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2016年6月24日 (金)

国芳のバタヴィア

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若冲と国芳が流行りのようで、何気なく見ていたTVで国芳の忠臣蔵討ち入りの図が紹介されたが、その絵はオランダの画家のバタビアの風景が下絵になっているというので急ぎTV画像をカメラに撮り、画家の名前をメモした。そしてこのことをFacebookにアップしたが驚いた事にこのことはhttp://www.accademiadegliincerti.itにも取り上げられており、更に日本人の幾つかのブログ等にも既にでていて既に周知のことであったことである。しかし小生のポイントはそれではなくこの絵に描かれた建物は今のジャカルタのどこであろうかと言うことであった。
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画家の名前はNieuhof, Joan,ヤン・ニーホフと言い1618年独生まれ、1672年マダカスカルで没したオランダの旅行家である。この時代のバタヴィアの画家といえばLachが有名であるが、彼とは1世紀も前であるので画材もバタビア城壁都市内である。バタビア城は当然に跡形もないが、城外も急速に発展していた。
彼は1640年ブラジルに赴き49年まで滞在したがその後バタヴィアでVOCに勤務し1657年には中国、蒙古、セイロン、インドと仕事や旅行を重ねて最後はマダガスカールで土着族に襲撃されたようで、その後救助隊などが派遣されたが行方はわからなかったと言う。作品は1665年に彼の著作Het Gezandtschap der Neêrlandtsche Oost-Indische Compagnie,に収録されている様である。国芳は1861年64歳で没しているので2世紀後とはなる。しかし当時の鎖国の日本でこのような外国の文献が入手出来ていたことを想像すると、人類の進歩と交流に感心する。

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