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2014年8月の投稿

2014年8月31日 (日)

全日空のおもてなし

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8月31日、2回めの羽田に着いた。1回目から3ケ月強経っているので忘れていることも多い。ガルーダとコードシェアーしているので小生はゴールドカードゆえ、スカルノハッタでラウンジで時間待ちが出来るが空いているエコノミー用のカウンターでチェックインしたためか、ラウンジでは入室を断られて、どうしょうかと思っていたらANAから人が追っかけてきてラウンジカードを持ってきてくれたのでうまく行った。00672


このラウンにはプレミアーラウンジと言い他の空港会社と共同ラウンジであるが、友人に似たバーテンにビールのおかわりまで2度も誘われて気分も良い。00705


土曜の帰国便なのかかなりの人達が乗っていたが33列目のH/K席は一人がけである。機内ショップは売れ筋商品だからストックがなくなっていた。もう少し早めに申込まないといけない。朝食は綺麗にアソートした料理でおもてなしを感じる。羽田は予定時刻より早めに着陸、まっすぐ案内の108番ゲートに入り、オートウオークを進み、誰も待たずに入国審査、審査を出るとすぐ荷物受取所で、5人ほど待っての手荷物通関で全く無駄がない。
家の近くまで行くバスは2時間半待ゆえ地下鉄で帰ることにしたが、前回は月曜日朝で出勤サラリーマンにもみくちゃにされたが今回は日曜日でがら空きの電車であった。今回土曜日を帰国便にした理由をここで思い出した。

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2014年8月29日 (金)

ドゥリ駅からスカルノハッタ駅に鉄道

先週スカルノハッタ空港接続用の新駅を作るニュースがあったが、場所はシャングリラホテルの近くらしいがすぐそばにはスデイルマン駅(ドゥク・アタス駅)もあるのでわざわざという気もする。
現在ここからドゥリを通ってタンゲランまでつながっているのでそこから空港まで(バトゥ・チェペル駅とスカルノ・ハッタ空港を結ぶ12 キロメートル)が新しく鉄道敷設が必要である。新駅は来年オープンというのでその鉄道も来年同時期には完成するのであろう。
タンゲラン線は北(コタ・カンプン・バンダン)から降ってきてDuri駅でタンゲランに向かうが、南の新駅からこのDuri駅経由タンゲランに行くと言うのは後ろと前に牽引気動車を付けないと無理なような気がする.
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そこでDuri駅も脚光を浴びることになる。現在ほとんどの日本人知らないこのDuri駅を見に行ったが、全くのゴミの街と言うか腐れた運河をわたって行かねばならないのでうちの運ちゃんもギブアップしたような所である。
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目印は ラトゥメテンのSeason Cityの裏側で駅のある運河の向こう側にはこの橋で行くしか無い。 

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2014年8月28日 (木)

ジャカルタ首都6高速道建設へ

ジャカルタ新聞にも「首都6高速道建設へ アジア大会招致で切り札 副知事が優先事業に」と言うヘッドラインで(2014年08月14日に首都の高速道路建設の話が出ていた。小生もこの話は7月29日に「Ahok副知事が知事になったら」のタイトルでブログで紹介し、知事昇格が確実なアホック現副知事の新規アドバルーンかと思っていたが、何のことはないこの計画は小生のブログの2011年8月28日に同じ路線計画を紹介していた。よく調べるとこの計画は2005年から有ったというのであのブログは知事昇格にかこつけた勇み足である。
今回違うニュアンスはべチナムが返上した2018年のアジア大会をジャカルタが肩代わりするのでそれまでに完成させると言う点である。 
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路線は西ジャカルタ・スマナン~スンタルなど計70キロ。既存の道路上に高架道を建設しジャカルタ外環道と接続する。総事業費は42兆ルピア(約3700億円)。ジャカルタ新聞に出ていた地図はわかりやすいので借用したが、ちょっと間違いではないかと思ったスマナンースンタルはやはり都心を横切るようだ。

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2014年8月27日 (水)

