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2014年7月31日 (木)

レバランの夜ジャカルタへ

ジャカルタに行く日の行状記は億劫で逡巡したが、小さな事だらけで此処でぶちまけるのは気が引ける。
出発の前の日ANAからメールがあり、曰くチェックインしましたという。小生はチェックインもなにもしてなく家でぼんやりしていただけで、仕舞った!又日にちを間違え、遅れたと思ったのだった。そんなはずはなくクリックするとボーディングパスが表示されるが印刷は不可とある。結局e-チケット番号やらパスワードやら調べさせられ往生したが、
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羽田に着いて見で、荷物はあるから結局チェックインするのと同じ手続きがいる。おまけにこのパスはゲートが147とあるが132に変わっており、ANAの子はそのまま小生に渡そうとしたが、小生はその前に空港のインフォーメーションで荷物チェックインカウンターを尋ねた際、そこの人が念のためパスをチェックしてくれ132番に変わっていることを教えられ知っていたので助かったのである。132番は1階でそこからバスで行くのでがっかりしたが、ANAの子は乗客の乗る順番にこだわり、それでいて子供連れが沢山居たのに中途半端な無頓着、時間だけだらだらと過ぎていく。乗ってみるとなにか違う、ネットで座席指定していた席が予約した席と位置が違うのである。なぜかは知らぬが当日はボ786機であった。乗客はエコ98名でこれを後ろのコンパートメントに詰め込みビジクラス以上はガラガラであった。スペース的には10人に対し飛行機の全スペースの2/3を使い、98人が1/3の配分である。
小生は幸運で3席一人掛けであったが、前の体格の大きな外人が3人共リクライニングしたので窮屈だったが前回は席がスライドする方式であったのでこれも悪化、TVモニターも画面が下向きのままで調整できない状態である。着陸は数分遅れくらいで済んだが窓は自動で暗くしてあり、暗い中の着陸は初めてのことで合った。パスにはマイレージの記録がなく、係にパスとか渡し調べさせたがやはり無いと言う、降りた一歩目にANAの男が居たので文句をつけたら、パスを見て、下段のはみ出しそうなところに書いてあるのを指指され半分はアンドしたが、これでは改善にはつながらないことだけは確かだ。
ビジがほとんど居なく小生はエコの2番目のラインであったので降りるのは先頭で、急ぎ出国イミグレに向かうとそこは黒装束のアラブの1団、仕方なく列に待っていたが、どんどん子どもやおばさんまで太ったのがどんどん割り込んできたが最後はこのアラブの連中はVOAを買ってなくそっちに追い立てられたので助かった。ここのイミグレの手続き時間はアラブ系は10分位かかり白人系は3分、小生は1分ですいすいだった。
そして家路もスイスイで、ブロックMまでスイスイだがスイスイ過ぎてBMは全滅でなにもない、そこでいつも開いてる鳥元に回りそこは煌々と提灯がついており助かった。しかしそこで友人と議論となり、彼は例えば南京事件は証拠がない以上起こってないと主張、小生はそれより以前に中国大陸を軍靴で踏みにじった事自体が謝罪では済まないよと言っては見たものの口ベタの議論ゆえ伝わらなく残念であった。彼の田舎の家のそばの麦畑を、中でも韓でもいいから外国軍が略奪して過ぎていく図を想い描いて見て欲しい。

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