も

明治生命が現地Avrist 保険を買収したので明治生命から派遣する役員はAvrist が本社を構えるPanin Bank Buildingに入居するのであろう。(未確認)00p5190006


このBuildingの辺りは最近余り観察してないので不確かであるが、あと一つパニングループのビルもPizzamanの像に面してあり、AXAとか他の保険会社もこの当たりに見られる。従いここで3番目に取り上げる第一生命が買収したPanin Life社もまさにこの辺りかなと思っていたが、Panin Lifeの本社はここではなくS.Parman通りにPanin Life Centerと言う自社?ビルを保有していた事が解った。
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この写真はどうにかマイ・アルバムに有った1枚であるがどのあたりか不明で、少なくともポドモログループのCentral Parkの写真より先に撮った写真である。
第一生命は昨年343億円を投じてこのPanin Lifeの40%を直接間接に保有する事となり、つい年末にこの保険会社の名前も Panin-Dai-Ichiに変更された。
Panin Lifeは2012年保険収入230億円、純利益 12億円でインドネシア生保会社45社中12位(プレスリリース通り)であり、パニン・バンクやパニン・保険などと共にパニン・グループを形成している。
このランキングは先に紹介したインドネシアトップ10ではパニン・ライフは第7位であるのでランクアップしたのか、いずれにしても大手である。インドネシア生保についてはうっかりしていた事が未だ続く。
追:
8日夕刻、飛行場から市内に向かう時このPanin Life Centerを探してみた。この道は真ん中に高速が走っておりCentral Park側が飛行場への上りであるが、このビルは下りのダルマイス病院の手前にあったのである。ビルの手前には木々が茂っていたのかあわや通り過ぎて左後ろに、今やPanin Dai-Ichi Lifeのネオンも明るくそびえていて、アップしたのは上り線からの風景であったのである。

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2014年1月 3日 (金)

明治と言えば明治生命/Avristも

先に住友生命のBNI Life買収(40%)の話をブログしたがインドネシアの生保業界への参入は明治生命の方が早く、まず2010年にアブリストの株式の5%を取得し2012年はこれを23%に引き上げたが、今2014年4月めどにこれを30%弱まで引き上げる事がニュースとしてでている。
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小生ちょっと昔の1998年インドネシアの生保会社ランキングを作った事はあるが昔は大手は全て外資が絡んでいたので中堅或いはプリブミの会社は余りFamiliarではなかった。従いこのニュースでのリアクションはこんな会社は知らない事であった。しかし調べて見るとこの会社は1975年設立で従い1998年当時既に営業していたのである。当時は60-70社位の会社数があり、現在も45社位ある様だから、基本の地図は大きく変わりは無い。現在のトップ生保会社は

1. PT Prudential Life Assurance
2. PT Asuransi Jiwa Sinarmas MSIG
3. PT Asuransi Allianz Life Indonesia
4. PT Asuransi jiwa Manulife Indonesia
5. PT AIA Financial
6. Asuransi Jiwa Bersama Bumiputera 1912
7. PT Axa Mandiri Financial Services
8. PT Indolife Pensiontama
9. PT Panin Life
10. PT Asuransi Jiwa Adisarana Wanaartha
のようであるがArvistは中堅のトップクラスと言え、
住友のBNIと比較すると
BNI Life:収入106億円、税前利益 6億円、支店45、従業員405名
Avrist::収入109億、利益31億、総資産252億、48支店、500名、4,000エージェントであった。欧州の保険雑誌からBest Life Ins Companyとか等多くの表彰を受けている。

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2014年1月 2日 (木)

明治は遠く

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正月は日本ばれ 温度も15度と暖かいので初めての元旦初詣に出かけた。明治神宮は初日より多くの人出、今日は外国人も多く目に付く。終わった後のお休み処で中国人の若い女性二人、座る場所もなく隣で立って食していたがどうすることも出来ず感心するだけだ。その前、おみくじの所に英文おみくじJapanese Poemと看板があったので買って見た。大吉がどうのこうのと言うのではなく明治天皇と昭憲皇太后の詠んだ(世界平和を呼び掛ける)和歌を紹介するものだ。引いたのは昭憲皇太后のもので紹介すると;
If you consult your inmost heart, And still need feel no shame,
Then let the people of the world , Talk on as they please
とあり、小さく“Muragimo no kokoro ni toite hajizareba Yono hitogoto wa ikani aritomo”を紹介してある。Yonohitogotode..で靖国参拝をする政治家連を思い出したが単に流行りの「ぶれるな」と言う言葉で行っているのだったら前文を良く読んでほしいものだ。皇太后の昭憲という字は小生パソコンでは変換出来ないので昭和憲法と書くが皮肉な遺言の如く感ずる。
小生は、未だ心に疼く友人の言葉“仰ぎて天に愧じず、伏して地に愧じず”という言葉を思い出したが、この意味でもない。皇太后は生涯、3万種の和歌を読んだが、明治天皇は10万だと言うから驚きである。
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神宮入口に100周忌の看板が出ているがこれは1914年4月9日のことで、明治の終わりは1912年7月である。従い今年は明治147年! 日本海海戦は1905年(明治38年)でこの頃インドネシアではオランダ強制栽培にあえぐ反省からの倫理政策が始まり、カルティニとブディウトモの民族覚醒が芽生え又、バリBadung王国がブブタンで滅びオランダの植民が完成した頃である。

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2014年1月 1日 (水)

正月の誓い

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明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。

守った事がない正月の誓いは、今年は少し違う。これから6年強、メディアの追っかけの中、毎日それに向かって練習に励む、多くの若いオリンピック出場予定者を思うと1億全国民が同じ気持ちでそれぞれの目標に向かうべきであり、そうすると小生は何かという事になるがもういくつも設定出来た。 
それは未だ秘めておくが、自分だけの問題であり、小生はメディアとは関係ない。そこに戻ると、メディアのメダルの数だけに関心がある、日本だけに関心があるというスタイルが又6年続くのである。 そう言えばそう言う自分の批判精神やネガティブ思考に潜む傲慢な心を、これは自分のいつか来るオリンピックに向けて手綱を引いていかねばならないのだ。 旧年中不快感を与えてしまった方々にはここでお詫びします。

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