ラジャワリとパデマンガン

Ancolの駅を裏側から攻略してみようと行ってみたが途中で道がなくなりギブアップした。00senen_rajawari_moi_507


その時はジャラン・インダストリからグヌン・サハリ通りの裏の小さな道に入ったのでついでにラジャワリ駅も遠望できたが、こんなに小さい駅とは思わなかった。踏切のおやじに聞いてみるとタンジュンプリオクからはジャワ方面に向かう列車は何本か有るようだがアンチョール駅からコタ駅に行く列車は運行されていない。その線路は土に埋まり住民の生活環境の中に埋もれている。ラジャワリ駅はアンチョールから来る線路とコタから来る線路の合流点であるが駅名はその小さな道路名から来ている。00senen_rajawari_moi_531


そこからアンチョールに向かう地区はPademanganという町名でその中にPandemangan小道(Gang)がびっしり詰まっておりGangの最高は31番であった。00senen_rajawari_moi_577


このGangを覗くと結構整備されており、中国人の顔も見られそれなりに落ち着いた生活を感じることが出来た。Rajawaliとは大鷲の意味であるが、ピーター・ソンダッ率いるコングロマリットのグループ名であり、 富豪怪人ハリー・タヌのTV局 RCTIのRもRajawariであり、砂糖王の流れを引く商社Rajawari Nusantaraもありインドネシア事業家の好きな名前らしい。

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2014年8月26日 (火)

ファタヒラーの新憩いの場所

先日もブログしたカリブサールのクルタニアガのファタヒラー側の通りは今はだいぶ整備されてきている。クルタニアガの住所がPintu Besar Utara 11であることは書いたがその横、或いは手前はNo .8 である。 No.9 とNo.11は反対側にある。00pulomas_toll_pelabuhan_fatahila_u


そのNo.8とNo.7とNo.6であるが昔からMy Barとかいうパブがあったりして営業していた通り、此処は民間で珍しく活動している数少ない所で今はNo.8 がHistoriaというレストラン、No.7がKedai Seni Djakartaというお店、そしてNo.6がKopitiamと言うコーヒーショップである。
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皆そこそこきれいなので今後はレストラン・バタヴィアだけでなくこちらも利用できそうなのでブログで紹介した。
皆PT Platoonと言う会社の所有の様だが、皆オランダ時代の商社の事務所だったと記録されている。

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2014年8月25日 (月)

日イのMICE

つい最近NHKで京都のMICE戦略を取り上げていた。MICE(マイス)とはMeeting、Incentive、Convention,Exhibitionの頭文字で国際的会議、催し物ができるような設備、街づくりである。これにより観光収入の増加、産業の活性化が図られる。
そのような催し物を開催出来た市としてはアジアではシンガポールが1位で東京は7位だったが、
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今ジャカルタでも強大なMICE建設が進んでいる。セルポンBSDで22万平方メートルの敷地に、EXPO展示場を、シナルマスグループやコンパスグラメディアグループがてがけ、ドイツメッセが協力する話しである。
この話はだいぶ前に読んで青写真をスキャンしていたのであるが探しだせなかったがその時のメモでは主体はSinar Mas Land及びKompass Gramedia でconvention & Exhibition Centerでコンベンション・ホール数は10ホール、一番大きな大ホールは150,000m2、1万人のコンサートや劇場、博物館、ホテルも3つも併設するものであった。
昨夜、華人の友人がユスフ・カラと一緒の写真をみせて話があったということだったが他にもあるのであったろうか 人の話はよく聞かねばと思うもののいつもぼんやりしている。
といっていたら建設中の写真を送ってきたので丁度良いアップになった。

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2014年8月22日 (金)

7月投資環境 見苦しいインドネシア大統領選挙

7月は
失意の中の斑経済模様:経済成長を下方修正5.2%、自動車目標達成悲観、代理店契約解約敗訴、到着ビザ値上げ、電力再値上げ、しかしインドネシア企業は元気
見苦しいインドネシアの大統領選挙:敗北認めず騒乱惹起
汚職関連判決等相次ぐ:林業省設備導入、競技場建設めぐる前スポーツ相、カラワン県知事が不動産会社恐喝、イ紙幣印刷、パレンバン市長・前憲法裁長官贈賄事件、エネ相と遠隔地開発相汚職聴取

