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2015年9月 7日 (月)

ジャワにおける英仏戦争1811

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フランスがかってジャワを占領したことがあると言えばいつだろうと思う人もいるだろう。VOC時代が終わった1800年から1811年に掛けてであるが、実際は本国で大革命が起こりウィレム5世がイギリスに亡命しオランダ王国がバタヴィア共和国としてフランスの保護領となった時からである。
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その間の総督はダーンデルスを含めオランダ人であったためフランスの存在が薄れているのである。ウィレム5世は東インドの地がフランスの領土となるよりはイギリスの保管に任すべしというキューの書簡を発した背景もありイギリスはマラッカ・モルッカを占領し宣戦を布告し1800年バタビア封鎖は撃退されたが、つかの間のアミアン条約の休戦を経て1803年に再燃、さらに、1806年バタビア港でイギリス艦隊がオランダ(フランス)艦隊を撃破した。ダーンデルスが1808年赴任して防衛を強固にしたが、最後はヤンセンスに後を譲った。ヤンセンスが総督になってすぐの1811年8月4日に英国は100隻よりなる艦隊を派遣、15,000人の部隊のタンジュンプリオク上陸にヤンセンはなすすべもなくバタビアを放棄、ウエルトフレーデンも喪失したヤンセンスは当時メースター・コネリスと言われた現在やのジャティネガラに立てこもった。ヤンセンスの軍は地方の土人主体の8,000人で武器補充もなく、8月24日前後3回、3方から攻めるイギリス軍の猛爆に、多くが死傷、本部もボゴールに避難し更に点々と拠点を移したが最後は9月、土人軍の裏切りに悩む中、スマランから上陸した英軍にサラティガ近くのツーンタンで全面降伏したのであった。
その間本国の政体は1795年のバタビア共和国(フランス保護領)、ルイ・ボナパルトを王とする王国、更に2010年にフランスの直接領土となっていた。
そしてラッフルズの英国占領期となるのであるが、英国はナポレオンの死により復活したオランダに、東インドの領土を還付したのである。00urip_sumoharjo_201411jatinegara


このメーステル・コルネリスはダーンデルス時代より防衛砦が強化されていたが、それが今のどの辺なのか知らないが、それ以来ジャティネガラは多くの軍の施設がある軍都となっているので、その一つがそうかも知れない。

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