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2015年8月20日 (木)

ウントン中佐のパソパティ部隊

パソパティと言う単語はバンドンのJembatan  Layang PasopatiやスラバヤのMonumen Kapal Selam Pasopati(Monkaselと略称)などの名称に付けられているが源を尋ねるとマハーバラタに出てくるアルジュノの矢である。
このあいだ9月30日事件を読んでいる時もこの名前が出てきた。少し迷惑な話しであるがクデーターを起こしたウントン中佐の部隊名である。
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この時編成したのは3つのそれぞれ異なる役割を持つ部隊でその一つにパソパティ
部隊があった。パソパティ部隊は、四中隊からなっており目標となったスプラプト少将、S.パルマン少将、M.T.ハルヨノ少将、D.I.パンジャイタン准将、ストヨ・シスウォミハルジョ准将の家にはそれぞれ一小隊を割り当てナスチオン大将とA・ヤニ中将にはそれぞれ一中隊が当った。他の2つの部隊は、ビマ・サクティというのが、これは市内の放送局など重要施設の確保が任務で、3つ目のプリンゴダニは反乱軍の基地となったハリムのルバン・ブアヤの安全を守ることであった。
ナスチオン大将は隣の家から逃げ延びることが出来、スハルトのコストラッド本部に着きここでスハルトの制圧主張を認めスハルトはムルデカ宮殿を包囲していたデポネゴロ師団を説得し戦闘放棄サせ又放送局なども即時取り戻した。反乱軍には武器なども十分渉ってなかったようだ。ハリム方面にも一軍を派遣、ここでも威嚇と説得であっという間に制圧した。1日に満たない話しであった。

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