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2014年4月23日 (水)

二人のザイヌルアリフイン

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紅渓酒楼 はザイヌル・アリフイン通りにあるがこの通りの名前は昔書いた人名道路シリーズから拾うと以下の様に紹介している。
KH.Zainul Arifin 1909年~1965年:北スマトラ、タパヌリ出身、小学校、プサントレンだけの学歴ながら日本占領時、マシュミの総務部長や日本軍が編成したイスラム青年をメンバーとした準軍事組織のヒズブラーの司令官になる。  独立宣言後ヒズブラーは国軍に編成され、ザエヌルアリフィンは国軍司令部の秘書官となる、その後DPRSの議員を経てアリ・サストロアミジョヨ内閣の首相第二代理となる。65年民族運動英雄に叙せられる。
となるが心中穏やかんではない。と言うのは同じ名前のザイヌル・アリフインがバンテンのラジャでは無かったからである。
此方のアリフインは正式にはSultan Abul Fathi Muhammad Syifa Zainul Arifin
で1733 - 1747にスルタンとし在位したが夫人の一人のアラブ系のファチマが自分の娘婿をスルタンの後継者にすることを画策し総督イムホフに取り入り実現させアリフインはアンボイナに追放、同地で死亡させ息子の正統後継者グスティもセイロンに送っられたが、反対する民衆を引き連れたキヤイ・タパの反乱軍と長い騒乱が続いた歴史である。 侮られたのは彼は頭がおかしくなったからのようでこれでは英雄になりえない。

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