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2016年4月 4日 (月)

潰れそうな?ジャカルタロイドもEigen Hulp

グループ「廃墟部大好き」に入ってから、それならあれだと思った建物がある。ファタヒラー広場を抜けるピントゥ・ブサール・ウタラがカリブサール・チムール III(ジャラン・コピとジャラン・クニールの間)に刺さるT字の左側の建物で、取った写真を拡大するとまだ壁に書かれた字が読める。
00djakarta_lloyd_asransi_1910


書かれているのはDjakarta Lloydである。やっとその名前を発見したと思ったのであるが、さらにジャカルタロイドをサーチングしているうちに、何の事はない、自分自身で書いた2008年7月22日のブログ「無残 オランダの建物」にもすでに「ジャカルタ一、無残な姿を見せているオランダの建物の正体が判った」と書いていたのだ。
先を急ぐとこの建物は1890年に立てられ、このDjakarta Llotdの前は、“Onderlinge levensverzekering van EIGEN HULP”が使っていたとされ、これで2つの疑問が氷解したのである。
一つはガジャマダ通りのEigen HulpデパートのWikipediaに “Eigen Hulp yang masih dapat dilihat hingga kini adalah tulisan Onderlinge Levensverzekering van Eigen Hulp (Asuransi Jiwa Eigen Hulp) di tembok bangunan di pojokan Jalan Pintu Besar Utara dan Jalan Kali Besar Timur 3.(Eigen Hulp には現在見ることが出来るのが上記T字にEigen Hulpである)”と書かれており、その時はOLVEHのEigen Hulpは1922年に事務所を立てたJalan Jembatan Batuなのになぜ2つある(あるいは間違っているのだろう)と思った疑問である。この2つの距離は500メートルもない近距離だからである。しかし昨日のブログで調査した結論、この3つ生保・生協・相互保険は大元のデン・ハーグの企業の分身・歴史であったのであると言うことである。そうしてこの3つの正式名を見ると以下の様に少しずつ違うのであった。
1. Kali Besar Timur III: Onderlinge levensverzekering van EIGEN HULP(生保)
2. Gajah Mada : Winkel-Maatschappij Eigen Hulp Ltd(百貨店)
3. Jembatan Batu : Onderlinge Verzekeringsmaatschappij Eigen Hulp (OLVEH 相互保険)
ロケーションから行くと古さは上記の1, 2, 3の順である。
そしてこのDjakarta Lloydが保有している建物は 「植民時代の建物リスト」にはabandonedとされている。Djakarta Lloyd自体が不払いで商事裁判で訴えられているのである。物流に力を入れるジョコウイ大統領も知っていることではあろうが。

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