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2016年1月 8日 (金)

ラワン・セウの歴史


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スマランの観光地はトップ3は青年の塔、ラワンセウLawang Sewu、サムポーコンとしたが昔2008年5月に書いたブログでLawang Sewuを間違ってRawang Sewuとしていたこともあり、再登場させる。
その後写真もインドマルコ月刊誌の2013年8月号に掲げたものがベストなのでこれも今回アップしよう。

00dsc_0419Lawang Sewuとはジャワ語で「千の扉と言う意味で、この正面の両サイドはオープンギャラリーとなっており40弱のアーク状の門扉で飾られている。つまりラワンセウという名前はこのデザインに由来する。
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1908年(建築1904-07年)オープンでオランダのJF Klinkhamer と BJ Quendagの作品である。最初は1864年設立のNederlandsch Indische Spoorweg Maatschappij (NIS 蘭印鉄道会社)の事務所であったが 独立後は現在のKAI(国鉄)の事務所として使われた。心霊スポットとしても有名で同じ名前のホラー映画に使われたが、多く手が入り良かったのか悪かったのか、いずれにせよ多くの人が訪れている。
00dsc_0031_2小生もここの青年の塔の周りは何度も来て数回回りながら良い角度の写真を試みたが結構難しい。ここに熱中するばかりにこの周りにあるマンダラ・バクティや教会なども撮りそこねた。

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