1. 企業・産業情報
7/3  ディストリビューター契約の一方的な解約と訴えられたユニリーバが敗訴
7/3  今年の自動車販売目標125万台の達成を悲観:経済情勢低迷で協会。
7/5  Advan、Ti-phone、Evercossらが国内での携帯電話組立計画、2016年60%シェアー
7/7  クラカタウ・スチール、2017年の新工場稼動でHRC年産能力約150万トン増強へ。
7/8  国営石油プルタミナと国営電力PLNが世界の500大企業にランクイン
7/10 出光興産、上場直後の石炭ミトラバラ・アディプルダナ株12%取得。
7/10 日産モーター・インドネシア、初のイ人社長就任。
7/11 専科病院投資に日中から食指:外資出資は67-70%まで 開放されている。
7/11 スマトラ縦断高速道路開発10月に開始と国営建設フタマ・カルヤ。
7/14 首都に国家脳センター病院が開業、イ初の脳神経問題集中病院。
7/15 PGNがシェールガス産業に参入へ、米のシェールガス会社株36%購入1.75億ドル。
7/17 ホンダ・プロスペクト、上期販売が過去最高記録、前年同期比68%増の82,674台。
7/17 リッポーが映画館事業に参入「シネマックス」、10年間に85都市で投資6兆ルピア。
7/22 三井情報と三井物産、リッポーのデータセンター事業に参画へ。
7/24 石炭・石炭製品の輸出を登録業者に限定:商業相令。


2.一般経済・金融情報
7/1  3月貧困人口2,828万人、貧困率11.25%:昨年9月時点よ り32万人、0.21%縮小
7/3  到着ビザ料金25ドルから35ドルに値上げ。
7/4  アウトソーシング利用規制以降3,600社ものアウトソーシング会社が倒産:協会。
7/7  6月末外貨準備高1,076.78億ドル、前月比6億ドル増:中銀(BI)。
7/19 民間銀行と金融機関に対外債務管理のリスクマネジメント強化を指示
7/21 イ経済成長予想を下方修正5.3%→5.2%:世銀。

3.政治・社会情勢
7/9  大統領選投票日、開票速報ではジョコウィ勝利、差は5ポイント程度
7/14 ゴルカル、PAN、民主党ら7党と連合結成、プラボウォが発表。
7/22 ジョコウィ当選:大統領選結果発表、得票率はジョコウィ53.15%
7/25 大統領選に不正あったと主張するプラボウォ側が憲法裁への異議申し立て。

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2014年8月21日 (木)

陸上高速から海洋高速へ

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日はインドネシアの海洋の日(Hari Maritim Nasionalである。我がビルのエレベーターには待ちの間に見るTVと乗っている間に見るTV(ディスプレー)があり今日が海洋の日だと出ていた。小生のクロニクル記録ではこの日1945年8月21日、日本軍からインドネシア海域の制海権を得た日と記録していた。敗戦の日本海軍の船舶を押収でもしたのであろう。この記念日はあまり知られた日ではなかったが大統領となるジョコウイはインドネシアがその75%は海で有ることに着目し海洋国家建設を宣言している。彼は単に天然資源や海洋生態系の利用などせこいことでなく群島国家を繋ぐ海洋高速網の整備による全国的経済の安定化に有るようだ。00merdeka_timur_053tr


既にその担当省として海事省の新設を検討中である。 只現在でも海洋・漁業省はあり立派なビルも複数持っているので、これを使えば名前を変えれば良いだけだとも言える。
陸上高速から海洋高速へ、ジャカルタ渋滞はアホック新知事に任した形となろうか

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2014年8月19日 (火)

独立記念日の前後のジャカルタ

前日はファタヒラー広場はなにか明日の催し物の準備で忙しそうな雰囲気はあったが意にも止めなかった。00pulomas_toll_pelabuhan_fatahila_u


普通当日に村々毎に子供たち用のゲーム・競技会を行うのだがファタヒラーでは前日、いわゆるパン食い競争(Makan Kelupuk)をやっていた。これは当日になると公道でやっているところもあって驚いたが、有名な滑り竹登りのパンジャット・ピナン(Panjat Pinang)はお目にかかれなかった。他には Gigit Duit(オイル塗りたまのコインを食いつく)やBalap Kalung(とうまイ袋飛び)などがある。
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終日ゴルフだったからだが翌日少しモナス辺りを見に行った。モナスは特に気を引くような風景ではなかった。ジャカルタ市による屋台スラムの撤去でマドラ出身者ガ多いおっさん家族総出の反対運動や00644


