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2015年6月16日 (火)

カンプン・トゥグの再興

タンジュンプリオクの南に位置するTugu 地区はポルトガル人によるクロンチョンの故郷としてアリサディキン時代に文化保護地域に指定されたがタンジュン・プリオク港に行き来するトラックやコンテナーで埃をかぶり続けている。そのようにアクセスは悪いが、その上に此処を文化地区として維持する努力は欠けており一度市から45億ルピアの助成金が出たのであるが教会と住民の半目の間に消えて言ってしまったようだ。トイレもなくレストランやちょっと座る場所もない。そうして住民は土地を売って出て行く始末である。そして今関係者で話し合いが始まった所である。
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カンプン・トゥグは1661年にインド・ゴアから連れて来られたポルトガル人の住む場所として1661年に設営されそこにポルトガル風教会も1678年に建設された。彼らは元アフリカやインド人でポルトガルの奴隷であったが新教に改宗する約束で自由を与えられた黒いポルトガル人と言われあるいはマイデルケル(自由人)と言われた。彼らによりクロンチョンが生まれたが今でも二つのフループが続けている。

ポルトガルからの大使はインドネシアのポルトガルに対する歴史的扱いに苦情を述べている。スンダクラパで発見差された石碑Padraoは鍵を掛けた部屋に置かれ、紹介文にはポルトガルは最初の植民国であったとしているが一度も植民地にすることはなかったはずだと言うのである。ポルトガルがインドネシアに影響を与えた証にインドネシア語となったポルトガル語は300にも上る。これらをディスプレーするミュージアムなどほしいいところだと語っている。他に彼らの住民たちのお祭りとしてはRabo-RaboとかMandi-Mandiがあるがこれも文化フェスティバルで発信したいなどというのが話し合いの幾つかである。
教会は一度倒壊したが1738年に牧師Dirk Jan Van Der Tijdにより再建されたが直ぐ1740年中国人の反乱と制圧の中で焼失しそれを1744年オランダ人の富豪商人Justinus Vinckが復興ししたのが現在に一部残っているものである。今残っているのは鐘と十字架及び説教壇である。
元々の住民も混血が進んでいたりするが残っているのは12家族でAbrahams, Cornelis, Nehils, Quiko 及び Andrisという名前だけだそうだ。生のクロンチョンが聞けるレストランデモできればきっと観光客は来るとおもうのだが。。

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