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2016年7月15日 (金)

ジャカルタとバタビアの行政区分

今のジャカルタは州と同格或いはひとつ上の首都として、その下は5つの区(+1つの県、県市のレベル)、その下に郡と町村が整然と区画割されて自治体を編成している。このジャカルタがバタヴィアと称した時代の20世紀前半を比較すると以下のようである。
Presidency             Gouverneur Generaal   総督
Propinsi 州            Provinsie/Residentie
   長はGubernur           Gouverneur 知事 Resident理事官
Kabupaten/Kota Madja 県市 Afdeeling県
   長はBupati・Wali Kota       Bupati
                       Burgemeester市長Wethouders助役
                       その他局長Derecteur
Kecamatan 郡            Distrik  Kawedanan?
   長はCamat            Werdana
Kerulahan 町村           Onderdistrik  その下にwijkやKampung
   長はLurah            
バタヴィアの名前は1621年クーン総督がバンタンに勝利し勝ち取ったjayakarutaを新ホールンと名付けたかったが、本社重役会が既に名づけていた名前になり、古い地図でも長い間Stad Bataviaであった。 20世紀になって本国のGemeente制度を取り入れ1905年Gemeente Bataviaとなったがその下のDistrikはBataviaとWeltefredenの2つに分かれていたようだ。その後1935年に今のJatinegara(当時はMeester Cornelis)を合併しStad Gemeente Bataviaとなった。Bataviaと言う言葉が幾度と出て一定の地域を示す地名ではないので、範囲が漠然とする。
ある文献でBataviaの北の区域はOud Batavia、Penjaringan、Glodokplein、Molenvliet、 Tanjung PriokなどがありOud Bataviaとはバタヴィアのなかの北の一地域を示している。懐かしのバタヴィアではないのである。 中部地区にはWeltevreden、Koningsplein、Menten、Tanah Abang、Kramatplein、Senenなどが同列で記載されていた。

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