プラボオサポーターの集会などで騒然としている。
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宮殿は昨日の式典の後片付けも終わってない状態である。
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うちの運ちゃんは宮殿が見える場所まで来ると車線を変更しスピードもあげたので宮殿正面はこの程度となる。
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代わりに中銀辺りの目の覚める花の写真をお届けしよう。

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2014年8月18日 (月)

クルタニアガの名前は残る

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エラスムス・ハイスのJakarta Kota Tua Reborn展示の一つにKerta Niagaビルがあった。
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Kerta Niagaは既にブログで取り上げたがKali Besar Timurの高いRaharja保険ビルの隣の荒れた2階建ての家である。この建物は細長くこちらを表といえば裏は歴史博物館の横の道路Pintu Besar Utaraとなるがこちらも表である。住所は運河側がJl. Kali Besar Timur No.9、博物館側がJl. Pintu Besar No.11となる。
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Kerta Niagaはオランダのビッグ5の一つを引き継いだ国営商社でその後合併されて今はない。
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昨日様子を見に行ってみた時はこちらの方に技師か人夫の人が働こうとしていた程度でまだまだである。この家の屋根は一度崩れたとかのニュースがあった通り、今回はこの屋根の一部をガラスにして陽光を取り入れる設計である。この家は2つの建物に分かれているのか2つを繋ぐ階段を設け又Voidをカットしてスペースを広げ緑の植物を植えたりするようだ。

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2014年8月16日 (土)

タマミニの孔子廟

儒教がインドネシアで宗教と認められたのはついこの間の2006年である。このように書くと宗教は自由である我々にとってどういうことかと思うが、憲法精神であるパンチャシラに唯一神を持つ宗教を持つことが要請されそれに伴い結婚許可や住民登録の行政手続きがなされることになる。 従いこのことは儒教も唯一神を持つ宗教だと認められたものである。これでインドネシアの公式に認めた宗教は5つになる。
これを記念し2006年にインドネシア華人協会PSMTIの寄付で作られたのが昨日ブログのタマン・ミニの華人文化公園タマン・ブダヤ・チナであり、孔子廟である。 
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孔子廟はタマン・ブダヤチナのすぐ近くタマン・ミニの出口の方にある。タマン・ミニは時計回りで自動車で移動できるので自動車なら最後に近くなる。儒教はインドネシアでKhonghucu、英語でConfucianismという。発音がわからないあので辞書を引くと1988年の谷口五郎偏にはない。英語にはちゃんとあるが、Confuciaciusコンフューシアスとは孔子様のことである。孔子はあの誰でも知っている論語を編んだ人で紀元前551年生まれ(~478B.C)である。IMLEKと言われる春節は儒教から来ており、旧暦はこの551年を加えたものである。
儒教の源を尋ねれば堯・舜時代にさかのぼりその理想政治から教えを編み出し大成したのが孔子で孔子を創始者とする教えで仁、義、礼、智、信の徳目は馴染みがあるが、神や死後の世界とのつながりが薄いことから日本では宗教観念は薄いが、とまれ良いことである。

そのお寺が孔子廟で廟をMiaoと言う。

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2014年8月15日 (金)

ジャカルタ古都の再生

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コタ・トァの再生事業はいくつもあるが、実際動き出しているのがJakarta Old Town Reborn (JOTR)というものでオランダ文化会館Erasmus Huisが主導している7つのプロジェクトである。その紹介展示がそのErasmus Huisで行われていたので行ってきたが今日が最後の日で、訪れたのは小生一人であった。
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同時にジャカルタの子どもたちの表情を撮った写真展もやっていた。
古都再生のプロジェクトの中にはこのブログでも取り上げたCipta Niagaビル、Samudera ビル、Kerta Niagaビルがあり、他にSadeli House、Pos Jakarta、 Rumah Akarもある。
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ジャカルタ地方政府と共同プロジェクトのようで且つそれぞれをインドネシア人の建築家が担当している。
写真展の印象では古い部分も残すが現代風にも使えるようエコ・グリーンの味を出しているようだ。 今日が最後だというので急ぎブログにした。

