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2015年11月14日 (土)

スジャトモコと国連大学

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Prapatan 10で登場したスジャトモコ(Soedjatmoko)は日本と関係も深いインドネシアの著名な知識人であることが解った。日本との関係が深いと言っても直接的ではなく渋谷区にある国連大学の第2代学長であって、この国連大学(UNUと略称)と言うのは日本の大学ではなく国連が設置した大学である。
「人類の生存、開発、福祉など国連とその加盟国が関心を寄せる緊急性の高い地球規模課題の解決に取り組むため、共同研究や教育を通じて寄与する」為国連が1975年に設置した大学で現在は世界13国に多くの研究所を擁している。
彼はここに1980年から1987年まで奉職している。そして1989年に67歳で没したが、残念ながら日本の勲章はともかくインドネシアの英雄勲章も貰ってないのはどういうことだろうか。彼のウイキペディアはない(和文は)ので、コトバンクで手っ取り早く引用すると「西スマトラ生まれ、日本軍占領時代から政治運動に参加。独立後に外務省・情報省に勤務し、インドネシア社会党幹部として活動する。同党の非合法化に伴い、アメリカに亡命し、1956年コーネル大学において客員講師となり、’59年まで務める。その後、’68〜71年には駐米インドネシア大使を務め、以後、開発企画庁顧問、国連大学学長などの要職を歴任し、東南アジアを代表する知識人として知られている。」
彼はスタンシャフリル首相の婚族でもありそれもあり、大学を追放されたが独立後は情報省に入りオランダ語による雑誌を発行、1947年首相の依頼で国連に派遣されインドネシアの独立を世界に認識させる運動に活躍し功績があるが帰国後社会党員として政治活動を続けスカルノの権威主義に抗議している。スハルト時代は米国大使を努めた。マラリ事件の時は事件の首謀のひとりとして尋問を受けている。
写真の国連大学本部ビルは丹下健三氏の設計での土地建物は東京都と文部科学省が無償貸与・管理しているものである。日本が持つ国連の施設の唯一のものらしい。
叙勲の話に戻ると、彼の政治的活動に英雄叙勲を阻害している部分も感じるがアジアのノーベル賞と言われるマグサイサイ賞は授与されている。

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