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2014年11月20日 (木)

鉄道駅とパッサール セルポンの場合

ジャカルタにいた先月、タンゲラン駅訪問に失敗した日、帰りはセルポン駅を目指すことにした。今度は立派に開発中のセルポンBSDの中にあるモダーンな駅を想像したが、とんでもない、高速に向かう道(Pahlawan Seribu) から横に外れてSerpong Rayaを南下、
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Sinarmasが開発中の広々として中を通り途中イオンのモールも一寸見かけたが 運ちゃんはどんどん小さくなってゆく道を行く。彼の住まいも近いので今度は安心だ。 どうしてこんな離れに駅が作られているのか訝り、いつしか又何処の駅にもあるパッサールに入り、線路を超える時、左手に駅が見えた。
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今度はプラットフォームではなく線路をまたぐ駅舎である。戻りにもシャッターチャンスはあったが踏切ベルが響いていたのでそうそう退却した。この線路はKRLのタナバン駅から来るものでこの先はParung PanjangからMaja駅迄伸ばしてKRLを構成しているが、更にRangkas BitungからCilegon、Merak迄伸びるのである。Pangkas Bitungの駅は1905年だというのでこれらのインドネシア線路網は昔の名残であり、そこが現代の成長の流れとは異なり、すべての駅が伝統市場のゴミの中に位置している理由かもしれない。

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コメント

更にPangkas BitungからCiregon、Merak迄伸びるのである。Pangkas Bitungの駅は1905年だというのでこれらのインドネシア線路網は昔の名残であり、

Pangkas Bitung⇒Rangkas Bitung
Ciregon⇒Cilegon (Cirebonと現地人も間違えやすい)

Rangkabitungは文明を拒否する人たちとして知られているバドウィ族の町で、町に住んでいる人たちは文明化した人たちです。
この町の周りには植民地時代にはプランテーションがたくさんあり、その産物をTj. PriokとSerang町の北にあるKarangantu港に送るためにこのメラク線が敷かれたようですよ。Karangantu港はこの近くのBanten lama遺跡になっている要塞を作ったBanten王国の港であったようです。

投稿: 度欲おぢさん | 2015年2月12日 (木) 09時22分

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