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2014年8月14日 (木)

タマン・ミニに中国公園

先週の週末は結構忙しかった。ゴルフの傍ら 建設中の高速道路調査からついでにタマン・ミニ公園まで出かけたからだ。
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一つには昔、タマン・ミニに中国人との融和を願って、中国の宗教も宗教として許した証に印度尼西亜の文化公園たるタマン・ミニの中に中国寺院が建設されたと言うニュースを覚えていたからである。
確かにそれはあり、また大きな中国文化公園や博物館なども沢山あり一度に写真をアップするのはもったいないので小出しにする。その公園は印尼華人文化公園と言う名前で敷地4,5haに色々な設備を凝らしているもので一番奥に大きな大きな博物館、いくつかの文化記念館、
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それに西遊記や十二支、孔子像、鄭和などを巡って見ることができる。此処は2010年に完成したもので林聯興さんや鄭年錦さん、Teddy Yusufさんの名前なども出ていたので多くの華人が供出したのであろう。
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博物館はもう夕方だったこととちょっと道も遠そうだったのでやめにしたが、このタマン・ミニの中にホテルもあり、24時間開いているのかもしれない。外国人は入場料只なのでいつでも又行ける。
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12支は我が夫婦の干支を撮ってみたがこれで年も知れるか

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2014年8月13日 (水)

アンタサリもパンゲラン

パンゲランという尊称が名前に付く人はバンタンのジャカルタ領主関係で5人、同じくバンテンの18世紀後半のパンゲラン・グースチがいたが、カリマンタンにも居る。名前がアンタサリPangeran Antasari(1797年or 1809年~1862年)と言うから女性かなと思うが皇子である。中部カリマンタン、ダヤックが生んだ数少ない国家英雄である。スルタン国バンジャールの皇子であったが宮廷で育てられたことはなかったので民衆の気持ちが判る王であった。
時のスルタンは親オランダで民衆からは嫌われており、反オランダの動きも出てきた。アンタサリは地方地方の領主を集め最後の血の一滴まで戦おうと1859年に両者は戦争となった。アンタサリ軍は6,000人の兵士であったがその後もドンドン増強され戦争は14年も続いた。オランダからの妥協の申し出も拒否し戦ったが1862年彼自身が天然痘の病気に罹りなくなり、バンジャルマシンに埋葬された。1968年独立闘争英雄に叙せられる。バンジャルマシンに国立イスラム学院 IAIN Antasari Banjarmasinがある。
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ジャカルタではブロックMパサラヤデパート前から南に下る高架道路が有る道に名前が付けられている。この高架道路はJalan layang non tol (JLNT) Pangeran Antasari-BlokMと言う。写真から見るモール・アパート複合施設はリッポーのくまんヴィレッジである。

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2014年8月12日 (火)

