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2015年5月 1日 (金)

最新優秀映画Guru BangsaTjokroaminoto

ただ一人名前を知っているインドネシアの映画監督Garin Nugroho監督の作品で4月に封切りされた。
インドマルコの「インドネシア企業経営」誌の表紙写真はこのチョクロアミノト師の当時の自宅の写真である。説明にはオランダ統治下の20世紀初頭、民族主義団体として拡大しつつあったサレカット・イスラムの議長HOSチョクロ・アミノトがスラバヤ時代に住んでいた家。妻が家の一部で営んでいた下宿に集まった若者らがここでHOSチョクロ・アミノトの教えを受け、議論を交わしたという。この中から後のインドネシア共和国を担う人物が多く排出されたが、初代大統領のスカルノも学生時代ここに下宿し、チョクロ・アミノトに学んだ。とある。
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ジャカルタには師の名前を関した道路がラスナサイドから北のメンテンを繋ぐ部分にある。師の正式にはHaji Umar Said (H.O.S) Cokroaminotoと言い1882年東ジャワ・マディウン生まれである。官吏養成学校卒業、イスラム商業同盟に参加、1912年より政治志向のイスラム同盟に統合し会長として終生指導した。演説に優れカリスマ的指導者であった。スカルノの、恩師の息女ウタミを娶ったことは有名である。共産主義を排したイスラム社会主義を標榜し「イスラムと社会主義」を発表した。1918年アブドゥル・ムイスと共に国民参議院でイスラム同盟を代表しオランダに対し国民議会を設置する動議を行った。
イスラム同盟にはアグス・サリムやスルヨプラノトも参加しオランダ政府に脅威を与える組織に発展した。その後チマメレ事件(農民運動)の嫌疑で拘留され、1934年病床で亡くなった。1961年民族運動英雄として叙せられた。

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