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2016年6月27日 (月)

Nieuhoff の 時代

国芳の「忠臣蔵十一段目夜討之図」の構図の元となったオランダの画家がいた頃1650年台のバタビアは総督クーンがイギリスとの海戦に勝利してバタビアを建設着手した1619年から30年であるが、
Map_batavia_niehof


現在のカリブサールを軸に東西の区画に分かれ、運河が張り巡らされた城壁都市を形成していた。外部への発展は多分1740年の騒乱以降であるが、城外の郊外8ケ所(アンチョール、ジャカトラ、ジュアンダ..).には砦が建設され27ケ所の城門(Amsterdam~Curenborg)も出来て居たようだ。掲げた地図は最初1682年にアムスで発行されたもので下段の海からのバタヴィア風景を除きNieuhofが元になっている。
003_batavia_gouveneurshuis


下の原住民の姿や上の3枚の風景もNieuhof作である。確認できてないがそのシリーズと思われる別の1枚も掲げてみるが総督官邸である。教会は城外であったがこれは城外か場内かも不明である。 この道路の賑わいなど、昔の町の風景を見ると多くの人で賑わっており、いろいろな社会のルールも出来上がっており、人類の発展に感心する所である。

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