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2014年4月 9日 (水)

パンゲラン達の歴史背景

スンダクラパを治めたバンタンからのパンゲラン3人の歴史背景をバンテン王国の歴史から見てみると;
バンテンは古くから東西貿易の拠点のひとつでパジャジャラン王国に属していた。地名の発音は欧州人がバンタムと発音した時代があり、バンタン位が良い。
1524年~1526年、ドゥマクのファタフィラー(グヌンジャティ)のイスラム布教でドゥマクの傘下になる。
1527年 バンタンとファタヒラー軍、スンダクラパを占領、ジャカトラ(勝利の街)としてバンテンの領土になる。
1556年(or68年):正式な建国(ファタヒラー又の名ファラテハンの息子ハッサン・ウディンがドマクから独立したサルタンの称号を発する。)
1579年ハッサン・ウディンの息子ユスフがパジャジャランのパクアンを占領、パジャジャラン滅亡
Maulana Yusufが亡くなったときYusufの子供Maulana Muhammadは幼児であったためジェパラの王はバンテンを支配せんとバンテンを攻撃して来た。 このときの戦争は多くのウラマの応援もありバンテンの勝利となった。
このあたりで彼らは活躍したのであろう。
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この後もバンタン王国は2回ほどの王位をめぐる内紛があり、それらに付け込まれオランダに侵略され最後はダーンデルスの時代に廃墟に化したのである。

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