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2016年4月 1日 (金)

Eigen Hulpが残したもの

ジャカルタ水没の象徴となったOLVEHだが、洪水のたびに前の道はアスファルトで固められ、ドンドン高くなったとか、いずれ見に行くとして、名前の後ろに付いているのは相互扶助のEigen Hulpなので、最初はこれでgoogleする事になったが、なんとそれはデパートの名前であった。 
しかしそれは更に遡る昔の話で且つ案外短命に終わって(1890年~1929年)いて今に残るものもないが、辛抱して読んでみると、本店はオランダで、バタヴィアではガジャマダ通りとジュアンダ通りに支店があったそうである。Eigen_hulp_tr


ガジャマダ通りの店は現在のBTN銀行の当たりで、当時の絵葉書で左の樹木に半分隠れているのがその店である。 以前ここにはMarine Hotelがあり、そのあと開いた店である。店の名前からもOnderlinge Hulp現在の生協であったようで当時のオランダ人公務員が多く行った店で生活用品の他モダーンな商品も並んでいた。
商品種別には、pembuat busana, kaos kaki, topi wanita, sarung tangan, kalung, busana pria, mainan anak, kotak musik, album, vas, patung perunggu, rokok, pelana, peralatan kuda, makanan bermutu、cerutu, payung. Juga menjadi disributor Liberty & Co dan karset Royal Worcester Americanなどがあり、小生も選ばれた一人と自認しているので、読む内に行きたくなる。
ところがこの当時北のカリブサールの方で、高級品の競争店Van Vleuten & Coxがあったが、時に1894年の世界的砂糖不況で苦しみ、こちらの方が割引など生協的活動で打ち勝った歴史はあるが自身も1929年の世界恐慌で店を閉めるはめになっている。
最初に戻ってOLVEHであるが、OLVEHもこのデパートEigen Hulpもオランダの本店はDen Haagにあったその名前の相互扶助・保険・生協・の店で、1878年創業の名店のようで、バタヴィアに進出したのがJuandaであり Gajah Mada であり、Jembatan Batuなのであろう。從い1922年建築のJumbatan Batu 事務所のOLVEHもこの1890年頃には進出ずみであったのである。 この名店はオランダでも名前を知る者はいなくなっているようだが、インドネシアではOLVEH博物館として残っているし、国営Jiwasrayaにつながっている。

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