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2016年1月14日 (木)

メデューズ号はバタヴィア号の200年後

Theodo2


フランス絵画の本で過去も見たことのある『メデューズ号の筏』に又出会い、バタビア号の惨劇を思い出した。
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これに付いてはこのブログで「バタビア号の惨劇と救出劇」と「オランダ来航時代の帆船」で2回も書いているので再出はやめるが、バタヴィア号の2世紀後の、同じ海難事故での人間の断末魔の姿を描いている。メデュース号はフランスのフリゲート帆船でアフリカの植民地に向かう途上、無能な船長により岩礁で有名な海域に入り込み座礁し、離礁にも失敗し、自分や赴任中の知事を優先脱出、いかだに取り残された150人はほんの13日の漂流の間に、将校への反発から殺害、海中放り込みの反乱や、又その後の飢餓によるカニバリズムなどで、偶然の出会った僚船に救助された時は15名のみであったと言う話である。この事故は1816年、これを題材に絵にしたのがジェリコーで2年の狂ったような没頭で1819年に発表された。ボートは2艘しかないが全乗組員400人、座礁地点は陸から50Km ~100Km 、船長は最初曳航していた筏のロープを恐怖から切断、死に至らしめたが、処罰を免れている。メデューズはこの事故の前はフランス政府によりジャワにも派遣されており、英国との艦船との戦闘にも参加している。 この当時はオランダはフランスに占領されたナポレオン時代であった。

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