全線開通JORR復習

JORRのおさらいとして間違いやすいゲート・地名を見てみよう。西の端Penjaringanと言うのを調べてみたがこの地名はPluit・Waduk地区にある小さな町名でこの外環道路のPenjaringanと言われるところはKamal地区或いはPantai Indah Kapuk地区の方がだれでもわかる地名である。地図で見るとこのインター名はPenjaringinとでているものもある。小生が外観道路とかLingkar Luas(本当はLuar)と間違えたようなものか しかしLuasは開通と言う意味があるようだ。
Ruas pertama yang dioperasikan adalah ruas Ulujami-Hankam dan Cikunir-Rorotan pada pertengahan dekade 1990-an.
また此処に出てくるRorotanという地名はこちらも小さな町名で実際はCakungの方が大きい地名で又toll-gateにはチャンとCakungと書いてあるのだが、Rorotanと言うとRoll-on、Roll-offが原義かと思ってしまう。Rorotanもちゃんと別にその名前のゲートを持っているのであるがCakungやCilincingと一緒であるかのごとき表現が多い。
サイトでは完全な紹介版は無いので、此処で一度主なゲート名を上げてみる。
Penjaringan?: KamalまたはPantai Indah Kapukのほうがわかりが良い
Kayu Besar: Kampung名である。Taman Palemの方が綺麗だ
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Rawa Buaya:  汽車の駅名がある。Kosanbi・Kalideresに近い
Kembangan : Kebon Juruk或いはPuri Indahの方がわかりが良い)W1
Meruya : 3っつのgateあり、南はSerengseng
Joglo:  Kembanganからここまで W2-1
Uljami : Ciledugに行くにはここ   W2-2
Veteran : Tn.Kusir   W2-3
Ciputat: Pd. Pinang, Kby. Lama, Palmerah
Pondok Pinang: Pd. Indah, Lb. Bulus, Ciputat  W2-4
Bintaro
Pondok Indah: Lebak Bulus
Fatmawati: Cipete,Pd.Labju Cinere
Ampera : Cilandak 
Lentegn Agung:   Pasar Minggu
Gedong:  Cijantung
Kp. Rambutan:    TMII   ここまでJORR-S
Pasar Rebo Cibubur,
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Setu:      Han kam  Cilangkap  Jorr-E-1
Jatiwarna: Pondok Gede
Jatiasih: ここまでJORR-E1-3
Cikunir:          ここまでJORR E1-4
Kalimalang:    Karanji
Bintara:      Pulogebang
Cakung: Pulogadung  JORR E2
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Rorotan: Semper Barat
Cilincing: ここまでJORR E3
Tg.Priok ここまでJORR N(またはAkses Tg.Priok)

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2014年8月11日 (月)

アクセス タンジュンプリオク線

前回CakungからCilincingへ北上する高速に乗ったあの線はやはりAkses Tg.Priokとも言うようであるがTg.PriokとAncolを結ぶAksesも計画はあるようである。(こちらもJalan Tol Pelabuhanとも言うので錯綜する) このCilincingからのAkses Tg.Priokは全長12kmでRorotanから5つの区で工事中であるが第1のE.1 Rorotan ― Cilincing 3.4kmは完成しており従いJORRの起点 RorotanとAkses Tg Priokuの起点Cilincingが同地点の如く報じられたものである。従いこのアクセス線はJORRでなくJORR NO.2 の一部である。(或いはJORR Nとも)、第2区のE2はCilincingからTg.Priok方面のJampeaに向かう線で2.7km、

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3区は、Cilincing-Simpang Jampea、Simpang というのは交差点Intersectionであるが丁度港湾税関事務所前(Peti Kemas)辺りで此処は大林組が従事していた。いずれTol Pelabuhanと交差するのであろうか。

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4区はNS Yos Sudarso-Simpang Jampea (2,24 Km)、5区はNS Direct (1,1 Km)である。4区はNS linkとも言い98%完成しているあの高い線である。

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5区はNS Rampとも言うがJICAの金でこれから開始のようだ。Rampというから高い線から低い線につながる斜道であるが、どういう意味かわからない。この日曜日にも再度行ってみたのであるが結局あまりわからない。

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分かったのはあの高い線は2区から子別れして来た線のようであるがYos Sudarsoにはまだlinkしてなく、その役目をするのが第5区のようだ。
鹿島も他のところを分担しているが日本の金と企業がやっているので日本の企業に聞けばもう少し分かるのであろうが。。完成は2015年央とのことなので今少し待とう。
このAkses Tg.Priokは全車両利用可とする筈ゆえYos SoedarsoからCawangへ、或いはCilincingからCikunirに入ってくる車両でCikanpek線の渋滞はひどくなる。これにはCibitung-Cilincingの迅速化が望まれるところである。

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2014年8月 8日 (金)

