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2014年8月13日 (水)

アンタサリもパンゲラン

パンゲランという尊称が名前に付く人はバンタンのジャカルタ領主関係で5人、同じくバンテンの18世紀後半のパンゲラン・グースチがいたが、カリマンタンにも居る。名前がアンタサリPangeran Antasari(1797年or 1809年~1862年)と言うから女性かなと思うが皇子である。中部カリマンタン、ダヤックが生んだ数少ない国家英雄である。スルタン国バンジャールの皇子であったが宮廷で育てられたことはなかったので民衆の気持ちが判る王であった。
時のスルタンは親オランダで民衆からは嫌われており、反オランダの動きも出てきた。アンタサリは地方地方の領主を集め最後の血の一滴まで戦おうと1859年に両者は戦争となった。アンタサリ軍は6,000人の兵士であったがその後もドンドン増強され戦争は14年も続いた。オランダからの妥協の申し出も拒否し戦ったが1862年彼自身が天然痘の病気に罹りなくなり、バンジャルマシンに埋葬された。1968年独立闘争英雄に叙せられる。バンジャルマシンに国立イスラム学院 IAIN Antasari Banjarmasinがある。
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ジャカルタではブロックMパサラヤデパート前から南に下る高架道路が有る道に名前が付けられている。この高架道路はJalan layang non tol (JLNT) Pangeran Antasari-BlokMと言う。写真から見るモール・アパート複合施設はリッポーのくまんヴィレッジである。

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