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2014年9月26日 (金)

SyarifahのPerwari

屋上のプールを拝見させてもらったメンテンのホテルTreva(9月4日 天空のメンテン)の横にPerwariと言う意味不明の看板がでており、00_perwarip8070133


奥にPanti Trisula Perwariと書かれている建物があるのでPanti Asuhan(養護院)と思われる。インドネシアには日本以上にこうした孤児院的な施設が多い様に見受けられる。それはバタビアお春の時代からオランダ人が作ってきた伝統があるからかも知れない。調べてみるとこの施設の歴史にはインドネシアのあのカルティニに次いで女性教育に捧げたインドネシア最初の女性教育者がいたのである。
インドネシアの161人居る国家英雄には入ってないのが不思議である。
Syarifah_nawawi


この女性はSyarifah Nawawi と言いミナンカバウBukittinggiに 1896年生まれ1988 年になくなっている。カルティニに遅れる事19年である。父親はブキティンギの王立学校の教師で彼女はこの学校でミナンカバウ最初のヨーロッパ教育を受けた後、バタビアに出て勉学を続けている。結婚は早く1916年であったがこの夫とは1924年離婚、その後あのサムデラ海運の成功者Soedarpo Sastrosatomoと結婚後1937年迄ブキティンギで女性教育学校を運営した。日本占領時代は“婦人会”活動に参加、独立後1945年に設立されたインドネシアの婦人の団体であるPerwariの活動を行う片側、自分の家の使って貧しい子供たちに教育を与えた。1955年になって初めてこれを母体として友人たちとYayasan Panti Wanita Trisulaと言う財団にしたものである。

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