テルコム インドネシア

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先月末に国営通信会社テルコムの2014年上半期の決算発表があった。それによると売上は43兆、利益10.4兆(924億円)であった。手持ちのデータでは2011年が売上71兆、利益20兆であったのでそこそこの伸びであるがコストも増えて来ているといえようか。通信大手2番手はIndosatであるが2011年頃売上は20兆、利益0.8兆だったのでちょっと水を開けられている。株主は未だ政府がマジョリティ(65%)をもっている。昨年通信衛星No.3 が軌道に乗ならなかったので今年4番目の衛星を打ち上げる。
本社は2本社制を取っているようで戸籍上はバンドンである。バンドンとは不思議であろうが元を正せばオランダ時代の通信郵便会社を引き継いでいるからで、19世紀終わりオランダ政府は軍備上から軍の他一部の省庁をバンドンに移したことがある。その会社はPTT(Post Telegraaf Telefoon)というが設立は1882年ながら1856年10月23日に最初の電報がバタヴィアとボゴールをつないだ日をTELKOM誕生の日としている。
歴史上のポイント記しておくと
1961年:Postel として国有化
1965 年:Post & Giroを分離しTelekomunikasiと称する。
1974年:Perumtelと改称
1980年:Indosatが国際部門担当
1989年:自由化
1991年:Telekomunikasi Indonesia と改称
1995年:上場、NYK、LDNも
子会社としてはTELKOMSEL(携帯)、TelkomVision(ペイTV:現在80%をCTグループに売却)などがある。
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写真2つはガトット・スブロトのジャカルタ本社とシシンガマンガラジャのジャカルタ地区本社である。
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こちらは一度間違った写真を掲げたのでTg Priok支店のも掲げてお詫びする。
インドサットは本社はモナス・バラットで紹介済。

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2014年8月 7日 (木)

Wijayakramaは5人目のパンゲラン?

これもインドネシア大使館での着想であるが、VISA 担当の人は I.Gustiと言う多分バリ人であるが、この名前はバリ空港の名前になっている国家英雄のヌグラ・ライの称号に付けられているが、王族・貴族・英雄に付けられる称号であるが、それからPangeran Gustiを思い出し、それからPanngeran Wijayakusuma、Pangeran Wijayakarta、それからWijayakramaと続くのであるがこの3人はインドネシアの50ほどもある連隊のニックネームとしても採用されている。 Wijayakusumaは中部ジャワ・スマランの連隊名であり、あと2つはジャヤ師団の2つの連隊の名前にもなっており051連隊(ブカシ)がWijayakarta、052連隊(タンゲラン)がWijayakramaである。Wijaya karmaは小生のまとめた「3人のパンゲラン」には選出漏れしたので調べると彼はバンテンのスルタンの部下で本名はTubagus Sungerasa Jayawikartaでまたの名はPangeran Jayakartaと言い、或いはPangeran Jayakarta IIIとも言うとあった。
なんということもないそうすればこのWijayakartaもWijayakramaも同一人物になるのである。 IIIと言うのはあのファタヒラーをIとしてIIがRatu Bagus Angkeであるが
ファタヒラーの息子ハサヌディンはバンテン王国のスルタンになったので、バンテンの出先となったスンダクラブを治めたのは上記の3代となるのだ。彼のIbuはRatu Pembayunとでていたが彼女はハサヌディンの王女であるのでこのIBUというのは母であろうか 1619年蘭英戦争の時はイギリス軍とVOCクーン将軍に対して戦ったが
敗れたもののその子供Ahmad JaketraはPangeran Wijayakarta IVとして続いたそうだ。

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2014年8月 5日 (火)

外環道路は円周でつながるのか

外環道路全面開通などと大げさに報道されていたが実際はRorotan(Cilincing)からPenjaringanまでの50数キロが完全につながったというもので、89年の建設開始である。
CilincingからTg.Priokまでは建設中なることは先に書いた通りである。Tg.PriokからPenjaringanまでだと64kmでその北はどちらも海だから環としてつながってなくとも外環道路といっても良かろう。所でPenjaringanから市内に行くにはSukaruno Hatta線(Sedyatmo線)を使えばスマンギでもコタでもこれるがTanjung Puriokはそうは行かない。Tg.PriokからYos Sedarso線に乗っても湾岸道路には行けなく隣のコタに行くにはこの外環道路を1周しなければならない大無駄を演ずることになる。(一度スンター辺りで高速を降りて乗り換えれば問題ないが)しかしこれが今までの問題であったが他の資料から判読すると、前回Cilincing―Tg.Priok線がYos Seodarso線と接続すると推定したが、そうではなく多分これはTriokからAncolに行くAkses Tg.Priok線ではないだろうかと思う。現在のAncol線はJembatan Tiga からAncolと通ってSunterに行く線でPerabuhan線と言いSunterから更にCilincingに延伸されるが、このAkses Tg.Priok線やPerabuhan線の延伸はJORRに含まれるのではなく、いまひとつ外側のJORR 2 になるようだ。
このTanjung Priok ・Yos  Sudarsoは今ひとつわからない点があるので写真で復習しよう
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1 Cilincingを降りた所
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2 少しずつ高架になる
3 前回の1で左手Tg Priokの方に曲がる
4 前回高架建設中
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5 LPG基地辺りで 支柱の間に1本つながっているが。。
6 Cilincingからの建設道路はいつの間にか左手になり
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7 右手にTg. Priok港、この辺り道路の大工事中

