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2015年7月25日 (土)

外国人課徴金の歴史と行方

ミンタ・ミンタもいいことではないがそれに対し毒づくのもよくない。 緩和する意味で追加の考え方のヒントを探してみた。あのDPK―TKAというのは正確にはDana kompensasi penggunaan TKA(外国労働者使用賠償基金)であり2003年の労働法にもKompensasi(賠償金)と書かれているが2004年のKEP-20/MENを見ると現在と同じ名前のDana kompensasi penggunaan TKAが使われており、その$100(実際は$1,200)を送金するときの口座名がDana Pengembangan Keahlian dan Keterampilan (DPKK)(技術能力開発基金)となるものであった。現在もこれは変わらないものと思う。従いこのお金の性格は大昔は知らないが、そこそこの昔から今回まで変わってないのである。

そこそこの昔と書いたがDPKKはこの2004年からでもなく、いやむしろ1995年の大統領令No.75 からであろう。そして更にこれには大昔の前史があり、それは多分1958年の法律第3号、つまりスカルノ時代なのである。1958年法律本文にはBiaya2費用 としか書かかれてないのでいつからかは分からないが、95年にDPKKとなる前は IWPL(Iuran Wajib Pendidikan dan Latihan 教育訓練義務課金どでも)であった。 95年(実際の通達は97年)IWPLがDPKKとなった時はフイーの名称も送金先もDPKKであったが2004年からKompesnsasiという名前に変更して目的を不明にしたが口座名はDPKKのままだったと思う。(現在の支払い方法は別途確認する)そしてこのDPKKはIKTA(現在のIMTA労働許可)を取る前提であったのでインドネシアに居住して就労する人だけが対象であったのである。 この課徴金或いは賠償金はいつまで払うのか 技術指導が終わっても外国人が居る限り払い続けなければならないわけであるから外国人課徴金である。大昔外国人税や出国税もあったがインドネシアの成長に連れて無くなった歴史もあることを付け足して置こう。

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