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2014年7月21日 (月)

スマランの三保洞はクレンテン?

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奥さんが切抜きしていた読売新聞の「ちきゅう時の散歩」に鄭和 in スマランというのがあった。いつか行こうと思って居るスマランであるが、まだ行きおおせてない。
これにはだれでもわかっている謂れなどが書かれている。そこからポイントだけを拾うと鄭和(Cheng Ho)は明時代の宦官でアフリカまでの大艦隊による7回にも及ぶ大遠征でスマランには1406年と1416年に来た。その時副官が病気になったので海岸近くの洞窟で静養するように命じ副官はそれを期にそこに住むようになり現地女性と結婚、いつも鄭和を崇拝していたので、いつか寺院も建てられて現在の姿になったのだそうだ。鄭和は既にムスリムであったそうで既にイスラム化していたスマランでも布教活動も行った風である。これがスマランの現地人と華人の融和の源であると結んでいるが、この場所には多くの大きな建物が並んで居るという。新聞の写真は本堂である。
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別の写真が有名なサイト{私の好きなインドネシア」にあったのでつい借用した。副官が療養した洞窟だったので三保洞と言われるが宗教に遠慮してかグドゥン・バトゥ(石院?)とか鄭和寺院とも言うがインドネシア語だとKlenteng Sam Po KongとやはりKlentengには変わりない。グドゥン・バトゥの社額に福徳正神と書かれている。福徳正神なら小生ブログでカレット・テンシンやクバヨラン・ラマの福徳正神を紹介したが、そうならグドゥン・バトゥもれっきとした道教のお寺だったのである。道教では関羽なども祀るお寺もあるのでそう言うものだと理解すれば良い。

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