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2015年4月23日 (木)

カルティニを偲んですることは

Facebookのだれかの投稿で一昨日がカルティニの日であることを思い出させてくれた。カルティニの日だからどこかで何かをやっているかもしれないが、それも過ぎたこと。
そういえばバライ・カルティニという会館がガトット・スブロト通りにあるがあれは結婚式場など運営しておりコマーシャルでRaden Ajeng Kartiniと関係なく名前拝借のようだ。Kartiniと言う弁護士事務所もあるが、相談する案件もなければ行くところがなくなる。地名で残っている所は南はポンドクインダーを抜けた外環通りと北はパッサールバルーの北側グヌン・サハリ沿いにある。
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そこをぶらぶらしてモナスに行けばそこにカルティニ像がある。
カルティニの本名はラーデンアジェン カルティニ1879年ジェパラで生まれる 側女の子供もいれ11人きょうだい、側女の娘、カルディナ、ルクミナととともに3姉妹と言われる。完璧なオランダ語も出来、オランダ人のペンパルを求め書簡を書き綴りオランダ人とジャワ人を等距離において観察、批判した。又子女教育にも尽くしたが若くして亡くなった悲運の女性であるがインドネシアにとって最初のナショナリズムの光であった。1964年民族運動の英雄の称号をあたえられる。そしてこのカルティニの像は今静かにムルデカ広場の東隅に立っているが、これは日本からの寄贈であり、昔、デポネゴロ通りのバペナスの前に建っていたのであるが、今はディポネゴロ像に追い出されここに移転したのである。 此処で日本人の来訪を待っている。
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一言追加するとこの4月21日は、また、最初と言える日本レストランの「菊川」の生まれた日でもある。此処も日本人の来訪を待っている。

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