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2016年5月24日 (火)

鎮魂の碑

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スマランのTugu Mudaの真下に記念碑みたいなのがある。一度何の下調べもしてない時これこそ鎮魂の碑だと思って、写真取るのも難しく、何周もぐるぐる回ったことがある。
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そして愈々調べると鎮魂の碑はスマランの西洪水運河の河口右岸にあることを知った。インドネシアの記事ではスマラン・マリーナビーチの東側の旧タンジュンマスレクレーション公園の近くとも書かれているが数kmはあるだろう。Tugu  Mudaの近くの事件の現場であったブル刑務所からは車で5分程度らしい。ここで亡くなった日本兵や市民はこの河に捨てられたということでこの場所が選ばれたようだ。
鎮魂の碑はインドネシア語ではMonumen Ketenangan Jiwaといいそれで調べるとインドネシア語でも幾つか書かれている。1945年10月14日から18日に起こったスマラン5日間戦争で亡くなった日本人を祈って建設されたもので、碑は北を向いており、これを立てた日本政府は犠牲の兵士の魂が日本に帰ることを悼んでいると淡々ととしている。 この碑には氏名の解った188名の名前が書かれているが犠牲者は460名強、しかしインドネシアに取っては2,000人ともいわれる人々がこの戦争で犠牲になっており、この碑は1952年に建立され公式にされたのは当時のスマラン市長Sutrisno Suharto の時の1998年であった。お互い憎しみのない戦争であった、戦争自体の愚かさを思い起こせる貴重な碑である。
この地区は洪水と海とにより侵食されてきたが、日本政府の一部資金提供もあり、一帯が整備され小さな博物館やスハルトの像などもあるようだが、まだ立ち退きの住民には十分な補償もされてない紹介記事もあった。

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