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2014年3月 7日 (金)

アンカタン 66へのルート

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TIMイスマイル・マルズキ公園の入口のTikini No.73番地にAngkatan 66と大書したの事務所があった。Angkatan 66と言うのは1966年、スカルノを追いおとした学生グループKAMIなどが属する事になる世代である。
9月30日事件ゲシュタプの後、共産党のクーデターとされた事件は軍とイスラム勢力により大規模な赤狩りが吹き荒れたが65年2月スカルノの世論無視の旧態以前の大規模内閣を組閣したためKAMIはその宣誓式を阻止する実力行使に走った。この騒乱の中銃弾に倒れた学生がArief Rachman Hakimである。翌年66年3月11日事件により、スカルノはその治安維持の権限をスハルトに移譲し身の安全を図ったが狂乱のデモと赤狩りの波に1967年3月11日には国民評議会で終身大統領のタイトルを剥奪され翌年のMPRでスハルトが大統領となるのである。
ここの事務所の看板をよく見るとこの殺された学生Arief Rachman Hakimの中央指導評議会(Dewan Pimpinan Pusat)と書かれておりAnkatan 66 そのものではないかもしれない。Angkatan 66そのものは事件後このKAMIの人達を評した言葉であるので、それそのものの組織ではないだろう。アルヤドゥタホテル前の英雄の塔の南側の道に彼の名前が付けられているが、ここがその場所だったのであろうか。この世代に属している人々で有名な人はスハルトの最後の方で大臣にもなったコスマス・バトゥバラやアブドゥル・ガフール、ファミ・イドリス等或いは又後のCSISを設立したハリーチャン・シラライ、ワナンディ兄弟である。小生は64世代である。

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