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2015年9月18日 (金)

リンガジャティのミステリー

リンガジャティ協定というのがある。インドネシアの独立戦争の時の最初の蘭イ協定である。リンガジャティというのはチレボンの郊外25kmのところにあった当時のイ側交渉代表のシャフリル首相の保養地だったそうである。
Linggarjati_14


現在はGedung Perundingan Linggarjati(Museuma 映像は借用)として残されているようだ。
独立後上陸してきた連合国・蘭印軍はジャカルタ、スラバヤ、バンドン、スマラン、メダンと各地でイ側の反撃にあい衝突は続いたが、1946年からはイギリスのカー特使の斡旋による交渉等も始まるもシャフリル首相の弱腰の交渉は国内の強硬派の突き上げで混乱は続いた。蘭側に相手にされないスカルノはシャハリルを助け第3次内閣までも組閣させ交渉を続けさせたが1946年10月には英国キラーン特使の仲介による交渉は停戦合意に至るもその後の政治交渉をここリンガジャティに移して行ったものである。
ここでの交渉のリンガジャティ協定の正式調印は46年11月15日ジャカルタはイスタナで行われた。この協定に置いてもオランダはインドネシアのジャワ・スマトラ・マドゥラの領有は認めたが東インドネシアの領域などとオランダ王国を長とする連邦制RISであった。 この協定は国内でマシュミ党、国民党多くの反対で批准できずオランダは47年7月21日の第一次軍事侵攻となるのである。
Linggarjatiと言うのは2つの語源に分かれるものと思われ調べるとragu-ragu疑うと言うジャワ語らしいが覚えなくとも良いだろう。この正式調印はジャカルタの独立宮殿であるがネガラ宮殿とした資料もあったような気がして訂正の意味で取り上げた。 シャハリルのジャカルタの自宅は茅屋になっているようだがとかいりいろ不思議はある。

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