« 雪からテロへ | トップページ | 出るわ出るわSNI義務法令 »

2016年1月25日 (月)

本当のパジャジャラン国の誕生(2)

パジャジャラン王国の始まりに間違いがあったのではと気付かした論文はボゴール市のサイトにあるシリワンギ物語であり井口正俊氏の著作「ジャワ探求」の中の列島列王史を題材にしたパジャジャラン国である。両者より歴史年表風にまとめると以下の様になる。
395年 タルマネガラ国 第3代プルナワルマン王(~434)の治世
526年 タルマネガラ第7代スルヤワルマン王がバンドンにケンダン国を建設、ジャワに移ってサンジャヤに繋がる。
669年:タルマネガラ第12代王リンガワルマンの娘婿タルスファが弱体化したタルマネガラを引き継ぎスンダ王国とした。同時にその東にガル-王国も並立し、両国は領土を数度に渉り変更し収める。
1333年:スンダ王国第28代リンガデワタの女婿リンガウィセサがガルー近くに移ってカワリ王国を建て同時に旧スンダ王国の王も兼ね治世した。
1357年: ブバットの戦い:スンダ王はマハラジャ リンガブアナ(カワリ王国第3代王)、皇女はディア ピタロカ
     この後も住民はこのスンダ王をPrabu Wangi芳しき王として慕った。
     留守を守っていた弟王子ワストゥ クンチャナまだ小さいので伯父が通称ブニソーラの名前で王となる。
1370?年:成人したワストクンチャナがマハプラブ ニスカラ ワストゥ クンチャナ プラブレシ ブアナ
トゥンガルデワタの呼称で王位に付く。通称はWangi Star
14xx年:ワストクンチャナが死亡しその二人の王子で国が分かれ、一つはガルー王国で王はデワ ニスカラ王、
あと一つはパクワン王国でススク トゥンガル王である。
1482年:カワリのラトゥ・ジャヤ・デワタ(スリ・バドゥガ)が両国を統一してパジャジャラン王国を建国し都をパクアンとした。
1498年:マジャパヒット王国滅びる。ドマクの侵食で。
1521年:スリバドゥガ治世終わる。息子のスラウィセサが継ぐ。
00batu_tulis_bogor_20141211_50

1533年:バトゥトゥリスの碑文が建立された。(2代目の王スラウィセサが父王スリ・バドゥガを顕彰して建立。
スリ・バドゥガ・マハラジャ王はプラブ・シリワンギ(シリワンギ王)として親しまれた。

間違いの原因は碑文に書かれた1333年であるが、これがパジャジャラン国の創設の年と誤解されたがそうではなくこの年は代わりにカワリ国が成立している。1333は碑文建立年であるがそれは1533年の間違いであった。
そしてガルー国が7世紀と15世紀に2度出てきて、パクワンの国とカワリの国がスンダ王国或いはパジャジャラン国として統一或いは凌駕した、繰り返しの歴史があることである。また1357年の王と1482年の王がどちらも芳しいニックネームを持っていた事で混乱の元があった。
しかし1535年にパジャジャラン第3代王スリ・バドゥガ・マハラジャ王(別名ラトゥ・デワタ王)が即位したという論文も発見したのでまだ混乱があるようだ。

|

« 雪からテロへ | トップページ | 出るわ出るわSNI義務法令 »

インドネシア・ジャカルタ歴史今昔」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 雪からテロへ | トップページ | 出るわ出るわSNI義務法令 »