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2015年5月15日 (金)

暴虐の5月

5月のインドネシアの歴史を訪ねるとなんといってもスハルト退陣のジャカルタ動乱であるがインドネシアの歴史では戦争と自然災害でも血塗られた歴史がある。

戦争1. ニューギニア(西パプア)奪還作戦
1956年5月3日  ハーグ条約でオランダ領のままペンディングとなっていたが悲願のスカルノが西パプア領有の為にハーグ協定破棄、61年に武力解決に動いたが米国ケネディの斡旋で国連管理となった後インドネシアに引き渡すことを認められた。
1963年5月1日  イリアンジャヤ開放(記念日) 国連よりの施政権

戦争2 東チモール併合と分離
1875年-76年はポルトガルの左派革命で東ティモールの領有が緩んだ後の混乱に乗じたスハルト国軍は、左派フレティリンを放逐 インドネシアとの合併を宣言(76年7月17日)、西側はこれを容認。
1997年5月28日 東ティモールで、武装グループが襲撃、18人を殺害。インドネシアが占領した時代、スハルト国軍による弾圧、或いはディリ虐殺事件(400人殺害)で合計20万人が亡くなったとされる。

2002年5月18日 スハルト後のハビビによる住民投票約束で独立が選択され東ティモール共和国として独立、5月20日記念日

戦争3 マレーシア対決
1961年5月27日 ラーマン首相、マレーシア連邦構想(サラワクSPRブルネイ)
1964年5月3日 英の新植民地政策として反発してきたスカルノ、マレーシア粉砕指令を発動 Dwikora作戦 Ganyang Malaysia スカルノ失脚後撤回

自然の懲罰
1919年5月19日 東ジャワのケルート(kelud)山が大噴火。5,100人死亡、その後も1990年、2007年、2014年と続いている。
1883年5月20日 クラカタウ大爆発、3ケ月に渡り8月26日最大の爆発は30mの津波 を起こし3万6千人の犠牲者
2006年5月27日 ジョグジャ大地震 5,778名死亡

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