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2015年6月 1日 (月)

インドネシア教育の原点

デワントロKi Hadjar Dewantara1889年5月2日にジョクじゃで生まれ1959年亡くなった彼はジョクジャのパクアラム家の直系プリヤイでメダンのELSで植民政府の教育を受けジャカルタのStoviaでも学んだ。オランダ系のダウウエス・デッカーとともにジャーナリストとしても活躍、ブディ・ウトモの第1回会議も組織し、Douwes Dekker、Tjipto Mangoenkoesoemo東インドネシア党を結成している。この時の仲間3人で3人の指導者(Tiga Serangkai)と呼ばれるようになった。
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1913年オランダに反対する論文活動で、オランダに追放され勉学の機会を与えられたが1919年帰国し1922年にタマンシスワを開設した。 写真はジャカルタのタマンシスワ学園
モットーは"di depan menjadi teladan, di tengah membangkitkan semangat, dari belakang mendukung 模範を示し、励まして押し上げる"として現代にも生きている。40歳になってそれまでスワルディ・ニングラットという貴族の名前を捨てデワントロと解明したものである。日本占領時重用されたSoekarno、Mohammad Hatta、 Ki Hajar Dewantara及びMas MansurとともにEmpat Serangkaiと呼ばれることもある。
独立後は教育文化大臣などを歴任、インドネシアの教育の構築に尽くした。彼の生まれた日5月2日が今インドネシア教育の日となっている。
おじのミュルタトゥリは「マックスハーフェラール」の作者であり、弟のSuryo Pranotoは同時代ジャワのストライキを指導しストライキの王と言われた。写真はジャカルタのタマンシスワ。

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