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2015年4月24日 (金)

興安丸 人生3度の邂逅

昨夜、阿川弘之の作品 「春の城」を読んでいる時、興安丸に出会った。Koanmaru


興安丸と言えば我らが世代では引揚げ船で働いていた時代を覚えている。戦後朝鮮戦争が終わった後であるがソ連に抑留された人たちが引き上げて来るのに使われていたのであるが、確かに二葉百合子の歌詞にも、あれから10年、悲願10年とあり、10年間も待ち続けたのである。「ああ風よ心あれば伝えてよ、いとし子待ちて今日も又 怒涛砕くる岸壁に立つ母の姿を。。。」と今でもぐっとくるものがある。
ところがこの船は戦前も大分前に関釜連絡船で使われていて、「春の城」では主人公の耕二が満州に兄を訪ね帰り鴨緑江のほとりの安東から宇品までを汽車と船で帰ってくる途中に出てくるのである。当時は搭乗者も多く1日待たされたりで都合3日も掛かっている。関釜だけでも一晩かかり朝6時40分に下関に到着している。
そして読んでいた時に頭によぎったのはこの船は我がジャカルタでもイスラム巡礼船として使われていた当時、又別の小説に登場しているのである。確かスカルノに貢がれた日本女性が悲嘆の末に日本恋しやとタンジュンプリオクに来て繋がっていた興安丸を見た風景であったと思うが、悲嘆にくれた女性は多くいるが神鷹商人のディアはスマランに家出したのみだので、多分咲坂周子だったと思う。辞世の詩「蝶よ お前は私の翼 風に乗り 海を越えて 伝えて欲しい 遥かな人に わが心 南溟に消ゆと」と涙をそそう。
そしてこの7千トンの客船はアメリカ軍潜水艦の攻撃を躱し避難しながら戦争を生き延びたが1970年、多くの保存を願う声の中、37年の就役を終えたのである。

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