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2015年7月30日 (木)

21回に及ぶスカルノの独立記念演説とデウィ

もう8月でインドネシアの独立記念日の月である。 1945年8月17日に独立宣言を発してから、すぐ後にスカルノは彼自身のスピーチを加えたがその後毎年この記念日にはスカルノが美辞麗句で歌い上げたスピーチをするのが恒例であった、というので、その演説をネットや本で探し回って完成させた。
46年がSekali Merdeka, Tetap Merdeka!で最後が66年で先般のブログで紹介した“Jasmerah”Jangan Sekali-kali meninggalkan sejarah 歴史を忘れるな である。
この21年に及ぶ独立記念演説のさわりと歴史背景はインドマルコの月間誌に投稿しているので参照ください。

また7月24日 のブログで「インドネシアは未だスカルノが嫌ったNegri Minta Mintaか」と書いたがこのMinta mintaも彼の演説の一部でそのさわりの意訳は以下の様である。
「民主的な国家の建設のため独立した経済を建設しなければならない。自助の経済なくして独立を達成できないだろうし我々はきっと生きることも出来ないだろう。我々は偉大な民族である。テンペの民族ではない。我々は決してお願いすることはない。ましてあれこれ条件を付けられての援助をバケツを持ってミンタミンタすることなど決してなのだ。インドネシア経済はインドネシアらしく、政治システムもインドネシアらしくそしてインドネシア民族もインドネシアらしくあるのだ」
これは終身大統領になった1963年であるが デウィ夫人 旧姓根本七保子の登場したのは1959年でその年は“Penemuan Kembali Revolusi Kita  我が革命の再発見”であった。

綴りを間違っていたものもあるので、このブログを急遽作りここで訂正しておきたい。綴り間違いは外出後の鍵かけ忘れみたいにいつまでも気になる。(インドネシア辞典:奈保子、専科:七保子)

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