« ジャカルタがトップの大都市 | トップページ | アンケ・レストラン »

2014年4月21日 (月)

Angkeの語源

トバガス・アンケ通りから左折するGangの入口には奥に有るモスクの名前が書かれている。00dsc02686


正式にはMesjid Al Anwarと言うがJami Angkeとも言う。このモスクに付いては“Mesjid Al Mansyur < = > Al Anwar”で紹介したがこの名前の由来はスンダクラパの領主トゥバガス・アンケから来たものではなく、近くを通るKali Angkeアンケ運河(河)から来ている。
00mar_19_2006_061


アンケ河自体のアンケの語源は1740年の中国人虐殺事件で殺された中国人の死体が投げ込まれたので河が赤く染まったというもので中国語でAngが紅色、keは死体(或いは河)を意味する。 このモスクの村の名前はAngkeでTambora郡であるがアンケ河の河口である Muara Angkeはアンケ河河口の意味でKapuk Muara村の Penjaringan郡になる。 “アンケの見直し”で紹介したが、海洋資源保護区で20メートルも飛べないスンダ・カッコーが居る所である。此方のアンケはTubagas Angkeから来ているそうでこの領主は死体の赤い血の1740年より前の200年近く古いのでこれらのAngkeの語源はTubagasの方で赤い血は一説にすぎないと思われる。

|

« ジャカルタがトップの大都市 | トップページ | アンケ・レストラン »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ジャカルタがトップの大都市 | トップページ | アンケ・レストラン »