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8 左手Cilincingからの高架をおりる道、右手は既に高架
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9 右手高架が伸びる
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10 高架が左手に折れる あれ8も左に少し曲がっていたが。。Cilincing線は下に降りたか
11 前回の最後の一葉は、高架の先に又工事中の高架が微かに見えるがこれもあれもAkses Tg Priokか   今日はレバラン大休暇の日曜日で道路は空いている。 本当は少し渋滞の方が写真を多く取れるのだが

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2014年8月 4日 (月)

ジャカルタ外環道路の北と東

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これもゴルフの帰り、今度は一昨日と逆の東の北の外環Lingkar Luar高速に向かった。この通りはチカンペック高速道路に、コンテナー車がドサッと入ってくるCiknirから北上してタンジュンプリオクに向かう部分であるが 道路名で言うとCikunir-CakungがJORR E2でCakung―CilincingがJORR E3で、Cilincing=Tg.PriokがJORR Nと言う。どうせ東だからと省略してJORR Eastと言うと JORR E1が 南のTMIIからHankam・Jatiasih辺りにあるので間違う。

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昨日はプロがドンの先のCakungから乗り入れたので実際はCilincingまでの1区間しか乗ってないことになる。すなわちJORR Nはまだ建設中であったのである。
Cakung、Cilincinといえばタンジュンプリオクの後背地の物流拠点であるので眼に入るのは倉庫とコンテーナーとクレーンばかりである。
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一っ時、周りの写真を取るため目を離すとこのJORR Nはどう走っていたのか不明になるが多分北のCilincing Raya通りに突き当たって左折しタンジュンプリオクに向かったのでと思うが最後の辺りで高い高速が出来ており、00cacin_134


これが正体不明ながら、多分Cawang( /Bogor)から北上してきたYos Sedarso線と合体するのでろうと思われるが又宿題となった。 又前回南のSimatupang道路あたりがJORRでは初めてだと思ったがこのCikunir―Cakungの方が1990年10月オープンだというのでこちらが一番であった。

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2014年8月 1日 (金)

ジャカルタ外環道路 Lingkar Luar (JORR)

Ahok副知事の高速道路計画を日本からブログにしたが実際見てみないとと思ってゴルフの帰りにちょっとよって見た。ブログではRawa Buaya当たりの写真であったがこれは随分前の写真だったとようだ。
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この辺りはまだ土地が余っていると書き、そこを通るときジャカルタ寄りは開発され尽くしているがタンゲラン寄りは木々が見えたが、実際はもうそんな差はないようだ。最初にジャカルタの南のポンドクインダー(Simatupang)にこの外環道路が出来たのはだいぶ前で1995年にある程度使えるようになったが、その後はTMIIからブカシのCikunirにつながったのが2007年、00pulomas_kara_ciledug_187_2

先のRawa Buayaを通る北のPenjaringanからKembangan が2010年、Kebun Jerukから Ciledugまでが2013年末、そしてBintaroにつながるのがこの7月だったと思う。その日は結局北の方からCiledugまでを通っただけであるのでBintaro辺りはよく知らない。Cikunirからの北はCilincingまでは行くようだが、Sunterにつながるのはまだである。またCilincingからTg.Priokまでは一般道路になるようだ。運ちゃんは小生が窓を開けて写真をとっているのをお構いなし、ゆっくり行けの指示も無視、高速は高速に限ると飛ばすので、写真はだいぶ見落とした。いつものことだが又タクシーででも行くしか無い。
写真はTaman Palemのモールは、高速沿いの鉄線が斜めに飛ぶが、正面のKayu Besarの両サイドはモールが連なる。 

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