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2014年5月 1日 (木)

徳川公のボゴール

今日は徳川義親公の「ジャガタラ紀行」(昭和6年刊行)のボゴール辺りをジムで軽い体操をしながら読んだ。3頁位の中から気になるポイントは3つほどあった。
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ボゴールは当時ボイテンゾルフと呼称されたがこの本では莫愁郷と書いているが今は同じ意味でも無憂荘(境)とか書く。その植物園はドイツ人ラインワルト博士が1817年に開園し4代目のメルヒオール・トロイプ博士が園長になって研究所としても世界一となったと言う。公がシンガポールから乗った船は当時のKPM社運航の船で名前はメルヒオール・トロイプであった。
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この公園には大きな高い樹木の並木が有名で小生はそこを若い男女が駆ける姿を描いたインドネシアのポップスを良く唄うのでこの樹木に興味があったが、この本でカナリヤ樹と出ていた。カナリヤノキとも言うようでまたインドネシア語ではKenariと言うようだがこれは食用にもなる豆を持っているので今一つ釈然としない。 Amekomitiというブログから写真をかりた。
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公はボイテンゾルフでホテル・ベルヴィューに泊まったそうで、窓からはチサダネ河の先にサラック山を望んだ部屋だったようだ。この名前に近いホテル・BELLEVIEWはスマランにもあり、日本占領当時は桜ホテルと言った話はブログにしたことがある。公が泊まったホテルは今でもボゴール随一であるサラック・ホテルと睨んだが、以前ここのブローシュールでは当時Binnenhofと称したとありベルヴィューとは書いてないが、別の資料でやはりここだった事を掴んだ。その名前はBELLEVUE DIBBETTと言う。昔の住所はGroote Postweg NO.8である。公はホテルに帰ってレモネードを飲んでその爽快さは世界中のどんな美酒にも勝ると思ったそうで、小生も少し似たCC レモンを飲んで公を偲んだ。

追伸
公が止まられたホテルは現在の上記ホテルではなく同名の別のホテルであることが判明。当時同じ名前のホテルがボゴールの南東にあったが現在はない。これは「ジャワ探求」の著者井口氏の指摘でわかったことであるがその詳細は6月27日のブログ「Hotel Bellevueと方向音痴」を御覧ください。

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